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展覧会レポート コレクション企画 枠と波 豊田市美術館

会期 2023年6月27日(火)〜9月24日(日)

コレクション企画 枠と波。

豊田市美術館のコレクションは、近現代美術の有名どころはきっちり抑えていると今回改めて感じた。東海地区で近現代美術を観るなら、ココ!と是非おススメしたいと思う。

ジルベルト・ゾリオ
言葉を鈍化するために

ジルベルト・ゾリオの作品は、ヨシタケシンスケ展で見たDIVIDER
という二人1組で使う道具に、コンセプトは似てるのかな?と思った。

ヨシタケ氏のDIVIDER

ヨシタケ氏の作品は、どちらの人間の発言か特定できない代物。
ジルベルト・ゾリオの作品は上部についている、口のようなところで声を発すると、チューブをめぐって反対側の先に音声が戻ってくるような仕掛けになっているのかと思われる。音声がはっきり聞こえなくなる=言葉が鈍化する?なのだろうか。

ヨーゼフ・ボイス プライト エレメント
ヨーゼフ・ボイス ジョッキー帽

私にとってこの展覧会で感動したことのびとつ、それは、ヨーゼフ・ボイス作品との再会だ。

再訪したいと願ってやまない、ニューヨーク北部にある、巨大美術施設
「Dia Beacon 」ここで、私は初ヨーゼフ・ボイス作品を体験した。大量のフェルトが積み上げられていた作品だったと記憶している。

ちなみにDia Beaconでは、豊田市美術館の入り口付近にある鉄でできた大型作品の作者Richard Serraの巨大作品も展示。豊田市美術館で所蔵している「OneMillionYears」の作者、河原温の「todayシリーズ」も展示している。

河原温といえば、生前最後に企画されたという2015年に開催されたグッゲンハイム美術館での回顧展は、偶然娘と共に見る機会に恵まれたが、その時には、保存状態が素晴らしい大量の絵ハガキ「I am still aliveシリーズ」がアクリルの掲示板のようなものに挟まれる形で展示されていた。裏表がはっきりと近くで見ることができ、日本との展示方法の違いや斬新さに、娘そっちのけで、あふれんばかりの底なしのワクワク感を満喫し、めったに購入することがない高い図録まで購入した。・・・閑話休題。

さて、1984年ヨーゼフ・ボイスが来日し、東京藝大で講義をした際に使われた黒板が、夏に開催されていた森美術館「ワールド・クラスルーム」に出品されていたことは、記憶に新しい。ちなみに、会田誠氏は、東京藝大のボイスの講義に参加していたとか。また、ボイスの影響を受けたという坂本龍一のコメントも残っている。

こんな有名人のヨーゼフ・ボイス。作品をどう解釈し理解するかは非常に難解だ。

ジョッキー帽にいたっては、帽子が内側を見せるようにして置かれており、内側に脂肪がたっぷり塗りたくられていて、その上に赤い十字が描かれた新聞紙の切れ端があり・・。

それに比べて、理解しやすいのは、こちらの作品

アリギエロ・ボエッティ作「アリギエロ・ボエッティ」

上部のアルファベットを交差するカンマの順番に読むと作者の名前が浮かび上がるというもの。画面全体の暗藍色は、ボールペンで細かく塗られている。
細かい作業とはいえ、根気のいる作業なのだろうな。。
見る者も、作品の一部であると考え、作品を制作するものが誰なのかを問う作品だとか。

松澤 宥(ゆたか)
プサイの死体遺体

こちらの展覧会の目玉の芸術家の1人、松澤 宥(ゆたか)氏の作品。何とも不思議な謎解きのような言葉遊びのような。作品名の「死体遺体」というのも「したい、いたい」という欲求を示しているようにも受け取れるという解説も。「非感覚絵画」という概念の提唱について読む者を惹きつけるような巧みな文章による誘導。四角に区切られた文章の読む順番も指定されていて「順番に読みたい」「どういう意味なんだろう?」と最後まで読み切った時に感じた「もしかして作者に、してやられてる?」という感覚に、ふと笑みがこぼれたり。

20年ほど前に開催された、豊田市美術館の庭園にある池に設置された作品に関する生前の松澤氏によるパフォーマンス映像も放映されていた。
これまた非常に難解で、松澤氏の詩の朗読と、布を被った若い女性とのやり取りだった。

エゴン・シーレ カール・グリュンヴァルトの肖像
フランシス・ベーコン スフィンクス
グスタフ・クリムト オイゲニア・プリマフェージの肖像
草間彌生 チェア

近現代の有名どころをキッチリと押さえている作品展示に震える。
こんなところで草間彌生のチェアシリーズと出会えるとは。

某県庁所在市美術館で開催されていたコレクション展との豪華さとの違いよ。
まあ、私自身の趣向の問題だが。

某市が所蔵している草間彌生氏の作品は、ピンク色の実寸大のボートだったが、
写真撮影できたのはこの一枚だけだった。更に、各自のスマホで聞けるオーディオガイドは、館内WiFiに繋ぐのに手順が多く面倒な上、イヤホンが無ければ聞くことができないという。京セラ美術館でも、豊田市美術館でも、イヤホン無しでOKだっただけにちょっとキレそうになった。それはさておき、

(発達)障害を持つ人が、つま先立ちをしたり、ぐるぐる回ったり、大声を出したりするのは、人が歯科治療で麻酔を受けた時、感覚が無くなった口周りをやたらと確認したり触ることと同じメカニズムだと聞いたことがある。欠損した感覚を確かめることにより、心身バランスを取っているとのこと。

草間彌生氏のイスシリーズも、そこにつながるものがあるのではと思う。
草間氏の中の目を背けたくなる怯えや恐怖の象徴たる作品を作り続けることで心のバランスを取っていたのだろうと、私は勝手に思っている。

ギュンター・ユッカー 変動する白の場

そして、初対面 ギュンターユッカーの作品。
白色に塗られた大量の釘がキャンバスに打ち付けられている。
離れて見ると、波のように躍動する釘たちが曲線を描いていて、ふさふさした柔らかささえ感じる。近くで、斜めから、側面から観察することで、しっかりと意思を持ったように見える釘が絶妙な角度と方向を与えられていることに気付く。
柔らかな波が硬くて力強い釘によって造られていることに恐れまで感じる。

キャンバスの裏側はどんなふうになっているのだろうか。
一歩でも打つ場所を間違えれば、キャンバスに大きな穴が開くのではないか。そんな緊張感は優雅に湖面を進む水鳥が水面下で忙しなく足ヒレをばたつかせているように、
遠くから見えるもの、近くで見た時に感じるものによってこんなに印象が違い、裏側や深層にあるものを想像させる。ただ綺麗だとだけは思ってはいけないような気分にさせられる作品だった。

ミュージアムショップでは、豊田市美術館でコロナ禍の中開催されたボイスとパレルモの展覧会の「リーダー」なる冊子を購入。
ショップ近くの図書館で、ボイスに関する書籍があるのも発見。
もう少しボイスに関する資料を読み込んだ上で、もう一度作品を見つめたいと思う。

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