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遠い記憶 〜その七『ことば』編〜

前編で書いたように高一からの経験が、その後数年間の自分の性格が暗くなるきっかけだった。部活という狭い世界がかろうじて、昔ながらの明るさを保てたのかもしれない。卒業後も一年間の浪人生活はその性格は変わらなかった。バイトもさせてもらえず世界は広がらず。

そんな時間が流れた後、なんとか入学できた中京地区の某大学。当時は名前すら聞いたことがなかったが、最近は(自分達が卒業後)いつの間にか人気が出た様子で規模拡大しているようだ。(経営変わったかなぁ)

一年の時は学内にある学生寮に入った。2名一部屋。今の人達には嫌われるかも。
でも同室のこいつK坊が、面白くて気が合って、2年〜卒業まで寮を出た後も同じアパートに二人で住んだ(家族用のアパートなので一人ずつ個室は持てましたよ。今で言うルームシェア/シェアハウス)
K坊は早々に少林寺拳法の部活に入った(本人は引っ張り込まれたと言っていたが⁈)

・・🤔ここまで書いて,某Noterさんの投稿の影響(勝手に受けて)から,
  今回は、話しことばに視点をあててみようと思います😅🤗・・・

さて,このK坊,出身は岐阜県、今にして彼の特徴を思い出そうにも出てこなかったので(chatGPTで)調べてみると『〜やろ』『じゃ』と出る「じゃ」は聞き覚えがないが
『〜やろ』は聞いた聞いた🤣『せやろ』って隣から聞こえてきそう😅
こんなこと書いていると向こうで『〜そうやッケッけ』と笑っているかも。
これは自分が地元の言葉?癖で『〜っけ』をよく使うからだそう。そうだっけ?

一年で同好会・部活・クラブの勧誘を受け始める頃,最初に聞いたのが[大学祭の実行委員会]委員の募集説明。この(近辺)学校は、学祭期間に、集中的に活動するわけではなく一年通じて活動していた。自分達の祭り,他校への応援,合間を縫っての交流会など楽しそう❗️でも、原則毎週、委員会と称して教室に集合してミーティング。一年時は欠席禁止。これは意外と真面目な活動かと尻込みしたが、何かに押されるように、説明会終了と共に応募の手続きをしていた。
 『今ここで一歩踏み出さないと一生後悔するぞ!今踏み出せば前の性格に
  戻れるぞ』と、後ろから誰かに言われ推されるような感じだったので、
  この時のことは、しっかり覚えている。
  広い教室、みんな退室していく中、二人の先輩、しゅうさん、
  やまさんに『入ります』と声をかけら,ほんとに即決していいんか⁈
  って驚いていた“っけ“。誘っておいてそれ言うかなぁ(アッ “け“😅)

その後、部室(活動準備室)に連れて行かれて3回生4回生に意思表明と自己紹介
二つ三つしか違わないのに妙な怖さを持った人達,大人に見えた。
もう一つ悪い事に、この部屋は常に霞が🌫️かかっていた。窓から上がる煙が
見えたのは,あの部屋が最初で最後。🚬🧻🚬🗑️🚬
でも二年後はその部屋を仕切っていたのだから不思議なもんだ。

この委員会では、普通ではない慣習があって。
場所も時刻も構わず、先輩に会ったら『おはようございます』+少しのお辞儀。
学年が離れるほどお辞儀の角度が増える。
新人一年の前で、談笑していた3回生(のおじさん)がバンと二人立ち上がって深いお辞儀に『おはようございます』とを言おうものなら,何が起きたものかと目が覚める。伝説の先輩、5回生Mサンのお出し。。。とか。
これを、夜の街の中でも『おはようございます』と平気でやるのだから、知らない人が見たら危ない人達に見えたはず🤣
 一説によるととある業界🎸🎷🎹🥁🎼では普通らしく、そこでバイトしていた先輩たちが広めたらしい🤔

長くなったが、ここのメンバーが多種多様❗️西は広島から東は横浜,南は三重伊勢と南紀、当然、中京圏の名古屋〜三河地区は大勢‼️人数に押されて話し言葉が決まるかと思えば、上級生が『しげの言葉わからん⁈普通に喋らんか』の例の如く、後輩に自分の慣れ親しんだ言葉を押し付ける。要はオシが強い先輩の勝ち❣️😱 自分の場合,面倒を見てくれた先輩が伊勢と京都,同室が岐阜、同期でいつも行動を共にしていたのが伊勢、豊橋(三河),一宮と癖の多い連中ばかり😰😰なので、半年後に夏休みで実家に帰ったら言葉が通じなかった❣️🤣😱💪

それ以降は移されないようにと気をつけました🤗

もう一つ前述の寮のこと。同学年でK坊と同級生Sだったかな,沖縄からの入学生。このSの言葉は、何を言っているのか全く、ま〜ッたく解らないから始まった。英語の方がわかるだろう🤣会話が成立するまでに2週間くらいかかったように思う。それまではお互いが笑い合った🤣ここがやつの良いところ。自分のことでも笑い飛ばしたから,みんなにも好かれた。のちに空手部の部長になったと記憶。

面白いもので一度身についた言葉は相手に合わせていつでも出てくる。たまに当時の仲間が集まって飲み会をすればあっちこっちの言葉が飛び交うのにお互いは理解する。皆が結婚した頃にお互いの妻さんを連れて集まったが,うちの妻さん、旦那が話している言葉が急に判り難くなって困ったそう。困ったもの同士が集まって、それはそれで顔見知りになったのだとか話してた。

そいうわけで大学時代に言葉の多様性に慣れ親しんだので,会社に入ってから関西人に囲まれた研修でも苦にせずお付き合いできました。
そういえば英語(会話)が嫌いから興味を持てるようになったのは、この一二年時のケリー先生(双子)のおかげです。この場でお礼をしておきます。
先生たちのおかげで,会社で、海外出張に行くチャンスも恵まれました。

これにも間接的に,先の一歩が影響しています🤔

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