大量生産、大量消費をベースとした消費社会はヒトの幸福感も消費してしまうのだと気づく時が来たのだ。
『昭和の高度成長期のライフスタイルの“常識”を念頭において、都市の経済効果を追求したり、消費を刺激したりすることが人間全員の幸せであるという画一的な発想は、個人のレベルでも政策のレベルでも、もはや制度疲労をおこしているということを、人類は認識しなければならない。「パックス・トクガワーナ」――鎖国時代の日本は、「小世界」に閉じこもることで、外国の驚異にさらされることなく、文化的にも豊かで平和であったという考え方である(芳賀徹『与謝蕪村の小さな世界』)。GNP(グロスナショナルハピネス)が高い「幸せの国」とされるブータンでは、山と谷に守られてそれに近い状況が維持されており、過度なインバウンドへの依存や商業主義に毒されていないからこそ、市民の「幸せ」があると現地で悟ることができる。グローバル化ありきではなく、「小さな世界」の豊かさに今一度目をむけること。そのことで逆説的に、現在ではオンラインを利用した一人一人の家の部屋という「小さな世界」からのグローバル化も達成できる。そして、もし「小さな世界」の幸せに気づくならば、オンラインを支える電力に何かあったとしても、人間は地球環境をこれ以上破壊することなく、自然と共存して生きながらえると思うのである。』
「小さな世界」と聞くと「泣くな、はらちゃん」の「私の世界」の歌詞を思い出す。はらちゃんの世界(越前さんの漫画)は始めは5人しか居なかった。大量生産、大量消費をベースとした消費社会はヒトの幸福感も消費してしまうのだと気づく時が来たのだ。
「私の世界」
https://www.uta-net.com/movie/200938/
コロナ世界危機「近代化は本当に正しかったのか」という重大な疑問
「小さな世界」の豊かさに向かう未来?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72748