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キャリア教育、その探索と深化の往還。

キャリアの探索

ここでは「探索」とは、自分が目指す道を探し求める行動であると定義します。

そして、探索状態にある人は、
・自分がどこに立っているか分からない
・今持っているリソース(手札)だけでは答えに辿り着けない
という、いわばモラトリアムにあると仮定します。

そのような人たちが、自分が立つべき場所や目指す道を見つけるために理解が必要なことは「自己」と「社会」でしょう。

すなわち、「自己」と「社会」に関して認識できる領域(世界)を拡張していくことが、探索方法になると考えます。

自己概念の拡張

まず、自己理解の拡張については、ジョハリの窓が土台となる概念です。

自己概念の拡張プロセスは、①自己開示と②他者フィードバック。

自己開示する過程で、自己に関する省察が進みます。また、他者からのフィードバックによって新たな自分に気づいたり、他者と相対化しながら自己を客観視することで、自分の特性を認識したりします。

認知できる世界の拡張

自分が認知する世界の外にも世界が存在する。ソクラテスが「無知の知」を説いたように、あるいはコロンブスが新大陸を発見したように、自分が認知できる世界は常に限定的であり、その外側が存在することに自覚的になることを出発点として、「認知できる世界の拡張」は始まります。

その拡張プロセスは、①既知の再構成と②未知との遭遇だと考えます。

①既知の再構成は、既に知っていることに関して、多角的な視点で捉え直すことで、その輪郭が再構成されていくことです。

例えば、「大人」や「仕事」。中高生からすれば、大人は不安や悩みなどない、自分とは全く違う完全的な生き物に見えます。しかし、実際のところは大人も子どもと変わらず不安や悩みはあって、それでも歩みを進めている生き物であると知ったとき、「自分たちと近しい」と思えたりします。仕事についても、「仕方なくやること」と考えていたけど、それと異なる意味付けをしている大人との出会いによって、「仕事」に対する認識は変容していきます。

②未知との遭遇は、今まで出会ったことのない生き方や働き方、仕事をしている大人との出会いです。

未知とは既知以外のことであり、既知領域は家庭(出自)や地域の特性が変数となります。公務員一家に生まれた子どもは、公務員生活について(ロールモデルとなる親が近くにいるので)想像に難くない一方で、それ以外の生き方を知る機会は少ない。そうなると、「公務員でいいか」という選択になるわけですが、それは最大化された可能性の中で検討された選択であるとは言い難い。

出自や親の職業に影響を受けることを一概に悪いとは言いませんが、完全に階層化された社会で生きることが、個人にとっての最大幸福の追求だとも思いません。

探索手法

では、そうした探索はどのような手法で進められるのか。

NPOだっぴの場合は、「異なる他者との対話」が手法となります。ポイントは、自分と異質なものと接触することにあると思います。マトリクスで整理すると下記のようになるでしょう。

キャリアの深化

「探索」によって自分が目指す道の仮説を生み出すことができれば、それに基づいて歩みを進める「深化」にフェーズを移します。

深化フェーズにおいては、
・キャリアの線形性を見出す
・対象分野について細分化・高解像度で探究していく
ことを行います。

線形性を見出す

まず前提として、生き方は複雑で非線形的です。偶然の出来事から始まった変化、その連鎖がバタフライエフェクトとなって思わぬ結果を生むこともあると思います。

その一方で、線形性も考えてみます。例えば、学校の先生になるためには教員採用試験に合格することが必要で、そのためには○○を学んでおく必要があるといった具合です。

職業をベースに考えれば、○○を学ぶことで職業適性が高まる。では、○○について自分は興味を持てるだろうか、とりあえず学んでみる。

関心を寄せる世界に触れてみる

自分が関心のある分野が見つかったら、インターンシップに参加したり、関連書籍を読んだり、その世界に詳しくなる行動をとっていくでしょう。

詳しく触れる中で、その世界と自分が合っているか判断をしていきます。そしてしばしば、深めれば深めるほど、「思っていたのと違う」「また分からなくなった」という状況になることもあると思います。

例えば、学校の先生になりたいと思って教育学部に入ったものの、教育現場を体験してみて、自分には合っていないかもと思い始めたり、教育の世界は学校教育だけでないことを知り、また困惑したり。

往還する感覚を得る

発散と収束のイテレーションは1回で終わるわけではなく、連続的です。「教育」をいう分野に絞って深化していったら、「学校教育」「学校外教育」「生涯教育」という領域を知り、また発散(探索)フェーズに移っていきます。

こうした往還のイテレーションを何回転もさせて、人生は開拓されていくのだと思います。その中で1つ大切かもしれないことは、このイテレーションを保留し過ぎないということです。

とくに、最初の1回転目で足踏みしてしまうと、モラトリアムから脱却しにくくなるのではないかと懸念します。(結果的に)意味のある足踏みもあると思うので、全く不要というわけでもないですが。

中学生だっぴのプログラムは、学校の授業でキャリアの探索を行っているのだと理解しています。自分のキャリアを探っていく機会が遍く享受されるよう、岡山県内外(まずは岡山県内)に拡大していきたいと思うばかりです!

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