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50過ぎたおっさん母校を訪ねる

街撮りchというYouTubeチャンネルで動画を配信してます。
100年後の研究者がコロナ禍の時代を知ろうとした時、その当時の人がどんな生活をどんな町並みで暮らしていたのかを知る手がかりのようなものを目指してます。

2022年を振り返っておこうということで書いてるんだけどまずは年始に帰省したついでに母校へ行った。

中年になると昔がやたら懐かしくなるというのは誰しもある。きっとある。ただそういう黄昏のような甘酸っぱいような懐かしいような気持ちになってからやれ母校を訪ねてみるかとなる人もいれば思い出だけにしておく人もいると思う。まあ近所でずっと暮らしているから訪ねるまでもない人もいるだろうけど。

きっかけは街を歩いて動画を撮影しているということもあるけど出身小学校が廃校になったことや中学も生徒数が100人くらいになったというのをネットの記事でみかけたことから「これは今のうちに見とかないといつ校舎がなくなってもおかしくないな」というのがある。在校していた40年前の中学校なんて生徒数1,000人以上のマンモス校だったと思うんだけど時代の移り変わりというのは恐ろしいものである。

兵庫県立神戸甲北高等学校から北鈴蘭台駅まで歩く

実家のある神戸市営地下鉄「学園都市駅」から電車に乗って「湊川公園駅」へ行きそこから神戸電鉄に乗り換えて「北鈴蘭台駅」へ向かうんだけどこの神戸電鉄というのがまず懐かしい。車窓からの景色や車内の雰囲気をキョロキョロと見回してたりすると北鈴蘭台駅へ到着。駅から高校まで歩いてだいたい15分くらいで着く。

さすがに敷地内に入るわけにはいかないだろうということでグラウンドがよく見える場所へ移動してそこから部活をしている生徒たちを眺めて撮影をスタートした。駅まで15分くらいの通学路である昭和の郊外の新興住宅地をただ歩くだけなんだけどその光景こそが今は愛おしいといった気がする。

神戸市立雲雀丘中学校から鵯越駅まで歩く

「北鈴蘭台駅」から「鵯越駅」まで戻ってきてそこから中学校まで歩いていく。神戸はまあ坂から逃れられないような地形なんだけどこの地区は神戸によくある南斜面に住宅がならぶような感じではなく谷のようになっていてちょっとしたひとつの閉じられた世界のようなそんな雰囲気になっている。

こちらもグラウンドが見える場所から歩きはじめて校舎が色だけは変わったけど昔と変わらないのを確かめるように眺めながら撮影をスタートした。小学校は廃校のあとしばらくは校舎が残っていたんだけどそれもとうとう取り壊されたようでグループホームを建築している真っ最中といった感じであった。動画を観ていただけるとわかるんだけど新しい施設や建物はあるんだけど街全宅は昭和で止まってしまったような感じで東京で暮らしていて感じる変化のスピードといったものとの違いにいつも驚かされてしまう。もちろん東京が異常ではあるんだけど。

街撮りch - Street Videos Channel -(YouTubeチャンネル)
ワンカットで撮影した散歩動画をYouTubeで配信しています。
商店街や飲み屋街から観光地、城跡、坂など好奇心の赴くままいろんなところを歩いて撮影してます。人口減少する日本の今を残せたらと考えています。



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