海へのお供えもの
昔は、「写真を撮られると魂が抜かれる」と言われていたらしい。何故?
これは私なりの解釈だが……写真を撮られる一瞬の間、我々は動きを止める。その間、写真のために人生の時間を消費しているのだ。寿命を削っていると言っても、過言ではないのだろうか?
あと魂だけの存在の幽霊が写る心霊写真もありますしね。
さて前置きはこれぐらいにしておきまして、私が多くの人生の時間……寿命を消費した心惹かれた景色。そしてそれを収めた写真を紹介していこうと思う。
あれは第一志望の大学に受かり、もうすぐ実家を出て他県で一人暮らしをすることになった時分。
私は地元の海──「千葉港」に来ていた。
「海」という感じが名に含まれるせいか私は海辺が好きだった。新生活の場所は海なし県であり、しばらく見ることは難しい。なので、目に焼きつけておこうとしたのだ。
思い立ったように電車に乗ってきたため、時刻は夕暮れに近い。千葉港の海辺は砂浜とは言いづらく、砂利のようであり割れた貝殻も散乱していることから素足で歩くのは危険だ。
スニーカーでザクザクと貝殻を踏みつつ、堤防に腰かけた私は水平線に沈んでいく夕日を眺め、一人で物思いに耽っていた。
遠くには工場地帯、そして羽田空港へ向かうと思われる旅客機が尻尾のような飛行機雲をひきながら飛んでいく。奇しくも目指す先は、沈んでいく太陽と同じ方向だった。
──これじゃあ、まるで目的地は太陽のようじゃないか
なんて、思いつつ「さてそろそろ帰ろうか」と立り上がり、海辺を歩いていた時。
──ザザァ、ころころ
……ザザァア、ころころり
ころ、ころころ。ザ、ザザァー
と、オノマトペをつけるならこうだろうか。波が打ち付けるのに合わせて、なんと一つのオレンジが転がっていたのだ。
目を疑った。どうして波打ち際にオレンジが??
しかし夕暮れから、宵の口となった頃。薄暗い青の世界の中、目を引くような鮮やかなオレンジは、私を魅了した。
気づけば自分はスマホを構えて、何枚もの写真を撮った。
構図としてはこれがお気に入りかもしれない。手前にオレンジを配置しつつ、奥の工場地帯を写した一枚だ。
……幾分5年以上も前でスマホの機種も古いため画質が悪いが、そこは許してもらいたい。
気が済むまで写真を撮った後、私は転がり続けるオレンジを見つめた。転がって裏側が見えた時に、すこし齧られたような跡があった。もしかしたら、海が一口食べたのかも。
──なら、これは誰かが海にお供えしたものなのかもしれない。
私はまたいつ来れるかわからない千葉港の浜辺にて、そんな詩的なことを考えていた。専業物書きとなったのだから、これくらいいいだろう。
これ以降、大学を卒業したがこの千葉港に再び訪れてはいない。
だが私のスマホの中には、この時に切り取られた刹那の自分の魂と風景が残り続けている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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