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豊公誕生之碑 風景印と記念碑

 愛知県名古屋市中村区にある中村なかむら郵便局の風景印には豊公誕生之碑ほうこうたんじょうのひが描かれています。「豊公」とは戦国時代の覇者となった天下人・豊臣秀吉のことです。

豊臣秀吉(1537-1598)

 豊臣秀吉とよとみ ひでよしは、尾張中村(今の名古屋市中村区)の農民弥右衛門の息子として生まれ、父の死後は母(のちの大政所)とともに暮らしましたが、武士を志し家を離れます。この農民時代のことは不明なことが多いようです。

 1554年(天文23年)18歳のとき、尾張清洲 きよす の城主織田信長おだ のぶなが(1534-1582)の小姓となってから、その抜群の才覚で頭角を現し、1566年(永禄9年)には墨俣城の戦いで功績を挙げ武将に取り立てられました。1573年(天正元年)には近江長浜城12万石の大名となり羽柴の苗字を名乗り始めました。

 主君織田信長が明智光秀あけち みつひで(1528-1582)により暗殺された1582年(天正10年)には、出兵先の備中で和睦を急遽まとめて引き返し、光秀を京都・山﨑の戦いで打ち取りました。この翌年には大坂城の築城を始め、信長の後継者としての地位を固めていきます。

 1585年(天正13年)には正親町おおぎまち天皇より関白宣下、1586年(天正14年)に徳川家康を臣従させ、さらに太政大臣の地位につき「豊臣」の苗字を賜ります。1590年(天正18年)には島津、北条氏を破り、奥州まで平定し天下を統一しました。

 豊臣秀吉の死後、京都に秀吉を祀る豊国とよくに神社が建てられましたが、江戸幕府は大坂夏の陣の後でこれを廃却したため、再興は明治を待つ必要がありました。

 名古屋でも1883年(明治16年)に、地元有志が愛知県令だった国貞廉平くにさだ れんぺい(1841-1885)に申し入れ「豊公遺跡保存会」を設立、豊国神社が豊臣秀吉誕生の地である中村に1885年(明治18年)に建てられました。この地に中村公園も設置され、明治44年(1911)に県知事深野一三ふかの いちぞう(1852−1918)により石碑が建てられました。

 名古屋駅から中村公園までの道に、秀吉の出世を辿るモニュメントが配置されています。


記念碑の地図

中村公園内にあります。


碑文

豊公誕生之碑


中村郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1955年(昭和30年)10月10日から使用開始されたものです。もうすぐ70年になる古いデザインの風景印です。郵便窓口は平日のみの営業ですが、ゆうゆう窓口が土日も開いています。


左側は豊臣旗印「千成瓢箪」

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