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#13 ワタシの子宮筋腫物語

はじまり

その始まりは10年前。
会社の健康診断で異常が発覚し、再検査したところ、子宮に最大で直径6センチ程の筋腫が出来ていることが分かった。しかも、1個ではなく、この時点ですでに3つの筋腫が確認され、すでに子宮は通常の倍近くに肥大していたのだけれど、自覚症状はほとんどなく、また生理不順や多血月経などの不具合も感じずにいたので、この時は経過観察ということで、特段処理も処置もせずにいた。
そうして10年。健診のたびに子宮筋腫のことは指摘されてはきたものの、変わらず日常生活に不具合を感じるような自覚症状がなかったので、延々経過観察を繰り返し、アラフィフになると、閉経までこのまま経過観察を続け、閉経したら筋腫も治まるだろうと高を括っていた。
そうして訪れた昨年の健康診断では、最早言われ慣れてきた筋腫だけれど、実は数年、きちんと診てもらっていなかったので、さすがに診てもらおうとした所、こちらの予想をはるかに超える大きさに成長してしまっていた筋腫たち。最大は直径9センチにもなっており、しかも筋腫の数もエコー画像で見える範囲で4つ。9センチの筋腫が邪魔をして、子宮内部をきちんと診られない有様になっていた。さすがにこれは酷かったのだろう、医師から、大きな病院でMRI画像を撮るように言われてしまった。
———え、そんなにヒドイ?
子宮筋腫は概ね良性腫瘍と言われている。ただ、極まれに、悪性化するものもあるらしい。そういう事も確認しないといけないのだけれど、エコーでは子宮内の全体像が、大きくなってしまった筋腫のせいで診られない。故にMRIを撮ったのだけれど、この画像を解析した結果、これはもう相当にひどくなっていた。直径9センチを筆頭に、6センチ、5センチがゴロゴロ、あと、小さい筋腫がそれはもう、子宮内を覆いつくしていて、これで自覚症状がない方がおかしいとまで言われる始末。
思えば、数年前から、生理不順になったことはなかったけど、2,3ヶ月に一回の割合で、多血月経を経験するようにはなっていた。けれど、これが筋腫のせいによるものだとは、ついぞ考えたことがなかった。大きめの生理用ナプキンで何とか凌げていたりしたからだけど、まれに確かに漏れを経験することもあった。
後で分かったことだけれど、一度でも漏れるほどの経血があった場合は、最早それは異常事態であり、多血月経症状であり、筋腫じゃなくても内膜症やその他の子宮系の病気を疑わなくてはならない事なのだが、これを「自覚症状」と捉えない人が大多数なのだそう。
私も例に漏れず、自覚症状を自覚していなかったタイプで、医師からこの時、ここまで大きくなっていると、何かと不具合を起こしかねないので、筋腫を取り除くことを考えた方がいいと、初めて言われた。
私としても、すでに筋腫による子宮肥大は外から見ても分かるほどだったし、確かに、これはもう覚悟を決めた方がいいだろうなと、ぼんやり思っていた矢先、その「不具合」は唐突に訪れたのだった。

病名は「(両側)卵管膿瘍」

MRIを撮って、筋腫の切除を言われたのが3月後半。
その内、世間は例のウイルスにより大変な情勢となっていき、職場も一時休業するなど、バタバタしていたので、5月頃はそのせいもあっての疲れかな?くらいの倦怠感は感じてはいたものの、まだ筋腫切除の覚悟はまるでついていなかった7月初め。今までにない倦怠感と共に、異様な高数値を叩き出す脈拍からの発熱に、もしや例のウイルス罹患か?!とも思ったけれど、オンラインや電話による問診の結果、婦人科系の不具合である可能性が高まり、またしても大きな病院へ行く事となった。体調不良を自覚して、病院へ行き着くまでに、諸事情も重なって、都合4日程が経過していた。
ただの風邪による不調ではないので、市販の風邪薬等は到底役に立たず、結果からすると発熱の元凶が細菌感染によるものなので、市販の解熱剤では当然太刀打ちできるはずもなく、その間に体調はみるみる悪化して、発熱体質ではない私が、38度を超える高熱を出したりして、高熱に慣れていない私の心身はメタメタになっていた。それでも、何とか病院へ来ることが出来て、ようやくこれで楽になれると思ったのに、さらなる試練が訪れる。
病院に行ければ、ここ数日の身体の不具合が解消されると思っていたのに、医師から告げられたのは、「即入院」という寝耳に水のような試練。
自分の人生において、大けがでもしない限り、即入院を言い渡されることが起こるとは思ってもみなかったが、MRIで撮影するまでもなく、血液検査の結果だけで、すぐに入院して抗生剤投与が必要なほど、私の身体は病んでいたようだった。
詳細は後日MRIを撮るなどしないと分からないが、この時の初見では、卵管膿瘍とともに、卵巣嚢腫の疑いもあり、高熱の主な原因は細菌感染による卵巣もしくは卵管の炎症だろうと言われた。
ここで、医師から主な感染経路として、性交渉の有無を問われたのだけれど、残念ながら年単位でその事実はなく、細菌の種類も性交渉でよくみられる細菌ではなかったので、感染経路が分からずだったのが、即入院となった要因でもあった。
要するに、細菌は細菌だけれど、どの抗生剤が有用なのか、探りながらの投与治療をしないといけないという事だったのだけれど、私には、それよりも何よりも、すでにこの時点で3日会社を休んで、仕事を放ったらかしにしていて、このまま即入院はとても都合が悪く、この期に及んで、入院を伸ばそうと医師に掛け合ったのだけれど、もちろん、医師はそんな掛け合いには応じてはくれなかった。
「即入院の意味を考えてほしい」
それはそうなのだ。明日でもいいなら、即入院しろとは言わない。それだけ切羽詰まっているのだと、逆に諭されてしまった。
かくして、即入院となってしまったのだけれど、医師の言うことは本当に正しいし、今から考えると、あの即断即決の診断治療は、助かったと言わざるを得ないくらい、入院から数日は高熱でしんどい状態が続いた。
何しろ、入院翌日のMRI撮影時、高熱のため、気持ちが悪くなり、MRI撮影を最後まで全うできなかったくらいだったし、抗生剤投与が始まると、今度はそのせいでの発熱状態が頻発するようになり、とにかくツラかったから、入院を伸ばすなどもってのほかだった。
そんな状態になった病名は、卵管膿瘍。
卵巣は幸いなことに無事だったようだけれど、両方の卵管がほぼ全部に渡って、細菌感染のせいで炎症を起こし、そして倦んでいる状態で、それが原因での高熱となっていたようだった。
細菌の種類も感染経路も不明なので、抗生剤もアタリを付けながらの投与だったようだけれど、主治医の医師の適切な知識と判断により、最初から当たりの抗生剤を投与してもらえたおかげで、結果からすると、抗生剤投与治療だけで、10日間の入院で済んで快復できた。できたのだけれど、実はこの時、もし抗生剤投与でうまくいかなかった場合は、お腹に穴を空け、ドレーンと呼ばれる管を卵管まで通して、膿を直接排出させる手術が必要になると言われていた。しかし、ここにきて、大きくなり過ぎた筋腫群が、またしても大きな壁となって立ちはだかってきた。
ドレナージ(ドレーン等を使って膿を直接出す術式)を行うことになる場合、筋腫によって肥大化した子宮が邪魔で、ひょっとするとドレーンを挿入「できない」可能性がある。もしもの時は、かなり大掛かりになるかもしれないと言われていた。
医師から、大きくなった筋腫を保持し、肥大化した子宮の状態を維持し続ければ「不具合が起きる」と言われていた、まさしく「不具合」が起きそうな状況だった。
こうして、ドレナージはやることなく、この時は抗生剤投与治療で、一旦は治まったのだが、膿が消えてなくなったわけではなく、またすぐにぶり返す可能性があること、尚且つ、筋腫も大きいものがゴロゴロしていて、そもそも悪性化してしまうものが出てこないとも限らないし、生体検査も出来ない状態はよろしくないので、筋腫の切除を強く勧められ、ここにきて、ようやく、私の中で手術を受けようと覚悟が決まったのだった。

治療と手術の覚悟

卵管膿瘍による炎症症状が治まり、子宮筋腫の治療を決めたものの、仕事のこともあるし、筋腫の切除は、翌年6月を目途に考えていたのだけれど、退院から2ヵ月後の9月には、高熱は出ないものの、1週間ほど37℃に到達する発熱が続き、体調も芳しくなかったため、病院を受診。卵管膿瘍による炎症が再発したのかと少し恐怖を覚えたのだが、実際は原因は分からなかった。だけれど、卵管膿瘍による影響も考えられる状況であり、これから先、再発は高確率で起こり得ると言われ、炎症が再発した場合は、今度こそ癒着を起こして、大変なことになりかねないのは明らかであり、もう待ったはなしなのだなと覚悟を新たにして、当初の予定では、12月頃から開始する予定だった子宮筋腫の治療をこの日より開始することにした。
私の場合、多発子宮筋腫であることや筋腫自体も大きすぎること、後は年齢も考えて、子宮の全摘出しか選択肢はなかったし、そもそもそれ以外は考えもしなかったので、全摘はいいのだけれど、摘出するための手術式は、出来れば、入院期間や術後の身体の負担も考えて、「腹腔鏡下手術」がいいと思っていたら、医師からもその方向でやっていこうと提案されたので、まずは今の筋腫を出来得る限り小さくしようと処方されたのが、「レルミナ錠」だった。

女性ホルモン(エストロゲン)抑制剤【レルミナ錠】

少し前までの治療といえば、ホルモン分泌を抑制させる薬といえば、注射による薬剤の注入が主だったのが、このレルミナは錠剤であり、尚且つ、一日一錠を服用するだけで済むので、注射のために病院へ通う必要もなく、副作用も弱いとされている画期的な治療薬で、これによって、ホルモン(エストロゲン)の分泌を抑制し、筋腫の餌であるエストロゲンを与えないようにしながら、さらに筋腫を小さくさせていくという治療なのだが、弊害もあって、副作用は強くないものの、ホルモンの分泌を抑制するということは、結果的に「更年期による諸障害症状」を引き起こすことが予測される点だった。
この諸障害症状というのは、本当に千差万別で、もちろん症状自体が軽度の人もいれば重度の状態に陥る人もいて、こればかりは、やってみなければ分からない。
いずれにしろ、どんな症状が出るか、そもそもどんな状態になるかも分からないまま、通常通りの仕事が出来なかったらいけないので、会社と協議の上、一定期間「休業」扱いとしてもらい、最低限の仕事をやるということで、常勤を解いてもらったりした。この辺りの労務手続きは、さすがに職業柄、長年取り扱ってきた分野だったので、理解も出来たし、会社、病院共に協力が得られたことは、何にも増して心強い事だった。

レルミナによる更年期障害症状

そうして、9月半ばより、早速、レルミナ錠の服用を開始し、原則、出勤は週イチで、後は在宅で対応していくという勤務体系で臨んだ服薬治療だけれど、その更年期障害症状はすぐにもやってきた。
まず、睡眠障害。倦怠感は9月に入って顕著になっていたけれど、レルミナを服用してすぐに、倦怠感から、早目の就寝となっていたのだが、きちんと眠れている感覚がないばかりか、長くて3時間くらいしか眠れず、しかも一度起きてしまうと二度寝のような眠気も来ず、20時頃にはベッドに入って、うつらうつらしていたら、0時前後で覚醒し、そのまま4時5時までまどろむことも出来ず朝を迎えてしまう。
こんな状態でもし常勤だった場合、そのまま仕事に向かうことになっていたはずで、常勤ではなくなったことで、とにかく、身体的にツライ状況が起きても、すぐに横になれたり養生できる環境は、本当にありがたかった。
その内、季節は少しずつ肌寒さを感じるような時節となってきても、急に首筋や額のキワに大汗を掻いたり、計測しても37℃には到達していないのに、顔が火照って暑くてたまらなくなったり、そうかと思うと、急に肌寒さを感じたり、体調変化が乱高下する中、精神的にも徐々に思考の方向性が陰鬱になってみたり、その不安定さ加減は、まさしく更年期障害の症状そのもの。
そうして、レルミナ服用日数が増えていくとともに、障害症状も多様化していった。
ベースは、火照りや強い倦怠感、頭痛。この頭痛も、鎮痛剤を飲んでもあまり効果がないこともあり、心身ともに落ちる日が多くなっていく。
また、レルミナ服用から100日を越えてくると、これらの症状に加えて、手指の関節痛に悩まされるようにもなる。ブシャール結節と呼ばれる症状にとてもよく似ていて、やはり、更年期を迎えた女性などが罹る症状で、冬でよかったなと思ったのが、この痛みを少しでも和らげようと、着圧手袋を着けて生活したりしていた。夏だと暑くて着けていられなかったと思う。
そして、手術が近づく頃になると、メンタルはめっきり陰化していた。

子宮全摘出手術 術式【開腹手術】

身も心もボロボロになりつつも、手術の術式が開腹手術にならないための服薬治療だと思えばこそだったけれど、3月初めの手術が決定し、術式を決めるための事前検査にて、メンタルがさらにググッと落ちていくことになる。
様々な更年期障害症状に悩まされてきたけれど、レルミナによる一番の恩恵であるところの「筋腫の縮小」が、残念ながら得られなかったからだった。
一番縮小してほしい筋腫がほぼ大きさを保ってしまっており、結果、腹腔鏡下手術では、手術時間が長くなるだけでなく、とても危険な状態となり得るので、開腹手術で行いますと。
選択肢がなくなり、気持ちがその瞬間、ぐにゃんと落ちる感覚を覚えた。
ただ、ここでの開腹手術とは、さながら、帝王切開のような術式となることが分かった。傷痕は確かに腹腔鏡下よりも大きくなるけれど、下腹のところに最大でも15センチほどの傷を縦ではなく横に切るだけで、実はその手術時間は、開腹手術の方が早いくらいだという。
私の子宮筋腫の中でも一番厄介だとされていた筋腫は、尿管や太い血管の上に覆いかぶさるようにして大きくなっており、腹腔鏡下だと、その尿管や血管を傷つけかねず、また、肥大化した子宮も開腹でないと取り出せないとのことだった。
開腹手術により、入院期間が大きく延びるのでは?とも思ったが、その回答もあっさりしたもので、延びてもせいぜい2,3日程度だという。
ならば、もう私から否やを言える訳もなく、手術の日を迎えたのだった。

入院、手術、退院まで9日間

術式も決まり、手術前検査も全部滞りなく終えたため、入院の翌日には手術だった。
実は26歳の時、胆石症のため胆嚢除去手術(腹腔鏡下手術)を受けていたのだけれど、その時は手術のための処置が悉くつらかったと記憶していたので、内心ビビり倒していたのだが、蓋を開けてみれば、手術のための処置は、すべて手術室に入って、麻酔が効いてから行われたので、正直、なにも覚えていないし、手術が終わって麻酔が切れた時も、物理的な寒さで「寒いっ」と思った(実際口にもしていた模様)くらいで、なにも怖いこともつらいこともなかった。
むしろ、何故だか清々しささえ感じていたと思う。
しかし、その後がまあ、つらかった。これは単純に、お腹を切ってるので、物理的に痛くてツラかっただけで、陰鬱としたツラさはそこにはなかった。
今の手術って、本当に凄いなと思った。
手術室まで自分で歩いて行って、手術台にも自分で登って、さすがに術後はストレッチャーに載せられはしたけれど、一般病棟の自分がいたベッドに戻され、翌日には自分で歩いてトイレに行けてしまうのだ。
26歳の時は、術後、翌日までICUに居たと記憶してて、あちこちの管がツラかったけど、今回は、自分のベッドで本格的に目覚める頃には、必要最低限の管しか繋がれてなくて、実に快適だった。
そのため、余計に切開による痛みがツラかったけれど、術後5日もすれば、なんとか服用の鎮痛剤で凌げるようになり、術後の経過は上々で、結果、入院期間は9日間で退院できた。
担当して下さった医師や看護師、そして医療従事者の方々には感謝の言葉しか出ない。
病院から大量の鎮痛剤等をもらい、なんとか自分の足で自宅に帰ってきて、自宅ベッドで横になって、改めて、また、清々しさを感じていた。
子宮という臓器が無くなることへの寂寥感よりも、重く苦しかったなにかが取り除かれた晴れやかさの方が勝っていた。
ちなみに、取り除かれた子宮は卵管も込みで、約600gもあった。さすがにこれは重過ぎた。一応、写真も貰った。夫に写真見る?と聞いたが、
「いや、いい・・・」と即答された。

その後

これを書いている現在は、手術から5ヵ月以上が経過し、間もなく半年を迎えようとしている。
体調の推移について、簡潔に書いておこうと思う。
手術当日まで服用していたレルミナ。最初に体感したのは、このレルミナによる強制的な更年期障害症状からの解放感だった。
お腹が痛いことよりも、思考がクリアな感触があって、手術直前のFB記事と手術後のFB記事では、文体でも分かるほど印象が変わっている。
手術直前の頃の記事には、
『周りからがんばれと言われても、自分ががんばるわけじゃないから、何ともいえない』
みたいに書いていて、これがこっぱずかしい。
そして術後には、応援声援をくれた周りの方々への感謝がハツラツと表現されている。
普段どれだけ、ホルモンに支配されているのかが分かるほど、とても重要な物質であることがわかる事柄である。
とは言え、一気に何もかもが好転するということはなく、更年期障害症状も割と3月いっぱいくらいまでは、気分の浮き沈みは残っていたし、4月はちょっと体温が安定せず、平熱と呼ぶにはちょっと高めの36.9℃から、稀に37℃を超す日もあったので、退院後から5月末までは、術後の経過観察期でもあったので、休業扱いのまま、週イチ出勤勤務を維持させてもらったおかげで、ゆっくりと体力共に回復させてもらった。
6月よりフルタイム出勤で復職しており、今の所、何も問題はない。
卵巣は図らずも何の問題もなかったので、残してあった。これにより、急激なホルモンバランスの異常状態とはならずに済んでいる。女性ホルモンの分泌は卵巣で行われているからなのだけれど、そのために悪さをする場所=子宮及び卵管が無くなっているので、例えば、生理不順による激しい更年期障害症状には遭わずに済みそう。
なにより、レルミナで一時的とはいえ、更年期障害症状を体感したので、恐れるに足りず・・・である。
また、急激なエストロゲンの減少で体感した陰鬱思考も、今の所訪れてはいないので、正常に機能しているものと思われる。

一概に、外科的治療が良い!とは大きな声では言えないのが、この子宮筋腫という病。しかし、私の年齢になってくると、残していても弊害しか起こらないことを考えれば、今の私から言えることは、手術して良かったなということ。
あとは、折角、この生が終わる瞬間まで、他人様の手を煩わせることなく、元気でいられるようにしたのだから、また、ダイエットして健康に留意しなくてはなと思ったりしたアラフィフの夏。
私の子宮筋腫物語は、まもなくGood endを迎えようとしている―――。

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