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【極論】コロナ以降 有事の社会

新型コロナウイルスの感染拡大は、我々の生活環境の急激な変化をもたらしました。
社会に及ぼす影響は我々の世代にとっては、これまでにない事ではないでしょうか。

平時から有事へ

これまで私は、社会の役割や仕組みの意味するものやイメージは、大きく変わらないのが当然だと思っていました。

これは社会環境自体が大きく変わらないで過去の延長が続く平時モードだったからではないかと、今の私は考えます。

新型コロナウイルスの感染拡大から蔓延に至る社会状況下は、今までの平時モードから、有事モードに社会環境が大きく変わっていくのではないかと言うことです。
では、平時と有事で何が大きく変わるのか。

平時に求められるもの

私が考える平時とは、効率化や安定性、安全性など、
その時々、あまり変化のない状況で物事を処理していくことなのだと思います。

変化はあるがペースは遅い。それに上手く対応して行く。

変化の大きな要素も個別の分野ではあります。

それに対しては状況変化によるスピードが要求されますが、
社会全体ではさほどのスピードが要求されずに何とか社会全体は回っていく。
そう言うイメージではないかと思います。

そして、平時は状況が大きくは変わらない為に固定観念が醸成される。
その固定観念はあまり害にはならないように思います。

私の感じる今現在の新型コロナウイルス感染の状況下は有事だと思います。

感染拡大と経済不況にどのように対処するか。いかに人の命と生活を守るのか。

有事に求められるもの

国家的な非常事態である有事は、状況が刻々と変化して行きます。

状況が変わるにつれ、昨日の時点で適した対策が、明日にはもう違う対策が必要になるというような社会です。

優先されるのは、刻々と変わる状況に対応して行動すること。

全てのことに間違えなく問題なく処理するのは、ほぼ不可能になってきます。

限りあるリソース、社会資源や人的資源をいかに、優先度を考えて振り分けるかだと思います。

そして、平時の中で培われた自分の中の常識、固定観念など、
当たり前だと思って意識しないで行動していた事を疑うこと、

その思考、判断は、何に基づいているのか、前提条件は何なのかなど、
再確認することが重要だと思います。

硬直化した思考から状況に合わせた柔軟な思考、判断が必要なのではないでしょうか。

そしてスピードが問われます。

有事のスピードとは

有事に求められるのは、情報の収集、決断、実行などのスピードだと思います。
昨日の最適な対策が、実行が明日になると効果が薄れるのですから。

いかに割り切って、妥協して、リスクをとって被害を最小限に食い止めるられるかだと思います。

これは我々日本人が不得意な分野だと思います。

昔読んだ記事に、確かアメリカ人と日本人の比較がありました。
医療の投薬の考え方だったと思います。
日本人は、適量、又は少なめの量を投与し、効果を確認しながら薬の量を増やしていく。
最悪の事態を考え、副作用や薬の効きすぎを考慮し、ミスが起きないように行動する。
アメリカ人は、確実に効果が出るように、多めの薬を効果が出るまで使い、効果が出過ぎるとそれを抑える薬を投与する。
早く症状を抑える為に、その方が効率的だと考えるようです。

上記の日本型の考え方では、有事の場合はデメリットが多すぎるように思います。

今の社会に必要なのは、早く確実に効果がでる対策だと思います。
有事に機能する仕組みが出来ているとは言い難いのでは無いでしょうか。

ここは割り切ってスピード重視の仕組みを有事用に整備してはどうでしょうか。

有事用の社会の仕組み

有事の実行スピードに対応するには、行政のトップに権力を集中させる必要があります。

合議している時間で事態が進んでいるから、どうしても後手にまわってしまいます。

有事の備えとして、条件が揃うと有無を言わさず自動発動するような社会の有事モードが必要だと考えます。

そして権限が集中される弊害を軽減させる為に、安全装置を自動発動させるような仕組みを考える。安全装置は人でもいいし、法律でもいい。

今の社会は、先の戦争を繰り返さないように抑制的な仕組みが整えられていると思います。また感情的に有事の備えや権力の集中に対して拒否反応があると思います。

全ての問題を一括りにして扱うのではなく機能、役割に応じて問題のメリットデメリットを感情的ではなく理性的に決めていく。そういう方向性での議論が必要ではないでしょうか。

この有事の仕組みもゼロベースで再構築の検討が必要だと考えます。

【極論】【暴論】にお付き合いいただき有難うございます。よろしければサポートいただければ幸いです。これを励みにまた違う視点をお見せできればと思います。