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「竜とそばかすの姫」を観た感想

※本記事はネタバレを含みますので,まだ本作品をご覧になっていない方はご遠慮ください.

日曜日に「竜とそばかすの姫」を観てきた.
自分の中でうまく解釈できていない部分がいくつかあるものの,感じたことをつらつらと書いていこうと思う.
解釈の前に,感想としては見応え,聴きごたえのある作品であった.ストーリー展開が非常に速く,現代の飽きっぽい聴衆のニーズに合っていると感じた.日常の高校生活を軽快に描いていくシーンの数々にはたくさんの人が物語上にいることを感じさせられた.美女と野獣のオマージュでは現代人の心に響く,心と心がつながる美しさが描写されていた.

ここからは解釈,作り手の意図するところを想像していく.
まず初めに,具体的な場面を挙げる.

主人公であるすずがたった一人で埼玉に行き子供たちを救いに向かう場面

映画鑑賞後,おそらく多くの人が何か心にもやもやを抱える場面がここであると思われる.なぜすずは一人で埼玉に向かわなければならなかったのか.周りの大人がついていくことはできなかったのか.この描写によって,周りの大人や友達が傍観者となっており,どこか無責任な社会を描いているのではないかという意見がネットで散見された.また,結果的にすずは無事に帰ってくることができたからよいものの,すずのお母さんの事故死のように何か一大事が起きる可能性もある.しかも,高知から埼玉に一人で向かい,知らない人の家に向かうというアクションは極めて不確実な何かが起きる可能性が高い.
このような場面を描くことで何を伝えたかったのだろうか.

観客と物語との乖離

これは私個人の意見であるが,このシーンを議論とすること自体が,観客を傍観者へと変える(ベイルさせる)一種の装置になっているのではないだろうか.そもそも,なぜすずが一人で埼玉に向かうことになったかは詳しくは描かれていない.詳しく描かれていない,が答えなのではないだろうか.
私たちは描かれていないこと=周りの大人たちは何もしなかったと同義で捉える.もしかすると,すずを車で駅まで送った大人たちも埼玉までついていこうとしていたのかもしれない.だが,その程は分からない.(もしかすると,自分の見逃しで何か描写があったのかもしれないが.)
当事者でない立ち位置から批判をすることは簡単である.しかしながら,その議論は当事者になってしかわかり得ないことを抜きにした議論であると言わざるを得ない.いくら子供であるすずが一人で埼玉まで行ったことが無鉄砲に見えたとしても,その裏にどのようなストーリーがあったかは分からないため,すずの周りの大人への批判はそのような裏事情が分からない立ち位置からの批判であることが浮き彫りになるだけなのである.
したがって,この場面における作り手のメタメッセージは
「全てが描かれているとは限らない」
ではないかと私は思う.
ただし,このメッセージがなぜ見出すことが難しいかは,ファンタジーと現実の境目にうまくこのストーリーがのっかっているためであると考えられる.

ファンタジーと現実の違い

物語には裏がある.映画や小説,いわゆるファンタジー(フィクション)を堪能したあとにはその物語の伏線や裏側の世界を想像したくなる.これはごく自然なことであり,作り手の意図するところなのではなかろうか?(作り手になったことがないため想像です.)

しかし,現実の世界における物語においても裏側を想像するのは少々危険である.何か事件が起きるとマスコミや報道機関がニュースとしてその事件を取り上げ,それが多くの人に伝わる.中には当事者からすると誤った情報もあるし,正しい情報が出回っていたとしても,どこか間違った解釈が広まってしまう可能性もある.作中では,すずのお母さんの事故がこのような危険性を伝える役割として機能していた.現実では,証拠もない憶測を行うことは,そしてその憶測を人に伝えることはとても危険なことである.
ファンタジーと現実の区別がつかずに物語の裏を読んでしまう.
これこそがこの物語が伝えたい問題提起ではないだろうか.

作中においてすずが立ち向かった虐待問題は,現実でも起こっている社会問題である.つまり,現実性が極めて高い.だからこそ,ファンタジーとしてではなく,現実としてとらえてほしかったのではないだろうか.
また,すずの行動や周りの大人にあれこれ言うのでなく,じゃああなたはどうするのですか?というメッセージを出しているのではないだろうか.

最後に

アニメーションという媒体で観客の心を動かし,そこから社会を変えるというのは本当に難しいと思う.あくまでアニメはアニメ,現実は現実と,どこか違う世界が広がっているものだと考えてしまうからである.
しかしながら,ネットと現実の世界の境界線が近づくことができるように,映画と現実の世界もまた近づくことができるのである.特に,アニメ映画でこのようなことを考えさせられたことは他にない.
その意味で,「竜とそばかすの姫」は我々観客が観客だけであることに一石を投じる作品であったように思う.
(※以上は個人の見解です.またいろいろと考えることがあったら,追記,編集する可能性がありますのでご了承下さい.)

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