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よるよる 日記-20230314

・今、この日記は深夜の3時も過ぎた頃に、新宿の漫画喫茶で書いている。慣れないキーボードに若干辟易しているが、始発が動くまでの辛抱だ。明日、というか今日もきっちり仕事はあるので早く帰って始業時間まで寝てしまいたい。

・なぜこんな時間まで一人で外をほっつき歩いてるのかといえば、さっきまで映画を観ていたからだった。観ていたのは、今何かと話題の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。前々から気になってはいたもののここ数日バタバタしてしまい、ようやく観ることができた次第だった。アカデミー賞授賞式の日程を完全に忘れていて、昨日のTwitterは必死に眺めないようにして映画館まで足を運んだ。今ニュースを追うとずいぶんな賞の取り方だったので、やはり見なくてよかったなと思う。他人の評価・感想を含む事前情報は、できる限り鑑賞前に仕入れたくない。

・映画の内容についてはこれから観る人も多いだろうしネタバレは避けたいが、なんというか、噂に違わず「すごい」映画だった。観ている途中で、自分がどの要素によって、どんな感情にさせられているのか、それすら冷静に自覚できないような状態に陥っていた。それぐらい、揺さぶられてしまったことは確かだった。なんなんだあの脚本。

・この年になると(それとも仕事柄か)、あるコンテンツを受け取るときに「これがどう会議を、大人の目をくぐりぬけてきたのかわからない」というようなタイプの感想を抱くことがある。この頃だと、Netflix配信の『サイバーパンク:エッジランナーズ』が特にそう思わされるような作品で、そして今回の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』も同じくそうだったと感じている。

・私は、こうした作品に出会えることが何より嬉しい。というより、偉そうな言い方をすれば、「無事にめちゃくちゃなまま私の前にたどり着いてくれたこと」が喜ばしい。大きな作品は、一人ではどうしたって作ることができない。『エッジランナーズ』にしたって『エブエブ』にしたって、その裏側に途方もない制作の苦労があったことは知っている。それでも、その作品の中に「どうしようもないめちゃくちゃ」を推し進めた個の存在が感じられたとき、そしてそれが強い意志によって守られようとしたとき、その作家性こそが私に希望を与えてくれる。あなたのどうしようもなさを、私は常に待ちわびている。

・ほかの話。この時間につい映画を観てしまうのは、人の少ない映画館に強く惹かれてしまうからだ。まるで「私のために」上映してくれるような映画館は、大げさに言ってしまえば「この席にお前は座っていていい」という許しすら、私に与えてくれるような気がする。(もちろん、人が少ないが故の鑑賞におけるストレスのなさも大きな理由でもある)

・これは映画館に限った話ではなく、美術館でも同様だった。私はこの世界で一番好きな場所が「人のいない美術館」で、一番嫌いな場所が「人だかりの美術館」だと、常々口にしている。私のために作品があってほしい、というと映画館より数段意地の悪い話にも聞こえるが、事実そう思ってしまっているところがある。

・いや、作品が本当に私のためにあるなんてことはあり得ない話だし、そうあるわけがないことは十分わかっている。それでも、それが勘違いでも、空間の中に唯一作品と私がいて、その両者の間でのみ成立するやり取りを感じられる瞬間、私はそれを求めて方々に足を運ぶのかもしれない。

・本当かな。

・さて、ここで始発が動き出す時間になったので家へと帰る。この投稿は、家に帰った私によって、適当なタイミングで公開ボタンが押される。