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情死と上司と常識

情死で最期を迎えたい

退廃的な人間に憧れた私は30代になってもそんな夢を見ている。

この気持ちを誰かに言うと結局のところ
「面白い考えですね」
の一言であしらわれてしまう。

恐らく誰からも本気にされていない。
それもそうだ。
常識的に考えれば情死なんてもう死語だ。

よく考えれば
常識をしっかり守ってこれまでの人生を生きてきてしまったと感じている。
なるべく誰かと同じように。
そして誰かに嫌われないように。

結局情死なんてものは、
「常識からの逸脱」の極みである。

・大概が不倫や浮気の結末であること
・自死を選ぶということ

このどちらの点を取っても常識にはない選択肢である。

なのになぜ憧れるのか。

やはり「寂び」なのであろう。
滅びゆくものこそ美しく、欠けることこそ美しい。
完全からの逸脱だ。
だからこそ、常識という一つの型からの最大級の逸脱を、素晴らしく格好の良いものだと感じてしまうのである。

そして、恋をしたことがある全ての人間は、
その恋に苦しみ、悶え、罪悪を感じるものだ。

その心の苦しみと、寂の美しさの終着点として
情死は共感を生むのだろう。

そんなことを考えて今日も仕事をしていた。

上司に媚びて頭を下げている私はまだまだ情死はできそうになさそうだ。

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