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撲殺されても立ち上がる女

カンヌでパルムドールを受賞した濱口竜介が監督を務めた「寝ても覚めても」はホントはよい映画だった。東出昌大と唐田えりかが共演し、これがもとで不倫騒動、離婚、東出の山籠もり生活に発展。スキャンダルの産みの親的な扱いを作品が受けてしまうのはとても残念だった。スキャンダルが東出側の話題に集中してしまうのは仕方がない。もともと知名度が低かった唐田えりかの女優としてのキャリアはこれで終了。もうこの名前を聞くことはないと思っていた。ところが最近、ネットニュースに、秋の配信ドラマプロモーションのネタとして登場しているではないか。たくましい。彼女の乗り越えてきた艱難辛苦を想像し、スゴい人だなぁ、と感心している。

芸能人のバッシングのされ方は、一般人のそれとは比べ物にならない。社会全体から公開処刑されて、抵抗しようものなら火炙りにされ、舌の根も焼かれてしまう。SNSやネットニュースは、その増幅装置であり、時には発信源にもなるから、今の方が、バッシングを受ける側としてはよりストレスフルな状況に陥りやすい。ベッキーの不倫騒動の時に感じたのは、よってたかって罵声を浴びせネット世界の中で暴徒化する大衆の恐ろしさ。コロナの時の自粛警察も同様だと思うが、暴徒化した大衆は、正義を拠り所とするからタチが悪い。悪を非難し打倒することが正義だと本気で信じてしまう。

近々の事例でいうと、フワちゃん。フワちゃんの発言は決して褒められたものではないが、あのキャラとしてあの発言には違和感がない。言い過ぎかもしれないが、本人はキャラ的に許される範囲とタカを括って投稿した内容だったに違いない。そこに誰かが火をつけた。普段からフワちゃんのキャラに嫌悪していた層がバッシングに乗っかり、続いて何とも思ってない一般大衆が、酷い発言!と盛りあがる。そうして、あの発言の非難に始まった火事は、タレントとしてのキャラクターに飛び火し、遂には人格否定の大炎上に発展する。鎮火させるための特効薬はない。身を引き時間が過ぎるのを待つしかない。

今では日時茶飯事であるタレントの事務所退所も10年前はとても珍しいことだった。当時、事務所とのトラブルを抱えていた能年玲奈はその芸名も剥奪され、事務所を離れ、表舞台から完全に姿を消した。あまちゃんのインパクトが大きかっただけにその落差の激しさは悲惨だった。一般に、干されたタレントは、大衆から忘却され時代から消し去られる。もちろん、そこで人生が終わるわけではないから、タレントの道とは異なる別の人生を本人は選択することになる。

ごく稀に、不死鳥のように再起を果たし、かつての最盛期を更新していく、常軌を逸したタフウーマンが現れる。それが、私にとっては、のんであり、唐田えりか。アーティストとして女優として、人間として尊敬している。

9月から始まるネトフリのドラマ「極悪女王」でクラッシュギャルズの長与千種を唐田はどう演じてくれるだろう。80年代の女子プロレスを盛り上げた死んでも死なないタフな女たちの物語、今から楽しみでしようがない。

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