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君は短歌を詠まない

短歌なんか詠まないと思うけれど

2021年になってミスター短歌ボーイというツイッターアカウントを始めました。友人から前日にお題をもらって1日2首、
①お題を単語そのまま詠み込んだ歌
②お題の単語を使わずに詠む歌
を作っていこうという年頭の目標の記録として運用しています。

①について、1月3日のお題「当たらないと分かっているのに淡い期待で毎年宝くじを買ってしまう」31文字を超えたので早くも崩壊しました。いい友人を持ったものです。

ちなみに「ミスター短歌ボーイ」という名前をくれたのも同じ友人です。ダサいしコンセプトがミスチルに酷似していて最悪なのでありがたく拝命しました。文芸創作界隈あるあるなのですが、やっぱり言葉が好きな人の集まりだけあって、筆名というのはカッコよくなりがちです。僕も黄泉等等豆(よみひとしらず)にするかギリギリまで迷いましたがあんまり作風に合わないかなと思ってやめました。

さて、アカウントを運用するにあたってツイッターで記録するんだからそれだけでいいかなと思っていたのですが、こうしてnoteにも書くようになったのは偏に言い訳がしたいから、につきます。

どういうことかと言いますと、基本的に31文字で構成される短歌ですが、その文字数だからこそあまたの校正が入り、習作が生まれます。その中でいいと思ったものを一応完成品とするわけですが、正直自分でもその善し悪しが全くわからないのです。

なので一応その思考の過程をnoteに置いておいて、読み返した時に歌を変えたけりゃ変えてもいいじゃん♪というのがこのnoteの趣旨です。

そもそも僕は世の中にある原典至上主義的な雰囲気が怖くて、いや良いと思ったら変えちゃえばいいじゃん、と思っています。たとえば小説星人が攻めてきて「この星随一の傑作を出せ、さもなくば……」といってきたとき、一人の天才が作った『失われた時を求めて』を提出するのか、人類の英知を結集した『改訂版 失われた時を求めて』を提出するのか、という問題ですよ。地球規模で考えたら絶対加筆したほうがいいでしょ。

ちなみに上の問題は「読むのに小説星人の寿命が必要なくらい加筆して提出する」が正解だと思います……僕は多分これ小説の才能ないですね。

そういう次第で毎日はやらないと思いますがマガジンとして、短歌について言い訳したくなったときはここに書き散らそうと思っています。あと日記を紙で7年くらいつけているのですがいい加減本棚のスペースも気になってきたので雑記もしていこうと考えています。

短歌についての感想や別案などありましたらTwitter、note問わずぜひお願いします。指摘や糾弾などはやんわりとしていただければ幸いです。

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