あまり違わないヒト達が小さな違いを見つけて内輪揉めしているのが今の象徴なのです。

『社会学的や政治学的に言うときの「性差」と、私が言っている「性差」は意味が違うんですよ。私が言っているのは、性能の優劣とか器質的な違いではなく、言わばチューニング、電気信号特性の話です。性能として言えば、男と女の脳は違いません。男女とも等しく脳は全機能搭載可能として生まれてきている。ところが「ことが起こって、脳がにわかに緊張したとき、とっさに使う」機能が違うようにプログラミングされているんです。〜脳は、多くの機能において、生存可能性を上げるほうを優先させています。そして、人類の男女は生存と生殖の戦略が違うので、優先する側が違います。狩りをしてきた男性脳は、とっさに遠くのものに照準を合わせる。子育てをしてきた女性は、目の前の大切な者にロックオンする。そのほうが、生存可能性が上がるからです。対話も同じことです。目的志向の問題解決型の対話と、深い気付きを得ようとするプロセス志向の共感型の対話は、同時には成立しない。男も女もどちらのモデルも使えるのですが、とっさに、男は問題解決型、女は共感型にと分かれる傾向にある。前者は外で危険な目に遭いながら成果を出さなければいけなかった男性脳に、後者は女同士のコミュニティの中で子育てを完遂しなければいけなかった女性脳にとって、優先させるべきモデルだからです。私が言う「男女の脳の違い」とは、そういう意味です。〜もちろん平等と言ってもまだまだ遅れているところがあります。しかしそれでも男女雇用機会均等法以来、34年が経って、以前にくらべると、男女の間でタスクをモザイクのように分け合うようになり、男女がともに動く頻度が上がったじゃないですか。こういう状況だからこそ、チューニングの違いというものを理解していないと危ないんですよ。そうなんです。昔であれば、男の職場で女が肩を並べて働くこともなかったし、家庭のなかでも夫と妻の役割がほぼ決められていた。それこそ口の利き方も決まっていた。だから男女のコミュニケーションの違いもそれほど問題じゃなかったんですね。ところが今の時代になってそれが問題になってきた。こうなったら「対話には2種類あるからとっさの場合はどうする」といったことを、義務教育のうちに、しっかり学校で教えておくべきですよね。男女のコミュニケーションの違いを、きちんと人類が知っておかないと、この先結構危ないのではと思うところです。~昔は姑とか社会とか、夫婦の「仮想敵」がいたんですよね。いまは姑も社会もずいぶんやさしくなった。これはいいことなんですけど、仮想敵があったときのほうが二人は盛り上がれるわけですね。私の頃は、働いていると100人の敵がいました。「え、子どもがいるのに働いているの? あんたの子、将来犯罪者になるよ」と平気で言われたり。役所に行っても、「生活に困っていないのに子どもを預けて働くなんてひどい母親」という対応をされたり。でも、その結果、夫婦の目がそういう「仮想敵」に向いていた。夫は家庭の中では粗ばかりだったけど、社会の荒波からは私を守ろうとしてくれたので、そこに絆が生じたと思います。いまのご夫婦は、世間が優しすぎて、自家中毒を起こしているように見えることがある。イクメン、カジダンなんて周りが言いすぎると、「なのに、あなたは」ってことになる。そこがかわいそうですね。二人で何かに立ち向かうのも、夫婦円満のコツかもしれません。熟年夫婦にも、それをお勧めします。お遍路でもなんでも、外向きの課題に挑戦してもらったほうがいいかもしれませんね。』

「仮想敵」がお互いにあると団結して絆が深まると指摘していますが、これは夫婦の間の問題だけではなく国や地域、人種、男女等の「ヒトの集団」においても二項対立の場合に「仮想敵」によってバランスを保つ方法がしばしば用いられます。ヒトにとって原始の時代では常に外敵に囲まれていたので内輪揉めをしているとその集団は滅んでしまったはずです。今、地球という単位で考えれば人類にとって外敵は原始の時代の様に「自然災害」や「疫病」なのは確かなのです。なのに、あまり違わないヒト達が小さな違いを見つけて内輪揉めしているのが今の象徴なのです。

それでも「男女の生存戦略」は違う…この時代にあえて性差を語る理由
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67916

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?