ACヒノモトの津々浦々にまで巡らせる構想を妄想するのはもうヒトでは無理かもしれない。

『当時、太平洋側の都市は工業化が進み、過密と公害が問題になっていました。そうした不満を吸い上げて当選したのが革新系の首長たちです。それに対して田中は、革新は反対だけで対案がなく、政権を任せられない。だから自民党が力をつけなくてはいけないと反省したのです。では、どうすればいいのか。その答えを示したのが都市政策大綱でした。ここで示されたのは、日本全体を1つの大きな都市にするという構想でした。新幹線や高速道路、航空路線網を張り巡らせ、日本全国を日帰り圏にする。そうすれば日本海側や内陸部にも工場ができ、過密や公害で悩む太平洋側の問題も解決できるというわけです。こんな構想を示した政治家は、それまでいませんでした。素晴らしいと思ったポイントは2つ。まず公共のために個人の権利を制限すること。もう1つは、開発する具体的な地名をあげなかったことでした。都市政策大綱ができた背景には、田中の長所である膨大な法律の知識があったでしょう。田中は、議員立法で33本の法律を成立させています。堺屋太一さんに言わせると、これは途轍もないことだそうです。新しい法律をつくるには、それまでの法律を全部理解していないといけません。だから専門分野の官僚が必死に勉強してつくるのが普通。それを尋常高等小学校卒の田中がやったのはすごいと。後の話ですが、本人に「どうしてそんなに法律を知っているのか」と聞いたことがあります。すると、彼は子どものころから吃音症で、それを治すために毎朝畑で六法全書を読み上げるうちに暗記したと教えてくれました。田中が衆議院議員に初当選したときの首相は、吉田茂です。吉田は、いつも六法全書を脇に抱える田中をからかうつもりで法律の条文を3つ尋ねた。全部答えたことに感心して、当選1回なのに法務政務次官にしたという逸話もありましたね。~出会いは強烈に印象に残っています。僕は30分前に、目白の田中邸に入った。ところが約束の時間を30分過ぎても田中がやってこない。秘書の早坂に聞いたら、「実は昨日、オヤジ(田中)に言われて君の資料を集めてきた。朝からそれを読んでいて、まだ終わってない」と。普通、資料を読むのはインタビュアーの僕のほう。でも、田中は逆にインタビュアーのことを徹底的に知ろうとしていた。これはおもしろい政治家だなと、改めて感じました。結局、インタビューは1時間遅れで始まりました。終わった後、また難題が降りかかった。田中が金庫から茶封筒を出して僕に渡すのです。おそらく厚みから100万円はあったと思います。これを受け取ったらおしまいです。しかし断って怒らせたら、自民党の取材ができなくなる。悩みましたよ。結局、いったん受け取って、その足で田中事務所に行き、最敬礼して返しました。2日後に早坂から「田原君、オヤジがOKしたよ」と電話があって、首の皮一枚つながった。OKが出ていなければ、僕のジャーナリスト生命は絶たれていたはずです。~85年に脳梗塞で倒れて、以降は政治への影響力を失っていきました。日本にとって残念なのは、田中以後、あれほどの構想力を示す政治家が出ていないということです。』

「構想力」全体を俯瞰的に見て更に実施策を挙げられるのは地べたを這いつくばって登って来たヒトにしかできないのだろう。専門分野化とクラスター化した政治屋には到底無理な事だ。ACのヒノモトの津々浦々にまで巡らせる構想を妄想するのはもうヒトでは無理かもしれない。

「公共のために個人の権利を制限した」田中角栄から今、日本人が学ぶべきこと
自宅でできる!角栄式、法律勉強法も
https://president.jp/articles/-/34237


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