見出し画像

宇宙で一番おいしい苺

お立ち寄り頂きありがとうございます。
突然なのですが、これを読んでくださっているあなたは、好きな食べ物は最初に食べる派ですか? それとも、あとで食べる派ですか?
私は絶対、好きなものは一番最後に食べる派です。
今日は、おいしい苺のお話です。

私には三つ下の弟がいます。
子供の頃のある日、弟と私は、並んで苺を食べていました。それぞれのお皿に均等に入れられた苺は、どれも真っ赤で美味しそうでした。
その様子を、父がホームビデオに納めていました。
弟が二歳前後、私が五歳になっていない頃、そのくらいの頃だったので、母は弟に付きっきりでした(そうでなくても、母は弟に付きっきりでした)。

それぞれ苺を口に運びながら、私はカメラに向かってピースをしたり、苺を食べるのと同じくらい集中して、カメラを気にしていました。

さて、その頃から私は、好きなものはあとに取っておきたい派でした。一番おいしいものを食べた口で食べ終わりたい、そんな食いしん坊だったのです。

お皿に入った苺たちも、よくよく見るとそれほど赤くないものと、熟れていてあちこちじゅくじゅくし始めているもの、入り交じっています。
私は慎重に、どれが一番赤く熟して美味しそうかを見極めながら、一等おいしそうなものを残しつつ食べ進めました。

お皿には順調に、赤く熟した苺ばかりが残っていきます。ところどころのじゅくじゅくが、とても甘そうです。

甘そうな苺を手に取っては、カメラにピースします。「おいしい?」と父が訊いて、「うん!」とにこにこしながら。

残りは二粒。一粒手に取って、とうとうお皿には一番甘くておいしそうな苺が残ります。
手に取った方の苺をカメラ越しの父に見せ、「おいし~」とにこにこ。

さあ、いよいよ一番おいしそうな苺に取り掛かる番がやってきましたが、お皿に目を戻すと、最後まで残した一番おいしそうな苺の姿がありません!
「苺がない!」私の表情は途端に下り坂。「そりゃあ食べたら無くなるに決まってるでしょ」と母は不機嫌そうに言いました。先に食べ終わったはずの弟は、横でもぐもぐしています。
食べたら無くなることは私だって知っています。でも、あと一粒、お皿には苺がありました。しかも絶対一番おいしいやつです。弟は横でもぐもぐしています。
「一番赤いのがまだあったよね?」カメラの向こうから父は私に加勢してくれます。弟はもぐもぐしていたものを飲み込みました。

犯行の瞬間は、最後から二個目の苺を父に得意気に見せる私のアップになっていて、ビデオには写っていません。でも、「苺がない!」の直前のお皿には、やはり一番おいしいはずの苺が残されている様子が写っています。

ご想像の通りです。すっかり油断していました。何て素早い弟の動き……。

こんな経験を重ねながら、大抵はもう取られないように、一番食べたいものは最初に確実に食べるようになった、という方が周りには多いのですが、それでも私は好きなものはあとで食べる派です。学習能力がないのでしょう。

あの当時から言うと、もっともっと甘くておいしい品種がたくさん出てきているはずで、あの苺よりも断然おいしい苺が溢れていると思うのですが、私にとってはあのとき逃した苺が、人生で、宇宙で一番おいしい苺なのです。
今でも一番好きな果物(苺は野菜の区分になりそうですが)は苺で、もう「果物」というか「神の果物」と別格扱いしています。
食べ物の恨みは怖くて、未だにあのときの苺の味を想像しては切なくなります。
あの一等おいしい苺、もう絶対に出会えないのでしょうね……。

それではこの辺にしましょう。お読み頂きありがとうございました。

いただいたご支援は、心の糧とさせて頂きます。