ぼくは藤子・F・不二雄のSF短編に感動する

 今年の初め、ぼくと彼女は藤子・F・不二雄ミュージアムへ行った。『ドラえもん』で有名な藤子・F・不二雄の資料を展示している博物館である。神奈川県川崎市にある。ぼく(東京都大田区在住)と由梨(神奈川県横浜市在住)の自宅のちょうど中間地点にある施設だといっても差し支えない。まあ、正確には全然違うんだけど。

 ぼくと彼女は首都圏の大学の放送サークルの懇親会で知り合った。ぼくは音声ドラマを作っていて、由梨はアニメを作っている。由梨は日本の漫画やアニメよりもヨーロッパ(チェコとか)の漫画やアニメについて詳しいのだが、日本在住のアニメーターとして藤子・F・不二雄やスタジオジブリが射程圏内に入っていないわけはなく、そういう背景もあって、ぼくは藤子・F・不二雄ミュージアムへ連行されたのである(言い方)。

 ぼくらが行った時期は、1階では「藤子・F・不二雄とドラえもん」、2階では「藤子・F・不二雄のSF短編原画展」という展覧会が開かれていた。ぼくは藤子・F・不二雄のSF短編は読んだことがある。小学生の時、母親と少し遠くの街(いまとなってはぼくの生活圏内だけど)へお出かけして、大きめの本屋さんで『藤子・F・不二雄の世界〔改訂新版〕』という大きめの本を買ってもらった。

 この本には『ドラえもん』だとか『パーマン』だとか『エスパー魔美』だとかの傑作エピソードが収録されていて、ぼくはこの本で『さようなら、ドラえもん』を知ったし、『帰ってきたドラえもん』を知った(「嘘八百」という言葉も知った)。さらに、この本には『ミノタウロスの皿』と『みどりの守り神』という藤子・F・不二雄のSF短編も収録されていた。ぼくは『みどりの守り神』に出てくる坂口という男子大学生がなんとなく好きだった。わがままで身勝手な若い青年。いったいどこがよかったのか。いま冷静に考えると、ぼくはゲイだから、単純に「若い青年」っていう部分に惹かれたのかもしれない。坂口くん、ふつうにハンサムだったし。

 そんなわけで、由梨から藤子・F・不二雄ミュージアムでやっている「SF短編原画展」に行こうと誘われた時、ぼくは懐かしい気持ちになった。ぼくは得意気になって、「F先生のSF短編なら小学生の時に読んだことがある」という話を由梨にした。実際には『ミノタウロスの皿』と『みどりの守り神』を読んだことがあるだけなんだけどね。「SF短編原画展」に行く前の予習として由梨から貸し出された藤子・F・不二雄異色短編集(小学館文庫)の1巻と2巻を読んで、ぼくはF先生のSF短編にめちゃくちゃハマった。こんなに面白いならもっと早く読んでおけばよかった! 

 藤子・F・不二雄ミュージアムは入場予約制なので、事前に由梨にチケットを買っておいてもらって、当日、JR南武線の宿河原駅前で待ち合わせた。由梨に体当たりされながら歩くこと15分、藤子・F・不二雄ミュージアムに到着。受付のお姉さんに「行ってらっしゃい!」と笑顔で手を振られつつ入場。由梨はお姉さんに手を振り返していたが、ぼくは恥ずかしいので「どうも……」みたいな感じで頭を下げる。

 1階の「藤子・F・不二雄とドラえもん」やF先生の机を鑑賞したあとは、2階の「SF短編原画展」へGO。由梨から借りた文庫本ですでに読んでいた作品の原画も展示されていたので、ぼくは「あ、これ知ってる!」とテンションが上がった。やっぱり予習って大事ですね。ぼくみたいな、「知っているものをより詳しく知る」のが好きな人間にとっては特に。

 「SF短編原画展」の展示作品の中でぼくが最も惹かれたのは、『流血鬼』という作品だ。人間を吸血鬼にする奇病が世界各地で発生し、そのウイルスが広まったせいで人類はごくわずかに減ってしまい……というお話である。ぼくがこの作品に惹かれた第一の理由は、主人公の少年がぼく好みのルックスだったからだ。おまけに、まじめで知性的な性格(『ドラえもん』でいうと出木杉くんタイプ)にも惹かれた。……ぼくって漫画のキャラを性的に好むかどうかでしか作品の良し悪しを判断できないのかしら?

 ただ、その「SF短編原画展」では『流血鬼』の原画は中盤の部分までしか展示されていなくて、結末が分からなかったので消化不良だった。由梨に「『流血鬼』はあのあとどうなるの?」と尋ねたが、由梨も読んだことがないから知らないので二人揃って消化不良になった。ただ、展示室を出たところにある「きれいなジャイアン」の仕掛けに意識を持っていかれて、ぼくらの消化不良はどこかへ消えた。ぼくらは単純な人種である。

消化不良をうやむやにする「きれいなジャイアン」

 さらに、庭園みたいなところでドラえもんやドラミのオブジェと遭遇し、Fシアターとかいう視聴覚室で親子連れに交じりながら『ドラえもん&Fキャラオールスターズ すこしふしぎ超特急』という子ども向け短編アニメ映画を観たことで、ぼくらの消化不良は最初からなかったことになった。目の前の刺激物にすぐ誤魔化される。やっぱりぼくらは単純なカップルである。

消化不良をなかったことにするドラえもん(と土管)

 それからほどなくしてのこと。有隣堂蒲田店に立ち寄った時、漫画コーナーに『ドラえもん総集編 2023冬号』なる雑誌が平積みされているのが目に入った。ニット帽を被ったドラえもんの絵が表紙になっている、月刊コロコロコミックと同じつくりの雑誌だ。この前、藤子・F・不二雄ミュージアムで無数のドラえもんと触れ合ったせいで、その時のぼくはドラえもんのイラストを見かけると「お?」と反応する体になってしまっていた。単純接触効果(人間はよく接するものに親しみを抱くという現象)ってやつだろう。

 『ドラえもん総集編 2023冬号』に近付いて表紙を眺めると、なんと、『流血鬼』の主人公の少年のイラストとともに、「特別収録 少年SF短編『流血鬼』」という見出しが躍っているではないか! ぼくは急に『流血鬼』のことを思い出し、「そういえばあの作品が最後どうなるか分からず消化不良に陥ったままだったな」と自分の状態を思い出した。

 550円(税込)か。ぼくが読みたいのは『流血鬼』だけなので割高のような気がする。その場で30秒ほど悩む。うーん、買っちゃおう。『ドラえもん』傑作エピソード50話分の内容も気になってきたし。ぼくは『ドラえもん総集編 2023冬号』を手に取ってレジに持っていき、代金を支払い、自宅に持ち帰ると、さっそく『流血鬼』を読んだ。

 ……なんていうか、最高に素晴らしいオチじゃないか。まだ読んだことがないひとのためにネタバレは避けるが、「幸せ」をめぐる常識的な価値観を痛烈に揺さぶってくる結末だ。このオチ、最高すぎるだろう。由梨から借りた文庫本のおかげでぼくはすでにF先生のSF短編の面白さや奥深さを熟知していたつもりだったが、『流血鬼』はそのぼくの認識をさらに上書きするほどの感動をぼくにもたらした。

 ネットで調べてみる限り、『流血鬼』の結末をバッドエンドだと感じる人もいるみたいだけど、ぼくはあの最後のコマを見てとっても心が救われた。爽やかな気持ちになったし、明るい気分になった。そうなんだよな。人間はどんな状況でも幸せを感じてしまえばいいのだ。「幸せになろう」と焦るのはやめて「幸せである」と悟ってしまえばいいのだ。ぼくはこう見えてネガティブなことを考えることも少なくない人間なので、そんな風なことを思わせてくれる『流血鬼』の結末に余計に心を救われたのかもしれない。

 はあ、やっぱりF先生には敵わない。藤子・F・不二雄は最高のSF作家だ。アイデアが面白くて、シナリオに無駄がなくて、しかも漫画ならではのスタイルで分かりやすくSFを表現しているところにシビれる。『ドラえもん』でおなじみのあの「子ども向け」な絵柄の効果っていうのも大きい。藤子・F・不二雄のSF短編は中身も外見もあまりにも良質なのだ。さらっとハイクオリティで、サクッとハイグレードなのだ。

 ぼくはもっとF先生のSF短編を読んでみたくなって、小学館から出ている藤子・F・不二雄大全集でSF短編の巻だけ揃えることにした。具体的には「少年SF短編」シリーズ全3巻と「SF・異色短編」シリーズ全4巻だが、まずは『流血鬼』や『みどりの守り神』が収録されている「少年SF短編」シリーズからだ。一巻あたり1,760円〜1,870円(税込)もするが、月一で会う父親から支給されているQUOカードを活用すれば揃えられないことはない。

 後日、由梨と会う時にぼくは『ドラえもん総集編』を持っていった。ぼくは同時収録の『ドラえもん』傑作エピソード集のほうを読み進めている最中だったが、由梨も『流血鬼』の続きが気になっているだろうから数日間だけ貸してあげようと思ったのだ(優しい)(国連人権賞不可避)。すると、由梨は「いま読んじゃう」と言ってその場で読み始めた。由梨が読んでいるあいだ、ぼくはやることがないので由梨の顔を眺めることにする。由梨は『流血鬼』を読みながらこっちを見ずに「何見てんの?」と言ってくる。こいつ、顔に第三の目でも付いてるのか?(SF的発想)

 いま現在、ぼくは藤子・F・不二雄大全集で「少年SF短編」シリーズの第1巻と「SF・異色短編」シリーズの第1〜3巻までを買い揃えた。当初の予定を変更して、「SF・異色短編」シリーズのほうを先に揃えようと思ったのだ(人生に計画の変更はつきものだ)。ここまで読んだ中では、『流血鬼』はもとより、『分岐点』『ノスタル爺』『同録スチール』『おれ、夕子』『宇宙船製造法』なんかが個人的には特に好きだ。……いや、決められない。ぜんぶ好きだ。いまいちだなと思う作品が一つもない。まだ読み進めている途中だが、たぶんぼくは藤子・F・不二雄のSF短編がぜんぶ好きだ。

 残りの人生、ぼくは藤子・F・不二雄のSF短編さえあれば退屈せずに生きていける気がする。無人島に何か一つだけ持っていくとしたら、藤子・F・不二雄大全集(のうち「少年SF短編」シリーズと「SF・異色短編」シリーズ)を持っていくことにしよう。どう考えても無人島での火起こしや銛突き漁には役立ちそうにないが、迎えの船が来るまでの退屈しのぎには役立つはずだ。もしも迎えの船が来なかったとしたら……まあ、生前最後に読む本がF先生のSF短編になるのなら悔いはない。

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