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未経験から広告の仕事を始めた際、業界歴10年以上の経験者の方々に追いつくために習慣化したことを思い出してみた

あくまでマンガの世界の設定ではあるものの、その設定が本質的に言わんとすることは、実は現実世界でも通用することなのではないか?と考えることがある。

例えば名作マンガ『ドラゴンボール』にて。ドクター・ゲロの生み出した人造人間セルとの最終戦直前。孫悟空・悟飯親子は体に大きく負荷をかける修行をやめ、常にスーパーサイヤ人状態をキープしたままで日常生活を過ごすシーンが描かれていた。

瞬間的にとてつもない力を発揮する代償として、短時間のうちに激しく体力を消耗するスーパーサイヤ人状態。そんなスーパーサイヤ人状態を日常生活の中でキープをした悟空の狙いは、日常からスーパーサイヤ人の状態に体を慣れさせることで、基礎的な体力を底上げすることにあった。そしてセルとの戦闘時、悟空の狙い通りに悟飯は爆発的な力を開放することに成功し、セルを倒すに至った。

また、現在も海外で映画が大ヒット中のマンガ『鬼滅の刃』では、呼吸法によって身体能力を飛躍的に向上させる「全集中の呼吸」が登場する。体への負荷が大きいとされるこの呼吸だが、炭治郎らは修行を通してこれを24時間キープする「全集中・常中」を会得し、強さを増してゆくシーンがあった。

2つ作品における修行方法の共通点として「24時間」「習慣化」が見えてくる。これらはあくまでマンガの中のみの設定と思えるかもしれないが、個人的には、これらの考え方は実は日常生活にも仕事にも活かすことができるのでは?と以前から思っており。せっかくなので自分の体験を交えつつ、習慣化をテーマとして思うところをまとめてみた。

改めまして、こんにちは。

運用型広告の駆け込み寺「アナグラム株式会社」で、広告運用とコンサルティングと問い合わせ対応と採用とチームリーダーと社内の方々の肩こり腰痛のお悩み相談を担当している、森(@hiro0524)と申します。5年前、整体師からほぼ経験ゼロの状態で運用型広告の世界に飛び込みました。

ちょうど一年前ほどに書いたこちらの記事を、たくさんの方に読んでいただきました

記事の公開から1年ほどすぎた現在でも、未だに毎日のように「スキ」をいただきます。ありがたすぎる。大スキ。

昨年まとめたこのnoteには、社内の資料に目を通すこと、先輩を真似ることなど、どちらかといえば社内で時間を過ごす中で試行錯誤をしたことをまとめました。

しかーし。改めて当時を思い出してみると、社内だけでなく社外や業務時間外であっても、半ば無意識ながらいくつかの試行錯誤をしていたことを思い出しまして。その試行錯誤に共通する要素をまとめたところ、冒頭でお伝えした「24時間」「習慣化」が浮かび上がったのでした。

当時のぼくは大きく分けて5つのことを習慣化しており、本記事ではそれぞれを具体的に書き出してみました。

ただし、これらあくまでぼくの体質に合っていたというだけであって、もしかすると誰にでも共通する有効な方法とは言い難い内容かもしれません。もっと良い方法もあると思います。一方で当時を振り返ると、ぼくはこれらを実行していなければ間違いなく生き残ることはできていなかったと感じることもまた事実です。全員とは言わずとも、いつかどなたかの参考になればと思い、思い出せる限りを言葉にしてみました。

なお、昨年のnoteに続いてまたまた長めの文章になってしまったので、以下より語尾の「です」「ます」口調を省略しております。

そもそもなぜ習慣化する必要があったのか?

理由は2つあった。

1つ。

全くの業界未経験だった自分は、1日の業務時間8時間の中でもがくだけでは、社内社外にいらっしゃるその道10年以上の先輩たちに追いつくことは物理的に不可能と気づいたため。

未経験で広告代理店に中途入社をした当時のぼくは、広告の仕事はほぼ素人同然だった。「ほぼ」と書いたのは新卒配属時の社会人の最初の仕事が、BtoBtoCに分類される、新卒採用関連の求人広告(法人向け)営業だったため。ただ、新卒採用業界の求人広告は他業界の広告と比較をするとなかなか特殊な業界であるため、やはりぼくの広告に関する知識と経験は素人同然だった。

一方、中途入社をした社内では、すでに業界歴が10年以上の大先輩たちが活躍されていた。先輩たちの1日の業務時間を8時間と仮定して、過去これまでに先輩たちが広告の仕事に費やしてきたであろう10年分の業務時間の合計をすごくすごくすごく雑に計算すると、

8時間×1年365日×10年=29,200時間

ほど。(趣味のように楽しそうに仕事をされている先輩ばかりだったので、頭の中は一年中休みなく働いていらっしゃる、と考えていったん強引に算出しましたご了承ください)。対して、広告業界でのぼくの業務経験時間は当然ながらゼロ。

そして現実はさらに厳しく、ここからぼくがゼロから積み上げていく広告業界での業務時間と並行して、先輩たちもさらに同じ分の業務時間を積み上げてゆく。ぼくにとっての1時間は、先輩にとっても同じ1時間。単純に考えて、先輩たちが1時間をすごす間に僕はその2倍3倍の時間を捻出することができなければ、追いつくことすらできない......

ただ、逆に考えれば「時間」は全世界のどんな人に対しても平等に流れており、先輩たちにとっての24時間は、ぼくにとっても24時間だ。よって様々な前提条件を無視して超単純に考えると、先輩たちが24時間のうち8時間を業務時間とするならばぼくは倍の16時間を業務に費やすことができれば、少しは先輩たちに追いつける可能性が見えてくるのではなかろうか...?と考えた。我ながら極端な考え方だと思う本当に。

ただし現実問題として、毎日に16時間も気を張り続けて業務を行えば、体力的にも精神的に消耗してしまうことが目に見えていた。なので目指すべき理想のスタイルは「気を張りすぎずに広告に関する学びを進めること」として、それを実現するために考えた方法が「広告について考えることを習慣化する」だった。

2つ。

自分自身の過去の経験から、自分の性格を「仕事と休日の境界線をあえて曖昧にすればするほど、どちらの垣根も超えて楽しめる性格である」と理解をしていたため。逆に、仕事は仕事、休日は休日ときっちり気持ちを切り替えてしまうと、どちらもうまくいかないことが多かった(なぜそういう性格になったのか?は自分でもよく分かっておらず現段階では結果的に...としか言えませんでして、絶賛、自分探し中です)。なので自分のご機嫌をキープするためにも、広告に目を向ける習慣を身に着けようと思った。

前置きが長くなったけれども、こんな経緯によって「習慣化」をすることに辿り着いたのであった。では具体的に何をしたのか?思い出せばこんなことを習慣化していた。

1.広告を見まくる

まずやったことは、あらゆる広告を「広告である」と意識して見ること習慣化した。これを習慣化した背景は、広告の仕事に携わると同時にこんなことを思ったため。

(あれ。そういえば広告って街中でも電車でもSNSのタイムライン上でも、オンオフを問わずあらゆる場面で目に入ってくる。ということは、それらの広告にも何らかの形で広告会社のプロたちが関わっているはず。ということは日常生活で目に入ってくるあらゆる広告を読み解くことができれば、すなわちプロの方々の貴重な考え方を学べるのではなかろうか???)

お恥ずかしい話なのだが、広告の仕事に携わる前のぼくは、広告を「広告」として眺めた経験が乏しかった。テレビCMにしてもインターネット広告にしても交通広告にしても、イチ消費者として無意識のうちにそれらに目を向けるだけであって、その広告の作りや広告主が広告を出稿している目的など考えたこともなかった。本当にすみません。

広告は世の中に自然発生するものではなく、どこかの誰かが何らかの意図を持って有償で出稿しているものだ。そして広告は基本的に無料で見ることができる(※一部、事前にサービスの利用料を支払わなければ見られない広告もある。例えば映画の上映前に流れる広告、新幹線の車内だけに掲載されている広告、雑誌広告など)。

日常生活の中で目にする広告にもプロが携わっているのであれば、素人の自分にとって広告を見まくることは、これ以上ない貴重な学びの場であると感じたのだった。行ったことを言葉に表すととてもシンプルで、起床~就寝までの間に自分が出会う広告にひたすら注目をするだけ。メモをしたり書き留めることはしなかった。そこまですると自分への負荷が大きくなり、継続が難しくなると考えたため。その代わりに平日の業務中だけでなく、休日に自宅で過ごすとき、外出するとき、遠出をするときなどなど、時間もタイミングも制限をすることなく、寝ている以外の全ての時間を通して広告を見まくることを習慣化した。

これを続けると、世の中は自分が認識していた以上に膨大な数の広告で溢れていることに気付くようになった。都心部と郊外では目にする広告が大きく異なるし、ビジネス街と観光地でも全然違う。東京の住まいから私鉄で埼玉の実家に帰るたびに新しい広告に出会うようになり、まったりと実家に帰ることが楽しみになったりもした。極端なことを言うと、実家に届いていた新聞折込に挟まれるチラシ内容を眺めるだけでも楽しかった。

広告業界が長いプロの皆様からすれば、この違いは意識するまでもなく当然のことなのかもしれない。ただ素人のぼくにとっては、これまではどこにいても大差なく目の前に存在していた世界が、形を変えずして全く別の世界に変化したような、未知のものが見えるようになった興奮を覚えた記憶がある。

まとめると、まずは教科書や文献ではなく、いま目の前で出稿されている生々しい広告を見まくる習慣を作った

(補足)事実、日本の広告市場規模は6兆円以上の規模だ。

マスコミ4媒体(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)の広告費に限定しても2兆円以上。近年伸び続けているインターネット広告費も2兆円以上。ということは、マスコミ4媒体とインターネット上で出会う広告を可能な限り追うだけでも、国内の2/3の広告を目にすることができる可能性があるのではなかろうか。しかも無料で。すごくないですか。

2.広告以外のメディアも見まくる

広告を見まくることと並行して、広告以外のメディアも見まくる習慣を作った。

これを習慣化した理由は、広告が持つ役割のひとつは、その広告を見た人に何らかの行動や気持ちの変化を起こしてもらうこと、と言えるのではないか?と考えたため。言い換えれば、もし何らかのメディアを見たことで自分の行動や気持ちに変化が起こるならば、たとえそれが広告以外のメディアであっても、それはもう広告と同じ役割を果たしていると考えて良いのではなかろうか?と考えた。であるならばせっかくだし、広告以外のメディアも見まくればええやんか。と考えた。

世の中には分かりやすく「広告」という形を成しておらずとも、実は広告に近しい役割を担っているメディアがたくさん存在すると思っている。例を挙げると、例えば飲食店のメニュー表の並び方。お店側の思いとしては、お客さんに頼んでもらいたいセット商品やオススメ商品はメニューを開いてすぐのページ、ページ上部など、ヒトの目線が留まりやすい位置に掲載されていることが多いと思う。(余談だが、個人経営の飲食店のメニュー表ではこういったあるあるを一切無視してオーナーさんや店長さんの個性が爆発していることがあり、それはそれですごく好きだ。ワクワクして見入ってしまう)

別の例で言うと例えば、公共施設のトイレで見かける「いつも綺麗に使っていただいてありがとうございます」の張り紙。あの張り紙は利用者に綺麗に使ってもらっている感謝を伝えるメッセージの形をとりつつ、トイレを綺麗に使ってもらえれば清掃担当者の負担が減り、かなり長い目で考えれば、トイレ設備メンテナンスの工数抑制などにも影響してくるのではないかなと思う。ふと目に入る位置に張り紙があると、ついつい掃除担当のスタッフさんの顔を思い浮かべてしまう自分がいる。

分かりやすく「広告」という形を成していなくとも、どこかに存在している何らかのメディアは誰かが何らかの目的を持ち、時間とお金をかけて作成している。はず。なので、広告以外のメディアを目にするたびに頭の中でこんなことを考えるように習慣化した。

・誰が、何の目的で、なぜこの場所にこのメッセージを作成したのか?
・このメッセージによる効果はどの程度と見込めそうか?

目にしたメディアから受け取ったメッセージで自分の考え方や行動が変わった場合はそれを効果的な表現の一例として、頭の中に表現の引き出しを増やしていった。この部分を次の項目でもう少し詳しくまとめる。

3.目にした広告を自分なりに再考する

広告の仕事に携われば誰もが1度は経験することと思うのだけれども、広告は出稿すれば必ず反響があるものではない。むしろ、反響がないことも少なくない。もっといえばいま現在は反響が出ている広告であっても、実は最初からうまくいっていた訳ではなく、何度も何度も悩んで失敗をして試行錯誤して色々な方法を試した結果、ようやく反響が出てきた!なんてこともよくある。

その前提で上であげた1,2を続けている中で、ふと思うことがあった。

(この広告って、本当に広告主が期待した通りの反響に繋がっているのだろうか?)

もちろん、実際の反響の有無は広告主さんに直接伺わなないことには分からない。分からないのだが、仮にもし反響に繋がっていないと仮定するとどうだろうか?今の訴求のままで広告を出稿し続けることはあまり健全とは言えない。となると、今ぼくが目にしている広告内容は正解ではなく、別の表現を考えるべきかもしれない。

では、もし自分がこの広告の担当者ならば、次はどんな広告訴求を試すだろうか?もしくは広告に限らずどんな施策が有効だろうか?言葉にすると一人遊びの極みのような内容なのだが、こんなことを習慣化してひたすら思考する習慣を作った。

休日に街を歩く中でたまたま目にした広告を例にして、もし自分がこの会社の広報や広告担当なら、この広告の成果をもっと上げるにはどうするか?をひたすら妄想する。これを続けると自分の身に起こったことは、日常生活の中でたまたま目にした広告の内容を、以前よりも詳しく記憶するようなったこと。広告主側の当事者意識というか臨場感というか、そういった感覚を自然と持つようになったためなのかもしれない。

そんなことを続けていると、次第に頭の中に広告表現の引き出しが増えていった。時には何気なくその場で思いついた改善案を、自分が担当するお客さんの広告訴求にそのまま活用することもあった(余談だがこの習慣をきっかけとして思いついた広告訴求の中には、入稿から3年間以上もずっと勝ち続けているものもある)。

また、数ヶ月単位でこれを続けていると、広告訴求が何ヶ月経っても全く切り替わらない商品、逆によく切り替わる商品に気付くようになる。オススメしたいのは、広告の切り替わりのタイミングでその商品の売れ行きや巷での話題度がどう変化したか?に注目すること。もし新しく目にする広告を見て直感的に気になった商品があれば、試しにTwitterでその商品名を検索してみるといい。全く知らない誰かも同じ商品についてツイートをしていれば、その広告は、自分と誰かの気持ちを動かした広告と考えられると思う。

4.他人をじっくりと眺める

言うまでもないことかもしれないが、ぼくたちが広告を届けるべき対象は動物でもモノでもなく、どこかに実在している「誰か」だ。その「誰か」を具体的にイメージすることなくして、良い広告を生み出すことはできないのではないか?と考えたぼくは、「誰か」のイメージ精度を上げるために他人をよく眺めることを習慣化した。

「他人」は文字通りの他人で、例えば、電車で向かい側に座った人、たまたま入ったカフェの中で店内に居合わせた人などなど、全く知らない他人のこと。広告施策を考えるときに必ず必要になる、自分とは関わりのない「誰か」をイメージするための妄想力を鍛えたい意図だった。

では、具体的に他人のどこに注目して眺めるべきか?人が人を見て興味を惹かれるポイントはそれぞれの興味関心次第で異なると思うので、まずはふと他人を眺めた際、ぱっと頭の中に思い浮かんだ印象をただただ言葉に落とし込むことをおすすめしたい。ぼくの場合は記憶として残しやすいよう、何らかの2つ以上の情報を繋げながら眺めることを意識した(と思う)。例えば「早朝のカフェ」でパソコンを開いている「サラリーマンっぽい男性」はどんな雰囲気か、「公開初日映画のレイトショー」を観に来ている「仕事帰りらしきスーツ姿の女性」はどんな雰囲気か、など。

最初はなにも面白くないと感じるかもしれないが、上で紹介した1~4と合わせてこんなことを毎日のように続けていると、次第に点と点が繋がって広告と人との繋がりがイメージできるようになる。ような気がしている。以下記事の内容がこの体験に近いのかもしれない。

『知識は、既知の点と点の間につながりを構築しない限り、それだけでは役に立たないのです。』

広告施策を考える際も、人や場所や時間帯や広告表現などなど、様々な繋がりを想像しながら発想することが必要となる。場所や広告表現は様々だけれども、少なくとも広告を届けたい「誰か」が空想上の人物になってしまってはよろしくない。

可能な限りそうならないよう、まずは目の前に存在するひとじっくり眺めて記憶し続けることを習慣化した。

5.自分の気持ちが動いた瞬間を言語化する

広告を見て気持ちが動く経験って、そうそう起こり得ないことと思う。ぼくらが1日うちに接触する広告やメディアの数は数千個にものぼると聞くが、例えばそのうち1%の広告に気持ちを動くと仮定をするだけでも、ぼくらは1日に数十回も気持ちが動く計算になる。でも実際にはそうそう気持ちは動いていないと思うし、もし広告やメディアを見ただけで毎日のように気持ちが動きまくってしまっては、さすがちょっと精神的にしんどくなりそうだ。なのでぼくたちの気持ちはきっと、世の中の99.99%くらいの広告には影響を受けないのだと思う。

でも、ごくたまーーーに。様々な前提条件が折り重なった上でタイミング良く何らかの広告やメディアを目にしたとき。その広告やメディアをきっかけに気持ちや行動に変化が起こり、気付けば自分でも意図をしていなかった行動に移っていることがある。

その瞬間がチャンスだと思う。

なぜ自分はその広告やメディアに目を留めたのか、なぜ気になったのか、なぜメッセージを読み取ることができたのか、なぜ行動まで移したのか。そういった自分の気持ちが動いた瞬間を、可能な限り言語化するよう習慣化した。これを繰り返して自分の気持ちが動くきっかけを記憶して、広告訴求の提案やお客さんとの会話のネタを増やしていった。

ちなみに他人ではなく自分の気持ちの動きを言語化した理由は、他人に対してどれだけ深く質問をしたとしても、完璧に他人の気持ちを理解することは不可能に近いと思ったから。他人の気持ちに共感することはできても、全く同じ気持ちになることは技術的に難しいと思っている。一方で、自分の気持ちであれば、当然ながらいくらでも自問自答をすることができる。かなり頑張れば自分でもすっかり忘れてた古い記憶を引っ張り出せることもある。原体験を辿るともいうのでしょうか。

とあるカウンセラーさんは、「自分に対する観察が細かければ細かいほど、相手のほんのちょっとの動きにも気がつくようになる」とおっしゃっていたのだけれども、これは真理のような気がしている。他人の気持ちに気付くためにはまずは自分の気持ちを理解して言語化することから始めることをおすすめしたい。ただし、プライベートでも必要以上に気持ちを言語化してしまうと、久々に会った身近な友人知人から奇異の目で見られることがある。その点だけはやりすぎないよう、本当に本当に注意して欲しい。

まとめ

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。改めてまとめると、ぼくが習慣化したことは以下です。

1.広告を見まくる
2.広告以外のメディアも見まくる
3.目にした広告を自分なりに再考する
4.他人をじっくりと眺める
5.自分の気持ちが動いた瞬間を言語化する

仕事として広告に携わるぼくたちには幸運なことに、世の中には広告が溢れていますし、年齢や身分や距離を問わず、様々なヒトと繋がる方法も多用になっている時代。そんな中で1日のうちに何百何千もの広告を目にするような時代であるならば、それらの全てから良し悪しを学んでしまえばこれ以上におトクなことはないではのかなと思うのです。

広告を学びだしてから数年を経た今でも、まだまだセルや十二鬼月に値するような大先輩のみなさんを倒せる気はしませんが、少しづつでもなんとか前進をしていきたいなと思う次第です。

人には人の好みや考え方がありますし、自分に合う習慣、合わない習慣はそれぞれと思いますが、ご紹介した中でひとつでも楽しんで習慣化していただけそうなことがあれば嬉しく思います。

では!

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