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南極観測樺太犬訓練記念碑 風景印と記念碑

 北海道稚内市にある稚内わっかない郵便局の以前の風景印には南極観測樺太犬訓練記念碑が描かれていました。現在の風景印には描かれていない南極観測に関係する重要なものです。

南極探検と樺太犬

 1957年(昭和32年)に日本が初めて南極観測に参加するにあたって、極地での物資輸送を目的に「犬ぞり隊」が編成されました。1956年(昭和31年)1月に樺太犬を使うことが決定され、稚内公園で稚内周辺から集められたを主力に40頭を訓練しました。

 1956年11月に第一次南極観測隊を乗せた南極観測船「宗谷」が東京から出港し、22頭の樺太犬が参加しました。この観測で宗谷から上陸したオングル島が日本の南極観測基地となった「昭和基地」です。最初の越冬隊がこの昭和基地で樺太犬とともに生活しました。

 翌年1957年10月に派遣された第二次南極観測では、宗谷はスクリューを破損するなど満身創痍の状態であり、翌1958年(昭和33年)2月には、悪天候の中第一次の越冬隊をかろうじて収容したものの、新たな越冬隊を送ることができず、昭和基地も閉鎖し、樺太犬15頭は置き去りにする決断をしました。

 第三次南極観測隊が昭和基地に到着した1959年(昭和34年)1月に、樺太犬2頭(タロとジロ)が生きていることがわかりました。2頭はそのまま第三次隊とともに越冬し、ジロは1960年(昭和35年)に昭和基地で死亡、タロは1961年(昭和36年)に日本に帰国しました。

 記念碑の除幕は、このタロとジロの生還が伝えられる中、1960年7月に稚内公園で行われましたが、碑文にはこの悲劇には触れられていません。その後、同じ稚内公園に南極地域学術観測隊樺太犬供養塔が建てられました。

 制作者「東京芸術大学教授 芸術院会員 加藤顕清」、モデル犬は工藤 武広氏所有の樺太犬パラ号(父リキ、母タロの母クマ)です。


記念碑の地図

 記念碑は稚内公園内にあります。


碑文

南極観測樺太犬訓練記念碑

 昭和三十一 年、わが国が国際地球観測年の行事の一環として、南極地球観測に参加するにあたり、北海道から集まった樺太犬三十数頭は、 この地でソリの訓練を受けた。その中の代表二十二頭は観測隊員とともに遠く極地に渡り、昭和基地の建設にまた南極大陸内の調査探検にソリを曳いて立派にその使命を果した。  
 ここに記念碑を建て、永久にその功績をたたえる。

昭和三十四年十一月(一九五九一一 )
日本学術振興会
南極地域観測後援特別委員会


稚内郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
 現在の風景印はデザインが変更されていますので、今回紹介した風景印を押してもらうことはできません。


後ろには「日本最北端之地」碑が描かれています

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