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なくしてはいけないモノたち。

ニュースになってる。

とうとう逮捕者が出始めた。休業要請を受けて給付金申請したのに、密かに営業していた店の詐欺検挙が後追いで始まっている。これは想像の範疇だが、いずれにせよ正直者が馬鹿を見る世界であってはならない。

「どうせそこまで細かくバレないでしょ」「ナンダカンダ言ってもみんなやってるから」無責任な行動が判った時、崩れ去るモノ、その代償は大きい。店に立つ者の姿勢に客層ができる。コロナ前も後でも何ら変わらない。



数日前、店の休みの日曜日。コロナで尚更、元々滅多に乗らない電車で三宮に向かった。マスクが当たり前の車内は空いている。日常が変わった。

ここ数年、神戸の未来やスポーツのこと、ラグビーワールドカップを語り合った、近く神戸を出る方のお宅へ。マチのイベントで会う姿やホームパーティの「ノリ」で大抵その人の立ち位置、マチとの関わり方がよく判る。

主に神戸生まれ育ちの人ほどに、神戸を狭いとか、村社会だと揶揄する人があるがそれは当の本人の捉え方次第で如何様にも変化する。「マチが狭い」と言う人と、それが「感性の引き寄せ」だと思う人は違うのだ。

仲間内、身内、居酒屋の数人が増えたような集まりも楽しいものだが、またいつものこのメンバー?どこかにステークホルダー絡んでる匂いがしないか?…そうした会なら、苦手極まりないから遠慮する。

そんな時の判断は至ってシンプルである。主催者にシンパシーを感じて参加したくなる理由は「二人で差し向かいに話し込んだことがある人」であり、他者との付き合いに「終始一貫性のある人」の場合だけだ。

例えば、ラグビーに詳しい人だけで何とかしようとしてもその域は出ない。
そういう意味合いに於いて、元々神戸の人ではない人が多く、職種も幅広いのも良かった。これがその場での最後の会らしいから、本当の付き合いも見える。神戸の発展的な話にも繋がる会。なかなか楽しかった。



京都の実家からメールが入る。

2024年から古いお金は使えなくなるの?どうやら老人特有、1万円、5千円、千円、500円玉の刷新を勘違いしているようだった。キャッシュレスにも不安なようだ。確かに、コロナ禍でより現金のやり取りに抵抗を感じるようになった。キャッシュレスに対応できない施設はどんどん取り残されることだろう。ただ時の流れと共に、なくしてはいけないモノはある。

リモート飲み会や会議でやたらと「おっしゃる通りです」と、ちゃんと聞いていますよアピールする人が多いことに違和感を持たなくなると、目の前にいる人の息遣いや微かな表情の変化を感じ、聞く耳を持ち、「間」を用いながら相手を想い、自分の言葉で交わすことを忘れてしまう。

袖触れ合うこともなく、目の前でありがとうやごめんなさいと言わない。
端折りたい、過程を避けたい、面倒な対話はいらない。

ならば、人を信じること、関わることなどやめればいい。

それが胸を張ってできるなら、アナタは独りで生きていける。

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