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シゲが逝った。39歳だった。人生の記録は短かったが、ファンの心に残した記憶はでかかった。

久光重貴さん、シゲの訃報を聞いたのは俺がコロナに感染した前日の19日だった。サッカーファン、更にフットサルファンならこのスーパースターをご存知だろう。湘南ベルマーレフットサルクラブ所属の現役アスリートだ。かつては日本代表にも選出された。

2014年シゲは突然、肺腺癌に襲われた。しかし挫けなかった。アスリートとして戦いながら癌とも闘った。闘いながら肺癌医療向上委員会広報大使になって活動した。俺がシゲと知り合ったのはその2014年の夏 上野公園だった。

俺は人生で一度くらいは人の為に動きたいと、癌征圧イベントのリレーフォーライフ上野にボランティア参加した。このイベントの演出としてだ。その会場で一人の爽やかな青年に出会った。青年は子供たちにサッカーボールを使って指導していた。その子供たちはみんな小児がんサバイバーだった。シゲは自ら癌と闘いながら小児がんの支援活動を始めたのだ。

俺の名はシゲル、だから彼をシゲと呼び、彼は俺をシゲルさんと呼んだ。こうしてシゲとはネットで沢山の話をした。この間、シゲは数えきれないほどの抗がん剤治療をやった。抗がん剤もだんだん強いものになる。その強烈な副作用にシゲは挫折しそうな心を振り絞って何回も立ち上がって来た。這い上がってフットサルのピッチに立った。ファンは心からの応援を送った。ゲーム中にシゲは泣いた。サポーターもチームメイトも泣いた。泣きながら戦った。戦う相手チームも泣いた。

シゲはみんなの励ましや応援や眼差しを自分の勇気に変えて来た。だが遂に力尽きた。まだ39歳だった。俺はシゲの倍も生きながらえている。そしてコロナになりながらまだ生きようともがいている。残念ながらこの姿をシゲに見せることはできない。

更にもっと残念なのは同じ神奈川生まれ、湘南育ちなので平塚の花水ラオシャンのタンメンを喰いに行こうと言う約束を果たせなかったことだ。コロナからの外出が許可されたら二人分喰ってくるよ。


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