ぼくはノンケに初恋をする

 ぼくが初めて男の子を好きになったのは高校2年生の時だった。それまでも自分が男性に性的関心を抱くことには気付いていたし、こんな話をして本当にごめんなさいなんだけど、マスターベーションの材料として男性の画像を用いていたりもした。でも、ぼくが自分の周りの特定の誰かに恋愛感情を抱いたのは高校2年生の時が初めてだった。たぶん高校時代に初恋をするっていうのは人類の平均としては遅いほうだと思う。それがよかったのか悪かったのかはいまのぼくには分からない。

 その年の夏、ぼくは体育祭の立て看板を作る委員に選ばれた。ぼくの通っていた高校は学校行事に力を入れていて、たかが体育祭の看板ごときを作るために1年生と2年生の全クラスから1名ずつ委員を選出する制度をとっていたんだ。ぼくが好きになったのはその委員会で出会った須川くんだ。ぼくと同じ学年で、硬式テニス部に所属していて、みんなからは「すっくん」と呼ばれていた。夏休みに毎日のように顔を合わせて一緒に看板を作りながら雑談をする中で、ぼくは須川くんに惹かれていった。ぼくらは帰宅後もLINEで雑談を交わした。須川くんが自宅で飼っているジャック・ラッセル・テリアの写真を送ってくれたこともあったな。お母さんの影響で『海の上のピアニスト』っていう映画が好きだって教えてくれたけど、Netflixでは配信されてなくて、U-NEXTでは配信されてたんだけど当時ぼくはまだ加入してなかったから、近所のTSUTAYAに行ってわざわざDVDを借りてきたりもした。──なんだかストーカーみたいで我ながら気持ち悪い話だけど。

 体育祭が終わり、委員会の活動が完結してからもぼくらの交友は続いた。違うクラスだったからリアルで話す機会は減ったけど、LINEではほぼ毎日会話を交わしていた。須川くんがぼくのためだけに時間を使ってくれているのがうれしくて、「おやすみー」のたった5文字を30分ぐらいニヤニヤ眺めたりしたもんだ。学校のテニスコートでラリーをしているのを見かけて「すっくーん!」って呼びかけた時(いま考えると迷惑な話だ)、須川くんは笑顔でラケットを振って応えてくれて、やっぱり自分は須川くんにとって特別な存在なのかもと思い込んだりもした。須川くんのことを好きな女子は何人かいたようだけど、須川くんに彼女はいなかった(本人談)。ぼくは須川くんがゲイだとは思っていなかったが、自分の気持ちが報われることを願っていたりもした。なにしろ、ぼくにとっては遅ればせながらの初恋だったのだ。

 リアルで相談できるひとは一人もいなかったから、ネット掲示板のお悩み相談スレッドに「男子高校生ですが男子に恋をしました」と投稿した。「告白したほうがすっきりするよ」とか「一か八かで当たってみろ」とかいう声に押されて、といっても実際にはそれからあともずいぶん悩んだんだけど、「ちょっと話があるんだけど来てもらえる?」と須川くんを空き教室に呼び出して、ぼくはぼくの気持ちを伝えた。「……ごめん……おれは女性しか好きになれないわ」というのが須川くんの回答だった。好意を受け付けられないのは自分の問題だとエクスキューズしつつ、恋愛関係が生じる可能性は皆無だと宣告する。須川くんの回答は完璧だと思う。「女」じゃなく「女性」と言っているところもポイント高い。ただ、当時のぼくはそんな冷静な分析なんてできなかった。告白を断られることは頭では100%理解していたはずなのに、絶望に打ちひしがれて死んでしまいそうだった。

 心は脳にあるとひとは言う。でも、頭と心は別物だという抽象論がぼくにはしっくりくる。人間は頭の中に悩みごとがあるだけなら苦しくなんてならない。心がドキドキしたりソワソワしたりするから苦しくなるんだ。

 須川くんとそれから連絡を交わすことはなくなった。でもたまに廊下ですれ違ったりすると、須川くんはちょっと気まずい感じを漂わせながらも小さく手を上げて「おう」と声をかけてくれた。そういうところだよな、すっくんのモテるところというか、かっこいいところは。須川くんの挨拶に対してぼくは小声で「うん」とか「ん」とか反応するのが精いっぱいで、大好きな須川くんに構ってもらっているはずなのに、自分の不甲斐なさを突き付けられている感じがしてその度にダメージを食らった。やっぱり高校生になってからの初恋はリスキーだったのかもしれない。小中学生の時よりも様々な事情を慮ってしまうんじゃないかな。ぼくはその年明けに後輩の女の子から告白され、今度は「告白される側」に回ったのだが、その時は相手を好きになり得ないはずなのに告白を受け入れてしまった。告白をめぐるトラウマが全然癒えていなくて、「告白される側」が我慢しさえすれば世界は上手くいくと思い込んでいたんだ。結局その女の子との関係は春休みのタイミングで自然消滅したからよかったけど、この一連の流れみたいなやつがいまの彼女との関係にも影響しているような気がしてならない。

 須川くんに廊下で声をかけられても「うん」か「ん」しか返せなかったぼくだけど、でも、卒業式の日には勇気を出して須川くんの教室へ行き、卒業アルバムに寄せ書きを書いてってお願いした。さっき数年ぶりにそのアルバムを引っ張り出して開いてみた。青い字でこう書かれてある。「お世話になりました。元気で! 須川」(原文ママ)。短い。字が綺麗じゃない。太いペンで書いたせいで字が潰れている。寄せ書きを書いてくれている時、ぼくは須川くんに進学先のことを尋ねてみた。都内の工業大学に進むらしい。そこで彼女ができたりするのかな。工業大学にどれぐらい女子がいるのか知らないけど、そういう環境で出会った相手ほど余計に大切に思ったりするもんなのかな。アルバムを受け取って「ありがとう」とお礼を言うと、須川くんは「じゃあな」とぼくの目を見て言った。その時ぼくが「うん」と返したのか「ん」と返したのかは憶えてない。当然の話だけど、ぼくはそれから須川くんに会っていない。須川くんのことを考えることも少なくなっていった。

 とにかく、これがぼくの初恋の話だ。そして、ぼくが初めて他人に自分の性的指向を明かしたという話でもある(ネット掲示板での相談を除く)。たぶん、というか間違いなく、須川くんはぼくから告白されたことを誰にも話していない。須川くんの身になってみれば、友達だと思っていたやつから急に告白された上に、そいつが実はゲイだという秘密を抱え込むことになってしまったわけだからとんだ災難だったろう。須川くんには悪いことしちゃったなと思う。ぼくはこの経験を通じて、ゲイがノンケに恋をすることは誰にとってもよくないことだと学んだ。──でもさあ、そうは言っても恋愛感情は理屈じゃない。これが見苦しい開き直りだってことは分かってる。でも、頭ではどんなに理解していても心が勝手に騒ぎ出してしまう、それはもう避けようがないことだから、だから、恋愛ものの小説やドラマは大昔から廃れることなく支持を集めているんじゃないか。結局のところ、ぼくはぼくの初恋を否定する気にはなれない。だって、頭と心は別物なんだぜ。

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