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私の略歴

(1)私の略歴
 では、こういうことを書いている私がどういう人間が少しご説明したいと思います。
 私はシャープ株式会社で三十年、商品企画(マーケティング)とかブランディングの仕事をしてきました。退職時に係長という役職だったので、決して出世した訳ではないのですが、面白い仕事をしてきたという自負はあります。
 もちろん最初に配属された先が幸運だったとか、時代が良かったというのは当然ありますが、自分なりに考えてやってきて成果を出してきたという側面もあり、システム直感法の説明も兼ねて、そのあたりを説明させていただきたいと思います。
 組織というのは、もともと理不尽なところです。優秀な人間が上に上がれる訳ではありません。逆に優秀であればあるほど、組織から排除される傾向があります。三十年シャープにいて、優秀な人ほどシャープを辞めたり、冷や飯を食ったりしているのを見て来ました。
 若い当時は良く分からなかったのですが、基本的に人は自分より優秀な人間を理解できないし、器が小さいほどイエスマンを好む傾向にあるという厳然とした事実があります。創業者社長ならいざ知らず、普通の人間は自分より下の人間しか人は評価できないので、代を経るにつれてどんどん器が小さい人が経営者や管理職になる傾向にあります。大企業病とか官僚主義とか一般に言われる話です。
 さらに、組織が大きくなると実務能力よりも、組織の調整能力とかの方が重視されて来ます。官僚主義とか派閥とか言われるものです。もちろん、そういう官僚主義の中で生きて出世することも、派閥の争いの中で生きることも可能ですし、今まではそういう生き方が評価されて来ました。
 しかし、これからはそういう「組織を調整できる能力」よりも「自分の才能を組織の中でいかに活かしていけるか」の方が重要になってくるでしょう。なぜなら、組織というもの自体がだんだん不要になってくると思われるからです。
 「相棒」というドラマの杉下右京とかをみてください。彼は出世をしていませんが、必要があれば、組織を動かし、硬直化しがちな警察という官僚機構の中で、警察の本来の仕事を全うしていきます。多分、組織の中で生きる=活きるということは、ああいうスタイルになるのでしょう。またそういう個人を確保できない企業は、これからどんどん淘汰されていくでしょう。
 もし才能だけの勝負であれば、一部の天才にしか勝ち目はありません。しかし、直感力は誰でも持っていて、開発できるものです。組織の中で、自分の直感力を活かしてAI時代を生きていく、ということは実は誰にでも可能なのです。
 万人に可能といいましたが、特に経営者や個人事業主の方には必須だと思います。また、独立までしなくても副業解禁の企業が増えると、副業をされる方が多くなると思います。そういう時にも、システム直感法は必須だと思います。そういう皆さんの参考になるように、これから私の略歴をシステム直感法の話を絡めながら、具体的な例を含めて説明させていただきたいと思います。

(2)本質を考える
 私が商品企画として担当した機種で、よくご紹介させていただくのがこの携帯端末ザウルスと携帯電話の通信システムです。この接続システムを私が初めて開発しました。今の人はご存知ないかも知れないのですが、シャープはもともと情報商品が強く、電卓などの分野に強みがあったのですが、アドレス帳やビジネスデータを個人で持ち歩くザウルスという商品を開発し、人気を博していました。
 私はザウルスそのものの担当では無かったのですが、ザウルスに通信システムをつなげる担当だったのです。担当だったというか、正確にはこの商品を提案して商品化したという感じです。たまたまある会社から、私の同期の所に通信用チップの売り込みがあり、その話を聞いて、社内で企画提案をして最終的に商品化まで持ち込んだのです。
 それまでザウルスはビジネスデータを公衆電話で通信していました。ザウルス時代には、アドレス帳や個人データだけでなく、プログラムを搭載することができ、それらのデータを、公衆電話を通して、会社のパソコンと通信していたのです。しかし、公衆電話だとどうしても通信できる場所が限られて来ます。そこで、公衆電話ではなく、携帯電話を使って自由に使えるそのチップに可能性を見たのです。
 そこで、その時の上司に相談し社内で企画提案しました。提案自体は受け入れられたのですが、技術開発部門と品質部門から反発を買い、自分で開発も含めてやらざるを得ない状況になってしまいました。私は商品企画を担当していたものの、技術開発の仕事も品質部門のやったことがなく、最初途方に暮れたのですが、企画提案して社内でオーサライズした以上、引き下がる訳にも行かずに、チップを開発した企業に支援をいただきながら、何とか技術開発の仕事も品質部門の仕事もこなして、商品化にこぎ着けたのです。
 普通、企業で商品開発に携わるといっても部分的なものが多いのですが、このシステムに限って言えば、数人の部下とチップを開発した企業のサポートがあったとはいえ、全く経験のない仕事を含めてほとんど自分でやったので、自分の成果として人に話をさせていただくことが多いのです。しかも、このような新規性の高い商品にも関わらず6ヶ月で開発、商品化をすることができました。そういう意味で、この商品は私にとってはとても印象の強い商品です。そして、私にとってだけでなく、現代という時代に強いインパクトを与えたという意味もあると思います。
 現代という時代に強いインパクトを与えた、というのは少し言い過ぎに聞こえるかも知れませんが、今のスマホを見てください。携帯電話の中に個人情報や各種のデータ、プログラムが載っています。ザウルスの携帯電話システムと全く同じコンセプトです。
 この話でご説明したいことは、商品やサービスの本質を徹底的に考えるということです。すなわち「直感力を働かせるには、商品やサービスの本質を考える」ということがとても重要なのです。ザウルスの場合、ザウルスという商品の性質上、どこでも会社のパソコンやサーバーにつながることは商品の本質の本質です。逆にそれを無くして商品が成り立たないといって良いぐらいです。
 ザウルスのコンセプトを表現するのにこれだけ良いシステムはありません。展示会とかで注目を集め、ザウルスの商品を売る大きな役割を果たしました。値段が高すぎでシステム時代の売り上げは目標にだいぶ届かず、チップを開発いただいたメーカーには多大な迷惑をかけてしまったということはあるのですが、ザウルスという商品から見たら大成功だったと思います。
 このように、商品やサービスの本質に沿ったものは必ず成功します。逆にいうといかに商品とかサービスの本質に迫れているかが、ビジネスの成否の基本となります。それは同時に直感力を働かせようとすると、その商品やサービスの本質を深く考えるということが必須ということも意味します。
 もう一つ、私が携わった商品に日本語ワープロがあります。日本語ワープロの書院といえば、十年以上シェアNo.1を続けて来ました。パソコンの普及により、日本語ワープロというジャンルが無くなるまで、シェアNo.1を続けていたのですが、なぜずっとトップシェアだったかというと、日本語ワープロの本質にずっとこだわってきたからです。
 例えば、ワープロの黎明期、24ドットフォントが中心だった時代に32ドットフォントを既に採用していただけでなく、その後も他社よりも高い解像度を維持し続け、ベクトルフォントという拡大文字対応もいち早く採用しました。日本語ワープロの本質は、いかに美しい文書やハガキを印刷できるかにあります。この本質にこだわり続けたからこそ、シャープの書院はずっとトップシェアだったのだと私は考えています。
 最近、クレドとか経営理念の重要性が認識されつつあります。クレドというのは経営理念というかビジネスの基本哲学みたいなもので、それを明文化するという話です。有名な例ではリッツ・カールトンのサービスがあります。リッツ・カールトンでは従業員全員がクレドを持って、サービスに当たっているといいます。P&Gのクレドも有名です。
 P&Gの日本の責任者だった方の講演会で話を伺ったことがありますが、P&Gでは毎年1回、世界中の責任者が一堂に会して、クレドの内容をどうするか、3日間喧々諤々と議論をするそうです。多分、クレドの内容もそうですが、それを3日間考えるということがとても大切なのだと思います。日本企業も経営理念とかクレドの重要性を認識しつつありますが、どちらかというとトップダウン的な位置付けであり、従業員が商品やサービスの本質を考える、というところまではいっていないように感じます。深く考えることが潜在意識に深くインプットすることになり、直感力の源になるのです。
 ちなみに、私が入社した時に配属された部署はMZパソコンというパソコンの商品企画部門でした。当時、日本のパソコンの黎明期でシャープのMZシリーズと日本電気のPCシリーズが競い合っていました。もちろん私は新入社員だったので責任のある仕事をしていた訳ではありませんが、その場にいたことで理解出来たこともあります。そういうことを少し話させていただきます。それを言葉にすれば「本質の掘り下げ」とでもいうべき話です。
 実はシャープのMZシリーズといっても、二つの流れがあったのです。その後から出されたX1シリーズも含めたら、3つのシリーズのパソコンが存在したことになります。どう違うかというと、商品を作った部門が違ったのです。MZシリーズは、シャープで部品を作っていた部門と電卓を作っていた部門とが作っていました。有名になったのは部品を作っていた部門で作っていたものです。部品関係は大阪、電卓関係は奈良と作っていた場所も違っていました。
 それが、部品関係の部門から電卓の部門で開発されるようになりました。私が入社した時は、移管された直後でした。そして、それがMZシリーズの不幸でした。私は電卓関連の部門だったので、あまり不幸とは書きたくないのですが、それがMZシリーズの失敗の原因だったとは思います。
 何が失敗だったのか、それはパソコンの情報を開示するのを制限したことです。部品関連の部門の常識では、部品を使う人のために結構細かいところまで情報を出していました。私もマニュアル担当だったので覚えていますが、回路図までマニュアルに載せていました。
 パソコンの本質は「空の箱」で、サードパーティと呼ばれるソフト開発会社がいかにアプリを作れるかということがパソコンの機能となります。これは幸運な偶然だと思いますが、部品を扱う部門が作ったことが、そのパソコンの本質にジャストフィットした訳です。
 当時のMZパソコンのコンセプトは「クリーンコンピュータ」でした。本体のメモリーには何も入れず、毎回カセットテープに記憶された基本プログラムを呼び出して動かす、そういう形態のパソコンです。これが、エンドユーザーよりも前に、パソコンを開発するサードパーティやパワーユーザーに受け入れられて、MZは好評を博しました。
 しかし電卓の部門は文化が違います。基本的にアプリは自社で用意して、サードパーティに開発してもらうこともないので情報の開示も無くなります。電卓部門に変わってから、回路図をマニュアルに載せることも無くなりました。そして、サードパーティやパワーユーザーが離れていったのです。
 しかし、今度はテレビ関係の部門がX1シリーズというパソコンを開発、発売することになります。このX1シリーズは、サードパーティを意識して情報を開示し、サードパーティに積極的アプローチすることにより、熱狂的なファンを獲得することに成功しました。しかし、パソコンの時代はもうOSによる支配の時代に移りつつあり、6800という独特の系統のチップを使っていたX1シリーズは、メジャーになることは無かったのです。
 このことは本質というものを考える示唆になります。パソコンの本質は「空の箱」です。最初のMZシリーズは「空の箱」でしたが、電卓部門の時は箱の中に自社のソフトを入れてしまいました。X1シリーズの時代は「空の箱」の箱という意味が「ハードウェア」から、「OS」に移った、そういう話です。
 このように本質は「空の箱」であっても、箱の概念が時代によって変わっているケースもあります。こういうことが本質の掘り下げという話です。本質は同じですが、本質を構成する要素は時代とか状況とかによって変わります。そして、偶然上手くいった人よりも、逆に失敗して悩んだ人の方が、明確に意識しているかどうかは別として、その本質を深く掘り下げているように感じます。
 そのいい例がスティーブ・ジョブズです。彼はマッキントッシュというパソコンでデビューして、黎明期のパソコンの中で独特の位置付けを確保しました。しかし、ビル・ゲイツがOSの発想を当時のコンピュータ業界の巨人、IBMに持ち込むことにより、パソコンの勢力図は決まってしまい、マッキントッシュもマイナーな存在となってしまいました。
 サードパーティーは、マイクロソフトのウィンドウズ用ソフトは作ってもマック用ソフトは作りません。どうしてもジリ貧になってしまいます。一時、アップルはマイクロソフトの支援を受けていたほどです。マイクロソフトはマックが無くなると独占禁止法に抵触するので、そういう選択をしたと言われます。
 多分、この時にジョブズはパソコンの本質を深く理解したのだと思います。いわゆる「空の箱」という話です。「空の箱」が重要ではなく、「空の箱」に入れるものをどう用意するかが、成功の鍵となります。
 彼はその後、音楽用の「空の箱」、スマホという「空の箱」を創りあげ、米国の予算を上回る市場価値のある大企業を育てあげます。そして、パソコンの時の失敗を踏まえ、音楽やアプリを配信する仕組みを自ら作り、サードパーティーがアプリを創りやすい環境を整備します。開発環境を安く提供し、ソフトの開発が複雑にならないように、画面解像度などをジョブズ存命時は頑なに同じにしていました。これは彼がパソコンの逆境の中で「空の箱」の本質を掘り下げられたからこそ、出来た話ではないかと思います。
 私はウェブの仕事がしたくて海外のウェブ担当になりましたが、恥ずかしい話、ウエブというビジネスの本質を当時は見誤っていました。当時はITバブルという言葉もあり、起業して幻想を抱かせ、高値で売り抜ける、そんなイメージを持っていたのです。
 しかし後で気付いたのですが、ウエブビジネスというものの本質は「土地開発事業」だったのです。インターネット上に人の集まる土地を開発する訳です。ですから、とにかく多額の資金を集め、人が集まる土地を開発できたら、いかようにもビジネスができます。広告宣伝もそうだし、モール的に出店を集めても良いし。土地のバブルと、ITのバブルは実は同じ意味を持ちます。とにかくお金を集めてネット上に人の集まる場所を作り、そこで商売をする、それがウェブビジネスの本質なのです。
 グーグル(ユーチューブ含む)やフェイスブックはそこから広告収入に、アップルはコンテンツ販売やコンテンツに連動した端末の販売に、アマゾンや楽天などはネットショップにと、マネタイズの方法は違っていますが、人が集まる場所を開発するというディベロッパー的要素は全く同じです。そして、より深く本質を掘り下げた方が成功しているのです。
 商品やサービスの本質の見方を変えて成功した例もあります。代表例がスターバックスです。カフェというものは、コーヒーを含めた飲み物を提供するという認識があります。しかし、スターバックスのビジネスコンセプトは「サードプレイス」なのです。サードプレイスというのは何か、家が自分の第一の居場所、職場が第二の居場所だとすると、そのどちらでもない快適な居場所、それがスターバックスのビジネスの本質なのです。

(3)本質を表現する
 ザウルスと携帯電話の接続システムという今までに無かった新規性のある商品を作れた理由は意外とシンプルで、「出来ると言って回った」ということ、つまり自分にも他人にも宣言して回ったことだと私は考えています。しかも、よく分かっていない仕事を「6ヶ月で出来る」と言い切って、紆余曲折はあったものの実際に6ヶ月で作れました。
 新しいプロジェクトや新しい商品やサービスの立ち上げなど、いかに検討しようと100%できる確証などある訳はありません。日本人は真面目なので、確証が無いことは言わない方が良いと思う傾向にありますが、新規なことに対して確証があるはずがありません。それでも言い切る、それがとても大切だと思います。
 「自分と周囲に宣言する」→「やってみる」→「出来る」→「自信がつく」という繰り返しこそが、人間の創造する力を育てるものだと思います。ちなみに自信というものは根拠がない方が良いと私は思っています。根拠のある自信は、その根拠が崩れた時に脆く崩れてしまいます。しかし、根拠がない自信は崩れません。日本人は多くの場合、努力量とか、勉強量とか、苦労とか、過去の実績とか自信を過去に求めがちですが、過去の根拠に基づいた自信は、何かあれば脆く崩れます。そして、新しいことにチャレンジするのに役に立ちません。
 また「想いは実現する」という話もあります。しかし、心の中で思っただけでは実現しないと私は考えています。それを言葉にして、自分も含めて多くの人に話すことで初めて想いは実現するのです。ですから、根拠がなくても自分の想いを多くの人に伝えることが大切だと思います。
 そして、宣言すると不思議な直感が働き出します。なぜか不具合の出そうなところが先に分かったり、トラブルの解決法がふと思い浮かんだりします。つまり「宣言すると、その実現に向けて潜在意識がフル活動し始める」ということなのです。それから宣言すると情熱とか本気度が伝わるようになります。
 もちろん情熱とか本気度とかは言葉だけでは伝わりません。何か形にして伝えないと人は相手にしてはくれません。だから、何らかの形で本気度を示すことは、人を動かすのに欠かせない要素だと思います。
 特に新しいこと、今までに無かったことの場合は、人は利益とかでは動きません。利益で動くのは、既に実績があったものだけです。全く新規のものに関して、利益とかで動く人はほとんどいません。特に日本人は尚更です。日本人は、実績が出るまでは基本的にサポートしようとしません。海外、特に欧米系の人は、ガッツがあるとか面白いとかでサポートしてくれますが、日本だと余程の実績がないと、ほとんどの人は「口は出すが、サポートはしない」という感じになってしまいます。それを覆せるのは、情熱や本気度を示すしかないと思います。
 新しい挑戦をしている人たちにこれは声を大にして言いたいのですが、実績さえ出せば人の評価は180度変わります。そして、その時の評価は何もしなかった時の何倍にも良くなります。実績を出した後は周囲が違った目で見るようになります。
 ザウルスの話で「宣言をする」の話をさせていただきましたが、次にワープロの書院の話では「表現する」という話をさせていただきます。宣言と表現は違うようでいて、近い概念なのです。
 若い方はご存知ないかも知れませんが、少し前までは日本語ワードプロセッサー=日本語ワープロという商品がありました。今でいうならパソコンのワードだけを独立させた専用機です。このワープロがかなり売れていました。液晶テレビが爆発的に売れる前はシャープの中でも稼ぎ頭になっていた程です。
 ちなみにシャープの日本語ワープロ「書院」といえば、ワープロが世に出た時から存在し、パソコンの普及で日本語ワープロという商品が終わるまで、ずっとシェアトップを維持していた伝説のブランドです。
 書院は、日本語ワープロの本質である「美しい文章を作る」ということにずっとこだわって来ました。そして他社が24ドットの時には32ドット印刷をとか、他社に先駆けて拡大文字を綺麗に印刷出来るベクトルフォントを、とその本質の部分では常に他社に先を行っていました。しかも、その先に行っている部分については、誰でも簡単に分かるような表現をする、というのが多分、とても大切だったのではないかと思います。
 この本質で表現する、というのが大切なポイントです。本質以外で表現しても、実はあまり意味がありません。シャープの創業者である早川徳次さんの言葉に「人に真似される商品を作れ」という言葉があります。私も若い頃は単純に、他人に真似されるような独創的な商品を作れという意味で理解していたのですが、後でこの話のもう一つの意味を理解できました。
 いかに独創的な商品や技術であっても、人が真似もしないような商品は市場が無いのです。先程の話でいうと、本質を外した独創性には意味がありません。変わった商品とか、変わったサービス、という話で終わってしまいます。ですから、本質を押さえること、その本質の中で独創的であること、その2つを兼ね備えないと「他人に真似される商品」にはならないのです。そういう意味で、本質を外さないということは、とても大切です。
 同時に、本質を押えて独創的であっても、他人に理解されなければ意味がありません。他人に分かりやすい表現が必須になります。24ドットとか32ドット、64ドットみたいな表現は、数字なので一目瞭然です。逆にいうと技術開発とか商品開発の段階で、一目瞭然の差別化が出来ることを前提にする必要があります。
 一時期、書院の宣伝で「の」という文字の巨大な拡大文字を使っていたことがあります。ベクトルフォントという、文字を大きく拡大しても綺麗に印刷できる技術の宣伝だったのですが、曲線がギザギザにならず綺麗に印刷されているのが、これも一目瞭然でした。
 もちろん、こういう表現ができるものは少ないかも知れませんが、ワンワード、ワンフレーズに落とし込むということは大切です。これは仕事の話では無いのですが、昔、ある警備会社の社長と雑談をしたことがあり、その時ネーミングのアイデアを伝えたことがあります。その会社では、夜の仕事の女性を警備マンがエスコートするというサービスを始めるということで、そのサービスに「シンデレラ・サービス」と名前をつけたらどうですかと雑談の中で提案させていただいたのですが、半年後関西の深夜番組にその社長が出て「シンデレラ・サービス」という名前でそのサービスの話をされていました。
 テレビを見ている時に雑談の時に一緒にいた友人から「あれは金子さんのアイデアですよね」と電話がかかって来て「まあ成功すれば良いのでは」と返答しておいたのですが、このように本質の差別化のポイントを、ワンワードとかワンセンテンスで表現することは、どのような商品であれ、どのようなサービスであれ、とても大事なことなのです。
 もともと、人は他人の話をほとんど聞いていないので、ワンワードとかワンセンテンスに落とし込むのはとても大切なのですが、インターネットが普及し、世の中に情報が氾濫すればするほど、表現を絞り込んで、短い言葉、簡単なビジュアル、シンプルで短い動画といったそういう要素が重要になって来ていると考えます。
 ワープロの書院も、入力も素晴らしかったし、編集も印刷も素晴らしかったですが、表現する時は徹底的に絞り込んでいました。印刷の場合は、例えば拡大文字だったり、入力の表現であれば「暑い」と「厚い」を自動判別するソフトだったり。カタログには一応全ての機能を書いていましたが、表現が徹底的に絞られていたと思います。
 そしてそれが、ずっとトップシェアを維持出来た秘訣の一つだと思います。ビジネスを安定化させたり、シェアを拡大させたり、トップシェアを維持するためには、本質を表現するだけでなく、それを徹底的に絞り込んで表現することが大切な要素ですが、それはお客様に伝えるという意味だけでなく、販売してくれる人、開発してくれる人、関係者全てにシンプルにメッセージを伝えるという意味で、とても大事な話です。
 宣言するのも、表現するのも、実は「他人に対して意思表示をする」という意味では同じです。先の「宣言する」という話ではシンプルな話をしていましたが、それは他人に対する説明=自分の認識の強化ということであり、その時の表現が本質に沿っているかはとても大切なのです。
 個人のビジネスに関するワークとして「自己紹介を考えてもらうワーク」を行います。自己紹介は自分を定義することになるからです。それは、自分の宣言でもあり、表現でもあり、自分定義でもあります。現代人は、自分という概念を他人からの評価で構築していますが、本当は自分自身で自分を定義することが大切です。例えば、夢を語っている人、尊敬する人がいる人は、自分定義を無意識にしています。自己紹介は、この自分定義に最適なのですが、そこには、宣言するとか、本質を表現するとか、全てのエッセンスが詰まっています。
 現代人は自分を定義するということを知りません。人間は成長の過程で、親からとか、先生からとか、友達からとか、自分がどんな人物かを聞いて、自分の姿を作り上げます。それもバラバラなイメージです。しかし、自分で自分を定義する人はあまりいません。
 しかし、ごく少数ですが自分を定義している人がいます。例えば夢を追いかけている人です。その夢がその人の自己定義になります。また尊敬する人物がある人もそうです。ソフトバンクの孫正義さんは、社長室に等身大の坂本龍馬の写真が飾ってあるそうです。孫さんにとっては、坂本龍馬が自分を定義する自分定義になっているのでしょう。このように現代でも自分定義をしている人はいますが、ほとんどの人は自分定義をしていません。自分定義がなければ実はブランディングは成り立たないのです。これは企業も同じです。
 物が溢れ、市場の主流が生活必需品から付加価値商品に変わってくると当然、どこのブランドの商品を買うかになってきます。企業の顔=商品の価値になってきます。それは各ブランドのことをイメージいただいたらお分かりいただけると思います。宣言する、表現するという行為の延長上にブランドというものがあります。
 エルメス、グッチ、ルイビトン、ベンツ、BMW、ローレックス等々、商品の機能価値よりも、その企業が作っている商品であることに価値があります。最近流行りのパーソナルブランディングという概念もその延長にあり、「何を買うか、どのサービスを受けるか」よりも「誰から買うか、誰のサービスを受けるか」ということが個人業の世界でも重要になってくるのです。私はブランド本部には所属していたものの、メインの仕事は販促とかウェブに限られていたので、私が手掛けた仕事というより、シャープのブランド作りみたいなことをベースにブランドに関する話をさせていただきます。
 初期のシャープは「目の付け所がシャープでしょう」というフレーズに代表されるように、世の中に少し変わったもの、独創性のあるものというブランディングをしていました。ブランディングをしていたというより、独創性の高い商品を出して来たので、そういうイメージが予め出来上がっていたというのが正しい表現かも知れません。
 1953年の国産第一号テレビから始まり、電子レンジや電卓といった新規性の高い商品を世に送り出し、電機メーカーとして世間の認知を広げていきました。カシオとの電卓戦争を通じて、家電だけでなく情報商品のシャープとしての認知も広がっていきました。しかし、競合他社と比べて体力が弱かったシャープは商品の開発は成功するものの、他社に追いつかれて、営業力で他社にシェアを奪われるという状況だったことも事実です。また、品質に関しても、他社と比べてユーザーの方の信用度は低いという面もありました。
 そういう独創性を言葉にしたものが「目の付け所がシャープでしょう」という言葉です。そして、しばらくシャープ=独創性=変わった商品を作るメーカーというブランドが定着していきました。また、それを裏付ける商品も数多くありました。
 シャープは商品だけでなく、部品も手がけていました。電卓などに利用するLSIを作るのにスケールメリットがあったのです。シャープが初期の任天堂ファミコンを作っていたという話もあります。この部品事業の発展が液晶技術を生み、液晶テレビや液晶搭載のワープロなど、すべての商品を液晶で統一した訳です。
 ここで、シャープのブランディングは「液晶のシャープ」になりました。液晶やLSIなどは装置産業であり、巨大な投資をしてそれを回収するというビジネスモデルになります。その「液晶のシャープ」のイメージを強化するように国内に最先端の工場「亀山」を作り、当時の「物作り日本の復権」といった世論の流れに乗って、一躍家電のトップブランドになったという流れです。
 その後、その装置産業の巨大投資は堺工場の建設で裏目に出て、台湾の企業に出資してもらう流れになりましたが、「液晶のシャープ」以降のブランディングはまだ確立していないように思います。私が退職して5年以上経っているので、私の認識が不足しているだけかも知れませんが、「目の付け所がシャープでしょう=独創性」→「液晶のシャープ=物作り日本の復権」の後のブランディングの話は認識できていません。
 例えばトヨタ、トヨタのクルマは品質が優れていることで知られています。トヨタの自己定義は「品質の良いクルマを作るメーカー」と言っても良いかも知れません。別の表現をすれば、トヨタがユーザーに約束するものは「品質」と表現しても良いかも知れません。
 以前、イギリスの番組でいかにトヨタのトラックがタフかをテストしたことがあります。紛争地域では、テロ組織とかが必ずトヨタのトラックを使っているからタフに違いないという理由です。色々なところにぶつけたり、海に流したり、大きな鉄球をぶつけたり、最後には火を着けて燃やしたのですが、それでも簡単な整備でトヨタのトラックは動きました。番組の殿堂入りをしたそうです。
 このようにタフで品質が良いこと、それがトヨタのブランドなのです。スバルは米国でコアなファンに人気がありますがスバルの自己定義は「スポーティな動作性能の良いクルマを作ること」だと思います。動画サイトを見るとスバルのクルマが雪に埋もれた状態から苦もなく脱出するシーンとかが出てきます。
 この他、ベンツは「高級感、ステータスと安心」、BMWでは「スポーティなクルマ」など、クルマのメーカーには、自己定義というかお客様への約束というか、そういうものが存在します。そして、それがブランドの根幹になるのです。個人についても同様なことが言えます。自分は何者であるかを最初に自己定義することが、パーソナルブランディングにとっては一番大切なことなのです。
 以前、海外のアクオスのテレビCMとウェブの連動プロモーションをやったことがあります。当時、続きはウェブでという言葉が流行った時代で、コマーシャルで流れる動画が実は物語になっていて、その謎解きがウェブで行われるというもので、当時としては斬新なもので、米国のメディアとかでも一部紹介されました。
 あとで考えると興味を引くという点では成功したのかもしれませんが、本質的に成功だったかと言われると、今から考えるとノーだと思います。広告宣伝は経費か投資かというと、投資でなければなりません。経費は一時的に消える金、投資は蓄積されて意味をなす金、という理解でいうと、広告は蓄積されないと意味がないと思います。その宣伝プロモーションは、斬新で注目を浴びて、シャープを認知させたという点では成功ですが、シャープがどんな会社かというメッセージを伝えることはできていません。販促にはなっても、ブランディングにはなっていないのです。ブランディングとは投資でないといけません。
 少し違う話をします。戦国時代のブランディングという話です。ブランディングを説明するのに戦国時代はとても分かりやすい題材だからです。当時の戦国大名は実はブランディングにこだわっていました。
 例えば織田信長、織田信長は美意識が高かったのもありますが、ブランディングの力も優れていたと思います。戦国時代は誰の味方をすると生き残れるかを真剣に考えていた時代です。ですから、味方にも、部下にも、上手く自分をアピールしてついて来させないと成功できません。
 信長は、斬新さやスケールの大きさを上手く演出しました。西洋の進んだ技術を取り入れたり、楽市楽座で経済を発展させたり、旧勢力にとっては一番嫌な存在だったと思います。またそれまでの戦国時代の城は守るための城でしたが、安土桃山城は権威を見せつけるための城として作られた初めての城でした。ですから城内の道もまっすぐで、敵が攻めることを全く想定していません。
 織田信長が斬新さ、スケールの大きさをアピールしたとすると、後継者の豊臣秀吉は、何をベースにブランディングしたのでしょうか。一つは金持ち、実際唸る程お金があったのは事実ですが、それを中心にアピールしています。そしてもう一つは女好き。これは女性が好きというより、女性を差し出せば敵でも許す、と厳しい信長とは違う面を出した点です。
 そして徳川家康。徳川家康は、先の二人に対してかなり地味です。しかし、多くの戦国大名を味方につけるためには、何かブランディングが必要です。そしてそこで考え付いたのが、「東海一の弓取り」、つまり戦争にかけては自分が一番というブランディングです。
 誰が、真田幸村を日本一の武士(つわもの)にしたか知っていますか?実は徳川家康なのです。徳川家康が江戸城の中で、真田幸村を称えたのでそれが日本中に広がって、それから真田十勇士のような物語も作られるようになりました。大坂冬の陣のあと、徳川家康が幸村を称えたので遺品を他の戦国大名が先を争って手に入れたそうです。
 徳川家康の器が大きかったと思っている人も多いと思いますが、「東海一の弓取りが、地方の田舎侍に負けかけたとあっては家康のブランディングが崩れる」というのが本音ではなかったかと私は考えています。武田信玄の伝説も同じです。最強の武田騎馬軍団の伝説は、家康が作ったのではないかと思います。
 広大な中国ならいざ知らず、狭い日本のしかも山国の甲斐に騎馬軍団の活躍する場所はありません。それに当時、日本人の体型が小さかったとはいえ、当時の重い鎧をつけて走ることができる大型の馬などは日本にいませんでした。サラブレッドなどのアラブ種の馬が日本に輸入されるのは、江戸時代、徳川吉宗の時代を待たねばなりません。
 徳川家康は自分のブランドを守るために自分が負けかけた相手を徹底的に凄いものとして扱っていることが分かります。「私は確かに負けかけたけれど、それは相手が強すぎたからだ」ということを徹底しているのだと思います。戦国時代、自分の力で勝ち残った戦国大名をみると見事なブランディング戦略を行なっています。
 宣言する、表現する、ブランディングと順にみてきましたが、本質を深く考えて理解した次に行うことは、それを他者に表現することです。言葉は違いますが、その本質をどう自分と他人に認識させるか、という点では一致しています。私が経験した範囲はあまり大きくありませんが、何らかの参考になれば幸いです。

(4)仕組みを考える
 ビジネスを安定化するためには他にも大切な要素があります。それは仕組み作りという要素です。この仕組みを作るということは、組織の中で活きる人にも大切ですが、特に自分自身で起業をしたり、個人業をされている方にはとても重要な話だと思います。
 分かりやすい例でいうと、書院に関しては春と秋のモデルチェンジを定期的に行っていました。春にフルモデルチェンジを、秋にマイナーチェンジを行い、開発はほぼ一年毎、というパターンでした。このパターンはどうして生まれたかというと、ワープロの最大需要期が冬であり、年賀状商戦がワープロの勝ち負けを決めるという状況があったからです。冬のシーズンに向けて、秋にモデルチェンジを行います。この時点でフルモデルチェンジを行なって、トラブルが起きたり、目玉の新機能がコケたりすると、シェアが一気に下がり、事業がおかしくなります。
 ですから、秋の段階ではマイナーチェンジに割り切っていました。しかし、春に出た商品をそのまま冬の商戦に使うと、他社に比べて古く感じられ、見劣りするので、マイナーチェンジにより、新しさを訴求した訳です。
 しかし、ベースは春に開発した機種であり、市場に投入することにより、様々なフィードバックが来ています。目玉機能が弱ければ強化できるし、表現も変えることができます。また、営業マンやインストラクターの教育をする時間もあれば、不具合やトラブルに対応できる時間もあります。
 このように、フルモデルチェンジとかマイナーチェンジの時期を決めるだけでも、仕組みを考えることになるのです。自動車は、四年でフルモデルチェンジ、二年でマイナーチェンジが定番です。私は自動車業界のことは詳しくないのですが、多分、ビジネス的に考え込まれたモデルチェンジをされているのだと思います。
 他にも、様々な仕組みがあります。例えば消耗品ビジネス。これは商品を売るのではなく、商品を売ることによって、それに関する消耗品を売ることを主目的とするビジネスです。有名なのは複写機のトナーとかです。
 最近、キングコングの西野さんの話で有名になった「矢沢のタオル」という話があります。これは西野さんなりの分析ですが、歌手の矢沢永吉さんは音楽コンテンツの収入より、コンサートの時に販売するタオルの収入がメインではないか、という説を話されています。コンサートの最後にタオルを放り投げるというパフォーマンスがあるのですが、そうするとタオルを無くす人も多く、毎回コンサートの度にタオルを買うと、その売り上げがバカにならないのではないかと思います。
 このようにメインの商品やサービス以外で売り上げや利益を作り出しているところも多いと思います。あるファーストフードチェーンは、商品の売り上げより不動産収益が多いといいますし、権利収入みたいなものも多いかもしれません。どちらにせよ、ビジネスの仕組みを考えるにあたり、どこで売り上げをあげるか、利益を上げるか、そういうことを考えることは必須です。
 この仕組みを考える、ということをビジネスの世界ではマネージメントといいます。このマネージメントについて少し話をさせていただきます。
 シャープには社内公募という仕組みがありました。ウェブの仕事がやりたいと当時の社内公募に応募して移った先が海外事業本部という組織です。シャープはソニー程ではないにしろ海外でのプレゼンスが高く、売上の比率が高い状況でした。シャープは色々なことをやっていた会社で、情報商品として電卓や電子手帳、複写機、家電として液晶テレビや白物家電と、他社に比べて幅広い商品の品揃えがありました。
 海外事業本部というところは、海外の販売会社の取りまとめみたいな組織であり、海外のトップの指示を世界に伝えたり、海外の状況を取りまとめてトップに報告するという、ある意味官僚組織でしたが、海外の販促などを取りまとめて行うというファンクションも持っていました。
 私はマネージメントとは「ゴールと指標を決めて、みんなで共有すること」と考えています。仕組み作りの基本はここにあります。例えば、私が窓口をしていた仕事に海外液晶テレビアクオスの指標管理がありました。当時の専務指示だったのですが、各販社での配荷店数、配荷商品数、回転率(売れて新しい物を仕入れる比率)を毎月報告してもらって、それを報告していました。このようにビジネスにおいて指標を決めて、それを管理するということは基本の基本だと思うのですが、その指標の決め方がとても重要になって来ます。アクオスの場合は売上というよりも、どれだけ扱い店数が増えたか、そしてどれだけ動いているか、を中心に管理していた訳です。
 私が管理指標の話で思い出すのは、アマゾンを創設したベソスのインタビューです。インタビューアーがベソスに「最初、ずっと赤字が続いていたのに心配はなかったですか」と質問したのに対して、「顧客満足度のアンケートがずっと高い結果を示していたので全然心配しませんでした」と答えていました。彼の中では顧客満足度が経営の管理指標だったのだと思います。
 現在、アマゾンは巨大になり過ぎて、配送業者に対する過酷な要求だったり、社員の給与が少なかったり、税金をほとんど納めていなかったり、と様々な問題を指摘されていますが、アマゾンの経営の指標が「顧客満足度の向上」であれば、例えば即日配達を実現するために配送業者に過酷な要求をしたり、値段をなるべくリーゾナブルにするために税金や給与を抑えたりする意味も見えて来ます。多分、儲け主義というより経営指標の問題なのだと思います。
 このように経営指標をどう設定するかは、企業経営の根幹に関わります。多くの人が携わる組織であればある程、経営理念の共有化に加えて、経営指標の明確な設定とその適切なフィードバックが重要になります。これは人事評価にも関係して来ます。
 もっと簡単な例でいうと、経営指標を売上にするのか、利益にするのか、でも変わって来ます。理由は割愛しますが、一般に製造業では利益や粗利よりも売上を指標にした方が上手く行きますが、サービス業やネットビジネスでは利益を指標にした方が上手く行きます。
 それにも関わらず、日本では多くの企業や銀行などが、未だに暗黙的に売上を経営指標として考えています。日本でサービス業とかウェブ関連のビジネスが拡大しない一因はそこにあると私は考えています。
 高度成長のインフレの時代、設備投資をする製造業は上手く回っていました。物作り日本といいますが、何もインフレの時に製造業で成功したのは日本だけでなく、中国も、東南アジアも同じです。なぜならインフレという環境が製造業などの設備投資産業に適しているのです。
 例えば、工場を建てて設備に投資してもインフレなので投資の負荷は相対的に年々減っていきます。また土地も値上がりし、年々余力も増えていきます。インフレの時は最初に大きな投資をした方が事業は良くなるのです。
 しかしデフレの時代は逆になります。設備投資の負荷が年々重くなり、土地とかの評価額も下がり、余力も減っていきます。また商品価格も価格競争の中で下げざるを得ず、人を正社員で雇ってしまうと業績が下がった時に対応できなくなってしまいます。非正規の議論がありますが、インフレが続く時であればともかく、デフレが長年続く時代に正社員を増やせと経営者に言っても酷な面もあると思います。
 しかし、開拓するお店の数はシャープの社員の努力でコントロールできます。ある経営者の方が「売上は偶然に左右されるが、経費削減は従業員の努力で実現できる」と、人事を経費削減率で評価されているという話を聞いたことがありますが、このように人の努力で達成可能か、偶然に左右されるかは、指標を決める上で重要です。
 そして、最後にその内容を全員にフィードバックすることにより、事業が上手くいっているかどうが、全員が確認できるようになります。こういうポイントが指標を決めるにあたって大切だと思います。
 マーケティングというものも、マネジメントと言葉は違いますが売ることを管理するという意味では、同じ指標管理です。これはほぼ共通認識ですが、以下の数式で指標が決まってしまいます。

売上=客数(認知数×集客率×購入率)×単価

そして、そのどこに問題があるかで打つ手も決まってきます。

・認知数:広告、宣伝、広報活動の強化
・集客率:販促プロモーションを強化
・購入率:セールストークや店頭展示の見直し
・購入単価:メニューや価格の見直し

 これ以外にも様々な要素はありますが、基本はこれだけです。
 日本では多くの人が自分なりのマーケティングを説明されるケースが多く、聞いている方は混乱したりします。よく混同される概念に、セールスとマーケッティングというものがあります。これは全く正反対の概念なのです。セールスはお客様に商品やサービスを売り込む活動ですが、マーケティングは逆にお客様に買いに来てもらう仕組み作りになります。
 ですから、お客様がどういう商品やサービスを望んでいるかを調査する市場調査も、それに基づいて商品やサービスを開発することも、その良さを広告宣伝で広く告知することも、全てがマーケティング活動ということができます。
 例えば、ガンが100パーセント治る薬が開発されたとします。多分セールスする必要は全くないでしょう。このように売れる商品とかサービスを作るとか、仕組みを作るということが、マーケティングの基本となります。
 ちなみに、インターネットの登場以降で、大きなマーケットの変化を強く感じています。そのことに言及している人が少ないのでここに書いておきたいと思います。それはマスという市場が既に消滅して、クラスター型の小さな市場が沢山できているという現象です。これは、インターネットの普及に深く関係しています。
 インターネット以前、情報というのはマスメディアが流していました。テレビ、ラジオ、新聞、そういう媒体です。マスメディアの情報はある程度バリエーションはあるにしろ一律です。従って、その情報を受け取る方も同じような価値観になります。
 30代の独身サラリーマンならこういう感じの価値観を持つとか、40代の主婦ならこういう価値観を持つといった傾向が出てくるので、市場調査なりでその価値観を認識して商品やサービスを開発し、テストマーケティングでそれを検証する、みたいな戦略が成り立ちました。
 しかし、インターネットの普及によりこれが激変します。インターネットから流れる情報は多種多様です。今まで一律の価値観しか知らなかった人が多様な価値観を知ることになります。もちろん、年代によりこの傾向は違いますが、若い人ほど多様な価値観に向き合うことになります。またインターネットのSNSを見ると理解いただけるように、同じ価値観の人同士がコミュニティを作り出します。分かりやすい例でいうと、右翼系とか左翼系で意見の合う人同士が繋がる傾向になります。
 こういう小さなコミュニティが無数にできている訳です。ブドウの房のことをクラスターと言うのですが、クラスターのような市場が無数にできている社会、それがインターネット後の世界だと思います。こういう社会、市場を前提として考えた場合、マスマーケティングという概念は成り立ちません。それよりもクラスターマーケティングとかコミュニティマーケティングといった概念が必要になってくると思います。
 その代表例がオンラインサロンです。キングコングの西野さんのオンラインサロンは、2万人を超えたといいます。新しい形のコミュニティです。そのコミュニティをベースにして、新しいサービスをしたり、コミュニティの中で参加者のビジネスをサポートしたり、様々な試みがなされています。
 オンラインサロンは、新しい時代のマーケット構造というだけでなく、新しい時代のユーザーニーズの参考にもなります。なぜオンラインサロンに参加するか、それは参加することにユーザーがメリットを感じているからです。それはもちろん情報を受けられたり、オフラインのミーティングに参加したりという、受け身のメリットはあるのですが、そのコミュニティに参加し、何かのプロジェクトに参加することで、受け身ではない喜びを得られているのだと思います。
 イベントに参加したり、イベントをボランティア的に手伝ったり、新しいサービスの立ち上げに参画したりという、自分が何かをする、もしくは何かを直接しなくても何かをするグループに所属するという点にメリットを見出しています。
 貧困化や経済格差の話を別とすれば、日本では生活必需品は行き渡り、生活インフラも整備され、モノ余りの状況にあります。ですから消費ニーズはあまりなく、あるのは参加ニーズとでも呼ぶべきものなのだと思います。これをもう少し広い言葉で定義すると、今起こっているのは、「物的ニーズ」から「心的ニーズ」の変化ということなのです。参加ニーズというのは、何かを行うことによって心の満足を得られる、そういうニーズに市場全体がシフトしつつあります。その延長線上にあるのが、自分だけでなく社会などに貢献したいとか、持続可能型社会を実現したいという「心的ニーズ」の世界です。これを考えられない事業は今後生き残れないと私は感じています。
 オンラインサロンが分かりやすい事例ですが、マス型マーケットが消滅して、クラスター型のマーケットが主流になってくるという全体的な傾向があるでしょう。ネットワークビジネスもその流れの一つです。日本人はネットワークビジネスというものを極度に嫌う傾向があるようですが、世の中の流れがクラスター型の流れになるのであれば、商品やサービスを受けるにも属するコミュニティからという流れは必然かと思います。単純に適切なネットワークビジネスと、詐欺的なネットワークビジネスや人間関係を破壊しやすいネットワークビジネスがあるだけです。
 こういう流れの中で、もう一つ存在するのは「物を媒介にしないサービスの増加」という話です。モノ余り時代において、消費型のニーズが無くなっていると言いました。そして、それは参加ニーズだけでなく、相談ニーズとでもいうべきものへ流れる傾向にもあります。
 コンサル、コーチング、セラピー、占い、チャネリング、ヒーリングなど、モノを他人の悩みの相談に乗るビジネスです。相談だけでなく、モノを媒介にしないビジネスが今後増えていくと思いますが、この「モノを媒体にしない」というビジネスは、その種類にかかわらず、お互いにそのサービスの価値を確認するというプロセスが必要になります。
 これらのテクニック的な話をする人は多いのですが、「モノを媒介にしないビジネス」の本質とは何かを説明する人はほとんど見かけません。実はこういうビジネスの本質は「いかに顧客の中に価値を認識させるか」ということにあります。物があると人は漠然とその価値を理解しますが、物がないと価値が理解できません。その価値をいかに理解してもらうかが
「モノを介在しないビジネス」の本質だと私は考えています。

(5)コミュニケーション
 次は、コミュニケーションの話をさせていただきます。パソコン、ワープロ、ザウルスの新規開発を経て、海外の電子手帳の仕事に移りましたが、私は海外相手の仕事の経験は全くなく、また英語力もお粗末だったので、仕事のハードルは少し高かった記憶もあります。
 国内のビジネスに関しては、コミュニケーションとか交渉の仕事はあまり必要がなかったり、交渉といっても前近代的な力や組織力、人間関係のつながりでゴリ押しするパターンが多いのですが、海外のビジネスでは多様な価値観を持った人たちがビジネスをする必要性があるため、国内よりかなり高度だと感じます。
 米国のハーバード大学には交渉学研究所というものがあると聞いたことがありますが、コミュニケーションも交渉も、米国では学問として取り扱っているのです。多民族国家である米国では切実な問題かも知れません。違う民族、違う価値観の人達にどういう形で自分の主張を伝えて、良い落とし所を見つけられるかという発想は、単民族国家(本当はそうでもないのですが)で、「話せば分かる」という日本人には苦手な領域だと思います。しかし、民族は変わらなくても価値観の多様化は進んでいます。日本国内においても、コミュニケーション力や交渉力は今後必須になってくるでしょう。
 一度、ある場所で米国的な交渉力のセミナーを、英語の学習をかねて受けたことがあります。そこで教わったのは、①共通の認識を作る→②お互いのメリット・デメリットを明確にする→③妥協点、落とし所を議論する、という流れでした。
 国内のビジネスをしていると、①をおろそかにしているケースが圧倒的にお多いと感じます。遠回りに見えても、①を行わなければ、交渉もコミュニケーションも始まりません。
 私自身の経験としては、電子手帳の仕様を米国の実務担当者に説得した体験があります。当時の英語力はTOEICで400点レベル、とても自分で交渉するような英語力は無かったので、部下に英語で説得してもらっていたのですが、ラチがあきません。ホワイトボードに、メリット・デメリットの表を書いて、どうだと聞いたら一発で賛同してくれました。
 今考えたら、表を作ることで①の共通の認識を作るというプロセスをやっていたという事になっていたと理解できます。当時は思い付きでやっていたのですが、もっとシステム的に手順通りにやることは可能だと、今なら思います。
 これは交渉だけでなく、全てのコミュニケーションの基礎だと思います。また、日本人の苦手なものに、ダメ元で交渉するというものがあります。ダメ元ならまだ良いのですが、最初から遠慮してとか、最初からリスクを回避するために、あまり主張をしないというものです。これは私の経験だけなので、日本一般に共通することか分かりません。
 仕事で体験した話でいうと、液晶テレビアクオスを店頭でデモするビデオを海外の会社から使わせてもらおうと交渉したという話がありました。お店から返してもらえなかったり、何か変なことに利用されたりするとシャープが訴えられると、社内の法務部門がストップをかけたことがあります。もちろん、お店といっても別会社であり、シャープが全てをコントロールすることは不可能なので、その旨を映像の提供会社に説明し、快諾してもらって問題ない旨メールをもらって法務部門を説得しましたが、こういう話は結構日本にあるような気がしています。
 もっとも同じ日本といっても、高度成長の頃の話をみると日本人が全世界を相手に、様々な交渉とか行っていましたので、日本人の性質というより、官僚化社会に染められた日本人の特徴の気がしますが、それをとても感じます。それに比べて、東南アジアの人とかはとても積極的です。英語もお世辞にも上手いと言えませんが、積極的にチャレンジします。官僚化の中で日本人が失ってきたもの、それがこの積極性なのだと思います。
 また欧米人はクールで日本人は感情的だと言いますが、米国人の男性などは意外と浪花節的なところもあり、こちらがこれだけ努力していると伝えると真剣に聞いてくれたり、人の根性とか努力を評価してくれる面もあると思います。いわゆる「ガッツがある」という感じです。海外で仕事をされている方で違う感想をお持ちの方も多いかも知れませんが、私の少ない経験からすると、そう感じることが多かったと思います。
 コミュニケーションといえば、文書とか資料の作り方とかも全然違います。欧米人の文書は詳細で量が多いですが、逆に提案資料とかは細かいところは外して論理の概要とポイントになるデータをチャートとか表で図示するだけです。米国の空母にはマニュアルを置くためだけに一つ部屋があるといいます。また契約書などもかなりのボリュームになります。こういう詳細を記述する文書は膨大なのですが、逆にコミュニケーションに使うパワーポイントなどの資料は本当にポイントのみです。
 多分、実務レベルで知るべき情報と経営や交渉で知るべき情報は彼らの中で明確に分かれているのでしょう。日本のように上から下まで細かい情報を知ろうとは思っていないと思います。欧米でも、プレゼンテーションは中身がないと最近は批判的にみる見方も出てきていますが、かといって詳細を交渉などのコミュニケーションの中でやり取りすることはないと思います。
 例えば、提案の目的とゴールを先に説明する、結論を先に言う、レジメ的に何を話すかを先に伝える、等々です。こういう話は様々なところで言われているので私が改めていう必要もない話かも知れませんが、提案書などの資料作成やプレゼンなどを作成するにあたっては、とても大切な話だと思います。
 海外とのコミュニケーションのこととして話をしていますが、日本国内においても価値観が多様化していけば、必要になってくる話だと思います。海外に関係ない方も、海外だから関係ないとか思わず、こういう話を理解いただけたらと思います。
 色々と書いてきましたが、要約すると相手の文化やコミュニケーション方法を知って、コミュニケーションをしようという話です。日本人は英語が苦手という話をよく聞きますが、日本人が苦手なのは「英語ではなくてコミュニケーション」です。共通の認識を作り上げ、相手と交渉するということをほとんど学んでいません。力で押し付けるとか、忖度するとか、親しくなって感情的な共感を得るとかしか知らないのです。もう少しビジネス的なコミュニケーションを学んだ方が良いと思います。

(6)画期的な英語学習法
 英語よりもコミュニケーションとは書きましたが、英語についても問題は実は大きかったりします。それに関しては、私が海外との仕事の中で発見した全く新しい形の英語学習法、「英語目ラーニング」が参考になると思いますので、これについて少し説明させていただきます。もともと日本語の構造は、世界の多くの言語と異なっており、脳の処理のやり方も異なっています。この違いの詳しい説明は言語学のプロに譲るとして、私が気付いた簡単に英語力を上げる方法が「英語目ラーニング」なのです。
 私はこの学習法のエッセンスを会社時代に気付き、3年ほどTOEIC600の壁を超えられなかった英語力を700以上にすることが出来ました。私は直接人に教えていませんが、知人がこの学習法を百人以上の方に使ってもらい、素晴らしい成果を挙げているので、私だけに効果がある訳でなく、万人に効果があると思います。
 どういう学習法か一言でいうと「脳の反応速度を上げる」学習法なのです。やり方はシンプル、1分から3分程度の長さの英文とその音声を用意します。そして、次の手順を繰り返すだけです。

<英語目ラーニングのやり方>
①英文を一度耳で聞きます。
②そのあと、黙読でなるべく早く英文を読みます。
③3〜5回繰り返すと、黙読の時間が短くなります。
英文の読み上げ時間より短くなればベターです。
④再度、英文を聞きます。
多くの人が①よりも英語がわかるようになります。

 「2回受けただけで今まで分からなかった外人の英語の一部が理解できました」とか、「単語の意味が分からなくて何を言っているかは分かりませんでしたが、単語を区切って聞き取れました」とか、「海外に行って2〜3日しないとならない状態に、1時間程度になれ英語が聞こえるようになりました」とか感想をいただいています。
 どういう原理かというと、脳の回転速度を黙読で上げている、ただそれだけのことなのです。だから「英語目ラーニング」(=黙読で脳の速度を上げる)という名称なのです。本当にたったこれだけで、と思うような話なのですが、実際に体験してもらうと多くの方が感動します。
 もちろん、全ての人の英語力が上がる訳ではありません。例えば英語について全く知識がない人の英語力が上がることはありません。しかし、英語は何年も勉強していて、英語の知識も単語の知識もあるのに実際に英語は聞けないし、読めない、みたいな人には即効性があります。そういう人の問題は脳の反応速度だけだからです。
 なぜ脳の回転速度が重要なのでしょうか。それは、他の言語と違い日本語は膠着語と呼ばれる特殊な構造であるため、脳の使い方が英語系の言語と違います。この英語的な脳の使い方を訓練するのに、脳の回転速度を上げるのがベストなのです。分かりやすい例でいうと、野球でピッチャーが時速150キロの球を投げているのに、バットを時速50キロで振ってもボールに当てることは出来ません。まずバットを時速150キロで振ることが何より大切なのです。
 日本人はリスニングコンプレックスなので、耳から英語を聞くことばかりにフォーカスしがちですが、耳からの英語では脳の回転速度を上げることは困難です。朝、新聞を読むことを思い浮かべてください。新聞の情報を全て耳からインプットしようとしたら、どれだけの時間が必要だと思いますか。それに比べて黙読ならば、かなり速度を上げることが出来ます。特に速読とかの練習をした人なら尚更でしょう。
 「英語目ラーニング」は、英語に対する脳の反応速度を黙読でアップさせてから、英語の学習を始めるという、全く新しい発想の学習法なのです。そして、英語を何年もやって、英語の知識も多く、単語も知っている人にとっては数時間の体験だけで魔法のように英語力を上げることが可能な奇跡の学習法でもあります。
 また、この学習法はネイティブ並みの英語を目指すもの、英語の専門家を育てるものではありません。本業が忙しく中々英語に時間を割くことができない人間が短期間に英語力を上げる、そういう学習法です。英語がペラペラ喋れるような学習法ではありません。しかし人にもよりますが、英語のドラマをみて何を言っているか漠然と分かったり、英語の原書をある程度読めたり、ビジネスのレターとか説明書、契約書の概要を理解するには最適な学習法です。
 ちなみに英語は、「読む」、「聞く」、「書く」、「話す」と4つが必要です。英語目ラーニングで「聞ける体験」をすることは分かったが、読む、書く、話すはどうなるのかという素朴な疑問が出てくると思います。まず「読む」ですが、速読を行うことによって当然「読む」力もアップします。これは仕事で英語を使う上でとても重要な話です。仕事では、話だけでは英語は完結しません。必ずメールでやり取りしたり、文書をお互いに交換したりします。契約書とか説明書とかも、文書の量が多いので、それを早く読める力はビジネスにとって必要不可欠であり、「読む」力が向上することは、様々な面でメリットがあります。「読む」に関しては試験対策についても役に立ちます。特にTOEICなどは「聞く」と「読む」が全てであり、特に効果がありますが、受験も含めて一般のテストも「読む」に大きなウェイトを置いています。「英語目ラーニング」はそれらの対策としても最適だと私は考えています。
 ではアプトプット、「書く」と「話す」はどうでしょうか。コミュニケーションに関しては相手の言っていることとか書いていることを理解出来るだけで、つまりインプットだけで8割ぐらいは大丈夫です。仕事でも同じで、アウトプットよりインプット、相手の説明を理解できることが重要です。
 このように見てくると、「英語目ラーニング」は、「読む」、「聞く」だけですが、これだけで救われる英語難民は結構多いのではないかと思います。


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