政治家は結果が出せなければ価値がない。
『予定調和が崩れたのは会見中継の最終盤、手を挙げた外国人記者が指名され、新型コロナウイルス感染拡大への対策が失敗した場合、責任をどう取るかと問われた一瞬ぐらいか。「私が責任を取ればいいというものではありません」そこだけはついついいいかっこしいで口を滑らした「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」とし、公文書改ざんへとつながる森友問題を誘発したことから学んだのだろうが、この発言もすでに幾度も予行練習はされていたのだろう。「ステイ ホーム」安倍総理による緊急事態宣言と記者会見が終わると、画面は小池百合子東京都知事の会見に切り替わる。小池知事は会見が始まるとまずは東京都の感染者数を発表したのち、「大事なことですから、もう一度言わせてください」として右手の人差し指を示して、いつものようにネイティブ風にカタカナ語を発した。安倍総理同様、プロンプターに映し出される原稿を読んでいることは自明だが、二人の差は明確だ。~実際、今、私たちが何を見せられているのは、次の次、いや、もしかしたら次の総理を決めるレース=「ポスト安倍」の予備選なのではないだろうか。~土井氏が亡くなった今、国家権力の最も近くでその座を掴もうとした経験者は小池氏以外には存在しないということだ。小池氏は2017年、自ら希望の党を立ち上げ、再び総理を狙う道程を歩き始めたと思われたが、得意の会見での失言による失速以降は一時期の勢いは鳴りを潜めていたようにも見える。しかし、どういう巡り合わせか、まずは灼熱の東京オリンピックのマラソンコース移転問題で、続いて新型コロナ対策で、またもや小池氏が日本の政治の中心でスポットライトの下にいるのである。少なくとも小池知事にとっては、日々の会見はまたとない、絶好のアピールの機会でもある。~小池氏は40歳で政界へ進出、日本新党→ 新進党→自由党→保守党→自民党と出入りの多い道を歩んで来た。権力を持つ男性に近づき、その威力がなくなると見たら次の権力者に移る。そう揶揄もされてきた。組織の中でポジションを得るために、小池氏は自らの持てるポテンシャルを全て使ってきたのだろう。ただ、彼女は組織をまとめたり、その中でリーダーとなるタイプではない。つまり、メディアを使って国民に訴えかける大統領タイプの政治家なのだ。そうした前提に立つと都知事選挙はまさに大統領選挙と同様で、議院内閣制で衆議院議員の中から総理大臣を選ぶ選挙とは根本的に戦い方が違う。政党内政治ではなく、政党組織の外にいる大衆を味方につけて勝ち抜いていく。つまりもはや党内の気に食わないおっさんに気を遣ったり、迎合する必要は全くない。むしろ逆で、そうした権力と戦うことで自分の価値を際立たせることができる。~それまで気を遣い、時間を使ってきたおっさんの機嫌取りというコストがなくなり、もしかすると小池氏は今が一番政治家として仕事ができているのかもしれない。小池氏にとっては、すでに政治的フェーズは変わっているのかもしれない。日々の露出は「ポスト安倍」レースそのものだ。小池氏は岸田氏、石破氏といった想定される相手候補に大きく水をあけ、安倍総理と対等、それ以上に能力があるのだ、危機管理ができるのだとアピール三昧だ。4月7日の緊急事態宣言のときに小池氏は近所からもらったという手作りマスクをつけてきたが、寸足らずのマスクをつけた安倍総理と比較対象のコントラストを見せつける演出意図もあったに違いない。実際にはこの日安倍総理はあのマスクは非着用だったが、ずっと威厳がある、自分の方が危機管理ができるのだと対照となるような戦略だったのだろう。「ポスト安倍」は安倍総理と競ってこそ、獲得できるのだと確信しているに違いない。つまりたとえ岸田氏になっても、皆はすぐに安倍時代を懐かしく思い出すはずだ。地方政治には本当は興味がないのではないか等も言われるところだが、まさに感染症対策等の公衆衛生は国家レベルの課題であり、他国とも対話していかなければならない。日本のリーダーとして世界から認知をされるための、またとないチャンスなのだ。そこに安倍氏とともに残像するのは自分である。その際には安倍氏よりずっと能力のある自分こそが総理にふさわしいと誰もが思い出すであろう、と。~加えて言えば、希望の党で失敗した経験から、再び自分が悪者にならないようにと考えているはずだ。もし今後、コロナ対策がうまくなかった場合、非難の矛先は国、つまり安倍総理に向くよう、常に闘う構図でのシナリオをしっかり準備しているのである。呼吸困難から肺炎に至る新型コロナウイルス患者の症状は、小池知事にとっては「苦しい、苦しい」といって叫びながらもがいた肺がん末期の母親の姿(『自宅で親を看取る 肺がんの母は一服くゆらせ旅立った』幻冬舎)と重なる部分もあり、自分の使命を今一度確認しているに違いない。~小池氏にとっては「I shall return」の「to where(どこに)」、行くべき場所はそのときから、いやもっとずっと前から決まっているのである。手作りマスクの奥には、都民を守ろうとするリーダーの包容力を演じつつも、この場を最大限に利用して女性初の総理大臣に、本命ならぬ大穴で駆け上がろうとする新たなドラマの始まりが透けて見えるのである。』
政治家は結果が出せなければ価値がない。また結果に対しての責任の取り方が政治家生命を左右する。このコロナ禍を利用するのは勝手だが民の命を第一に考えた政策を実行できなければ結果が悪く成り犠牲者の数が増えるだけだ。
コロナ危機の背後で急加速する「ポスト安倍」レース
小池百合子の野望は実現するか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71746
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