人間観察とキャラ分け
過去の記事で、人間観察が趣味みたいなことをチラッと書いた。
人間観察をしていると、自然とキャラ分けしてしまっている自分に気付く。
でも時にそれがジャマになる。
思い込み、決めつけ、そのことから来る食わず嫌い。
そういうものが、視野を狭める。
発する言葉や目につく行動だけを切り取って、決めつけてしまうのは、簡単。
でもそこで立ち止まらずに、その奥にある本質を見極めることが大切。
内側と外側はシンクロしてる。
だからといって、そのまんまかと言えば、そうでもなくて、正反対に表現されてることも多い。
そこを見誤ると、煙に巻かれて、見失う。
対外的に表現されてるものは、内面や深層心理とか、本人も気づいてない要素も滲み出てたりする。
願望や欲求が表面化してることも多い。
自分は、なぜだかわからんけど、人の心の状態みたいなものがなんとなく感じられる。
具体的にハッキリとわかるワケじゃないけど、ちょっとした違和感みたいなものを感じる。
ライブとか生演奏の音楽を聴いていて、リズムのズレとか、不協和音みたいなものを感じる感覚に近いかな?
元々、誰がどんな人で…みたいなことに興味がなくて、それよりも、人間としての性質だったり、心や魂の状態みたいな部分で、人に興味がある。
なぜ、そういう行動に至るのか?とか、どういう状態の時にそうなってしまうのか?みたいな…
その興味は自分自身にも向いている。他者と同じように、自分の心の状態も客観的に捉えて、観察し続けてる。
ちょっと話は変わるけど、高校時代に美術部で、石膏像の木炭デッサンばかりやってた。
その時は気づかなかったけど、後になって、絵を描くことは、自分が世界をどう捉えているかがハッキリと表れるって気付いた。
技術的な差によって、うまいヘタはあるけど、何が見えていて、感じられてるのか、それが出る。
洞察力を高めたい人は、イラストとかでもいいから、絵を描くことをオススメする。
何を切り取って、どこを強調するのか?それが無意識下で行われてる判断を知る手掛かりになる。
人間観察によって、人間の持つ性質を見極めようとすることは、自分自身への理解にもつながる。
自分のかけている色メガネの存在に気付いた時、世界の見え方が変わる。
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