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思慮深く放たれた言葉なら勘違いなど生まれない。

しっかりと雨が降る。
消防車や救急車がいつもより多く感じる金曜日。

取引金融機関に出向き生田川へ、閉店後のお好み店でお母さんと談笑し、磯上で美人とお茶デートに誘うがフラれ、仕方なく年に2回ほど食べたくなるカツ丼を喰らい、早く店に着いたが駐車場から歩くだけでパンツの裾と靴、靴下がずぶ濡れで、使ってないドライヤーが役に立つ、そんな夕刻である。どうも「夜の街」加納町志賀でございます。

ラーメン小池さんが何度も言うもんだから、すっかり僕らもクラスターの発生源の仲間入りである。以下、本日の会見による抜粋。

『接待を伴う飲食店の従業員など夜の繁華街関連の感染が増えているとし、都民に対し「(感染拡大防止の)ガイドラインを順守している店を除き、新宿、池袋などの夜の街、夜の繁華街への外出を控えてほしい」と訴えた』

「接待を伴う」「夜の繁華街関連」「ガイドラインを順守」
これらはタバコや酒のマナーと同じで、ほんの一部の振る舞いに、感染の増減が左右されるのは本当に歯がゆいものである。

まぁ僕はと言えば、それが今は安全とされる神戸であっても段階的にゆるやかに歩を進めるし、お客と共に羽目を外し「勢いでやってしまう」店にはしない。何も優等生ぶっているのではない。僕自身が怖いのだ。来てくれとも相変わらず言えない。持てない責任は、最初から背負わないほうがいい。大抵は、ことが起こってしまった時にその荷の大きさに気づく。

考えてみれば、そもそもこの店も自分から「会員制」などと謳ったことなどないのに、他はそう呼ぶことが多いし、僕はシンプルに「家」だと思っているがゆえに誰でもどうぞとは言わなかったり、素性の判る人がまたその感性で人を連れて来てくれるということで存続している店だ。外からは会員制だと思われ、こちら側に入れば家のような店だと気づく。外からのイメージと、中を見た人の印象とのギャップがあるほどに店は守られる。

そうした勘違いは、ソレを知らないと解り得ないものである。

だから軽く(ご本人たちはそう思ってないだろうけど)「夜の街」一括りにしないでほしいし、ちゃんとガイドライン守ってる『慎重な』夜の街(例えば接待を伴う女性のいる店だって)もあって、マチは成り立っている。

勘違いは、繁栄と衰退の狭間で動くデリケートでセンシティブなものだ。プラスに捉えらえるものとそうでないもの。行動に移さないイメージの反芻など、答えの出ない悩みだ。考えるだけ無駄な時間であり、飛び込んでみれば期待や希望に変わる場合もあれば、自分に合わないと知ることもできる。

話の落とし所が分からなくなってきたが、要するに勘違いなど、その対象の毅然に見られなくなるものである。ただしそこには一貫性が伴わないといけない。行政や政府に文句をつらつら放るよりは、堂々胸を張り黙々と足跡を残したその先に、勘違いから信頼へと境界線が現れる。

体育大学の頃、阪急電車のつり革をつり輪のように使ってたとか、網棚でトランポリンの練習をしていたと揶揄された、他者の思い込みに対して文句を言いそうになってた自分に、今はドロップキックしたい気分だ。

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