代償の法則
代償の法則。
自己啓発では古典的に説明されている法則です。
簡単にいってしまうのならば「何かを得るには何かを差し出せ」というもの。
得たい目標があるならば、「それを得るために何を差し出しますか?」といった形の問いかけをコーチングなどでは行う。
たとえばTOEICのスコアを3か月後までに100アップさせたい、という目標を立てるときに「3か月は飲み会に行かず、代わりにカフェで勉強します。」といったものがあります。
似たような法則に「正負の法則」があり、美輪明宏さんなんかがかつて紹介していらしたでしょうか。たとえば親から受け継いだものが大きければそれ相応の苦労も問われる、と。
この手のいいことがあるとその分悪いことも起こる、というのはちょっと不吉な感じがして、以前はなかなか認めたくありませんでした。
「いいことがあっても純粋に喜べない!」
と思っていましたので。
ただ最近この意味が受け入れられるようになってきました。
個人的には「コミット」「決意」の表れを代償として示せ、ということだと思うのですね。
以前思っていたような「生贄を差し出す」だとか「罰する」「調子に乗らせない」というようなものではないように思えてきたのです。
これに関連して思いだすのが、「生きることはすべてウォントトゥ(したいこと)で満たそう。ハフトゥ(しなければならない)は1つもいらない。」というもの。
なぜ思い出すかというと「代償の法則」と一見矛盾するように思うからです。以前の自分とも少し重複しますね。
「飲み会もやめずにTOEICのスコアを3か月後に100上げたいのがウォントトゥ」と。「代償なんかやだやだ~、飲み会もやめずスコア100アップを宇宙の法則で引き寄せちゃおっと」と。
こういう発想もできなくはなく、たとえばアイリッシュパブなどで外国人に話しかけまくる、とすることもアリではあります。
でもやっぱりちょっとずれているようにも思います。
代償の法則も行き過ぎると無駄にストイックを強いる傾向もあります。
実際自分も代償として「水シャワーを浴びる」みたいなものを試したことがありましたが、普通に風邪をひいたのでその手の代償はやめました。
基本的にいまやっている代償としては
・必要な時間と必要なお金。特にスケジュールを先に確保して差し出す。
・断捨離やトイレ掃除などのお掃除系。
・依存するされる人間関係を(一時的にでも)断ち切る。
「一時的に断ち切る」というのはバランスがとりやすい傾向にあります。
やはり年間で最低3つくらいは代償の法則を意識した活動がないと、「何していたんだろう?」という気がするのです。
そういう意味でいうと、ここ数年トライアスロンと青梅マラソンには参加するようにしています。
以前ならこの手の「代償」系っぽいイベントは苦手でしたが、数や期間を絞れば案外悪くないものです。
今年は目標達成の計画コミュニティに入っていることもあり、「10大ニュース、10大目標」を立てることになっています。最初はコツがわからなかったのですが、「10大代償」を考えてみるとなんとなくイメージもできます。
代償というのも払う前は代償に感じるけども、目標を達成してみるとなぜか逆に払っておいてよかったと思える、というようにも思えるようになってきました。
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