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展覧会レポート キュビスム展 美の革命 京都市京セラ美術館
会期 2024年3月20日(水・祝)〜7月7日(日)
パリポンピドゥーセンターからやってきた140点のうち50点が日本初出品。
ポンピドゥーセンターって改修工事中だよねーって思っていたら、
パリオリンピック期間中開館するということで、2025年から5年間閉館に変更されたとか。
閉館中は作品の貸し出しが緩和されるかもだし、日本で鑑賞が叶う機会が増えるかも。
結果として、一つの芸術運動の流れとして非常に分かりやすい構成だった。
ピカソの作品が目玉!という触れ込みもあったけれど、私としては、新しい絵画の発明を様々なアーティストが自身で咀嚼しながら実験作品を多数輩出していくパワーのようなものを感じられたことや、戦争で分断されたことによる弾圧などについて知れたことがよかったなぁと。
オーディオガイドは、なんと言っても山田五郎氏のボーナストラック。
彼が展覧会を監修してるんか?というくらい堂々たる解説だった。
私が幼少の頃は、「キュービズム」って習ったけれど、そもそもパリの芸術運動なので、フランス語のキュビスムで然るべきということに改めて気付かされた。
では、かいつまんでレポートを。
キュビスムの誕生
キュビスムの流れの源流は、「自然を円柱と球と円錐によって扱う」と言った、セザンヌ。そんなセザンヌを敬愛したブラックは、セザンヌの聖地レスタックで風景画を描いた。
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1906年10月から1907年の2月まで、ブラックは友人の画家フリエスと南仏プロヴァンスのマルセイユの北西の港町レスタックで過ごした。それは、彼が尊敬していたセザンヌが1870年代と80年代にこのレスタックに滞在し、風景画を描いたからである。20世紀前半にレスタックは、セザンヌの影響を受けた画家たちのセザンヌ巡礼の地となり、数多くの画家たちがこの地を訪れた。
その後1908年秋にカーンヴァイラー画廊で開催されたブラックの個展に展示されたこれらの風景画について、文芸誌「ジル・ブラス」にて、美術評論家のルイ・ヴォークセルが「全てがキューブ(立方体)に還元している」と批判したことが、「キュビズム」と呼ばれるきっかけとなった。
ルイ・ヴォークセルといえば、同じ「ジル・ブラス」の評論から「フォーヴィスム」の名付け親ともいうべき人だった。例えるのがうまいねー。
1907年に製作されたピカソのアヴィニョンの娘たちは、1916年まで公開されていないが、ブラックはアトリエでその作品を見ている。キュビスムと呼ばれるきっかけの作品ではないが、何かしらの影響を与えた作品であったのだろう。
ブラックがこの斬新な作品に触れた時、どんな思いだったんだろう。
「お、俺の敬愛するセザンヌ様の考える造形の捉え方、切り取り方に繋がるものがある!」と感動しただろうか。イマジネーションが膨らんで創作意欲が沸々と湧き出る思いだっただろうか。
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こちらはMoMAの門外不出の作品。展覧会には未出品。
ブラックとピカソ ザイルで結ばれた二人(1908-1914)
1907年から親交を深め、ついには互いのアトリエに通い造形的な実験を推し進めていく。
「分析的キュビスム」では、様々な視点から見たモチーフを細かく分解し再構成。形に焦点を当てるために、色による表現を最小限に留めているため、全体は地味な印象。一見すると何を描いたのか理解し難い画面が広がっていった。
1912年からは、実際に描いたモチーフとイメージを統合させる「総合的キュビスム」へ。「パピエ・コレ」という新聞紙などを貼り付ける(のちのコラージュ)技法も取り入れ、全体的に明るい画面に変化していった。
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フアン・グリスも、総合的キュビズムを盛り立てた立役者の1人。ブラックと一緒に制作していた時期もあったんだって。
キュビスムは誰もが一度はかかる「はしか」みたいなもの by 山田五郎
ピカソと、ブラックが、カーンヴァイラー画廊と契約していたこともあり、作品の発表は、サロン・ドートンヌでは行われなかった。
そんな中、ブラック、ピカソの作品から影響を受けた若者たちが続々と作品を発表。
メッツアンジェは、1912年にグレーズとの共著「キュビスムについて」という論文を発表している。
キュビスムから派生した「セクション・ドール(黄金分割)」という前衛グループは、ピュトーに集っていたことから、ピュトー派とも呼ばれている。フアン・グリス、フェルナン・レジェなどが参加していた。
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また、ロベール・ドローネーは、フランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの「色彩の同時対照の法則」(1839年)を元に、色を対比させながら画面を構成する作品を制作。妻のソニア・ドローネーも同原理を元に作品を発表。
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ドローネー夫妻の絵が、1番綺麗で、画面の構成もバランスが取れてる感じがした。
パリ市は何が書いてあるか分かる!
そしてそして、あの、便器!(泉)、失敬、、コンセプチュアルアート作品で有名なマルセル・デュシャンもはしかにかかっていたんですな。。三兄弟だったのね。
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キュビスムを家の装飾に取り入れるメゾン・キュビストと呼ばれていたのが、マルセル・デュシャンのお兄ちゃんのレイモン・デュシャン。
そして。
パリのモンマルトルでは、ピカソたちが集った「バトー・ラヴォワール」(洗濯船)が有名だけれど、モンパルナスでは、「ラ・リュッシュ」(蜂の巣)が有名。
そこには、モディリアニと、芸術運動や団体に帰属しなかった一匹狼のシャガールが居た。
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淡い色彩と形がシャガールっぽくないというか、なんというか。
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ロシア生まれの シュルヴァージュ。エッティンゲン男爵夫人は愛人。
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愛人だと知ってこの絵を見るとなんとなく深読みしちゃう。
第一次世界大戦から そして未来へ
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第一次世界大戦が1914年に勃発したことにより、ブラックやピカソ他キュビストたちの作品を取り扱っていた、カーンヴァイラーがドイツ人だったこともあり、キュビスム=ドイツ(政敵)という印象となり、キュビスムへの風当たりが強くなっていった。様々な人がキュビスムを擁護すべく、不当な対応に出来うる限りで抗議している。
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第一次世界大戦が勃発し、ブラックが出征したことで、ピカソとのキュビスムの探究の旅は終焉を迎えた。
そして。
キュビスムに対峙し、機械文明の進歩に対応したピュリスムを提唱したオザンファンと、コルビュジエ。感情を排除して、機能的で純粋な画面構成。
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1937年にピカソはゲルニカを発表。
その素地には、キュビスムの流れが確かにあるのだなと思う。
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国立西洋美術館では、ブランクーシのブロンズ像も公開されていたと別記事で見たが、やはり巡回となると見られる作品が変わるなぁ、と。
いつかはパリのポンピドゥーセンターにて、現地の風を感じながら、作品を鑑賞したいものだ。
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