10億秒生きた、みたいだ。
31歳になりました。
だいたい10億秒生きると31歳になっているみたいです。
(実感こそないものの、時の流れははやいものですね。)
最近、こんな本を読みました。
『チ。 ―地球の運動について―』魚豊
時は15世紀。ある真理の証明に己が全てを賭した人々がいた―― 命を捨てても曲げられない信念があるか?世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?
異端思想が過激に弾圧されていた中世ヨーロッパ。主人公の天才児・ラファウは”合理性”に従ってさえいれば世界はチョロいとナメていた。しかし、ある日ラファウの元に現れた謎の男が研究していたのは、異端思想ド真ン中の「ある真理」だった――
(単行本帯より)
「マンガ大賞2021」にて第2位を受賞した作品です。(既にお読みになられた方も多いのでは?!)
15世紀当時の真理は、地球を中心として太陽や惑星が動いているとされる「天動説」で、そこに異論を唱える者は異端として弾圧が繰り返されていました。
この物語は、その弾圧に屈することなく、「地動説」という真理を追い求めた者たちの探究の物語であり、例え弾圧によって命を奪われようとも、その英知を次の探究者へ受け継がんとす、バトンをつなぐ物語である。
面白い部分がたくさんあるんですが、「バトンを受け取る、時代がつながっていく感じ」が僕の好きなポイントでもありました。
僕は10億秒生きたわけですが、その中で
先人から受け取ったバトンって、何だったろうか。
と振り返ると――、パッとは出てこないわけです。笑
まぁでも、学校の勉強(教科教育)は、「先人たちが辿り着いた現時点で最も真理に近しいと考えられる英知」を受け継ぐ行為でもあるなと思うので、その意味で言えば、まるっとバトンを受け取ったと考えられもします。
あと、大学の卒業(修士)論文を書くときに必ず行う先行研究。自分と同じような仮説をもっていた人は過去にもいて、その人たちはどのような研究・考察を行っているのかを知る(理系なら、ゼミの先輩たちの実験結果を引き継いだり)こともまた、バトンを受け取る行為かもしれません。
――では、そこから社会人になって、僕は何のバトンを受け取ったんだろう。
NPOの世界に入って今年で5年目。
2020年は、NPO法ができて20周年の年でもありました。
NPO法の制定にあたって尽力された方のお一人、山岡義典さんは著書『時代が動くとき―社会の変革とNPOの可能性』の中で
日本は市民社会をつくったことがありません。だから、かつて市民社会をつくったことがないところに、今、私たちはそれを革命なしでつくろうとしているわけですので、それはたいへんなことです。
という旨を述べています。
それを見て、僕は僕が立っている場所について、少しだけ理解が進みました。僕たちは市民社会をつくろうとしていること、そしてその道は険しいものであること。
一方で、(当然ながら)10億秒生きても、僕はまだ僕が立っている場所をまだよく知らない。
様々な挑戦と探究の中で、自分が立っている場所や受け継いでいるものを認識できる。その感覚は、とても面白いなと思うし、僕にとっての「勉強」とは、そういうものなんだろうなと思ってみたりもします。
ジョージアのCMで「世界は誰かの仕事ででできている」というコピーに表されるように、世界は「誰かから誰かへ受け継がれたバトン」で構成されていて。そう考えると、自分から見える世界は(以前よりも)ずいぶんと色鮮やかになったなとも思います。
それは「僕の10億秒」で認識できる世界で、この先僕がどんなバトンを受け取るかで、また見え方も変わっていくのでしょう。
――皆さんは、どんなバトンを受け取っていますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?