破り捨てた絵
お立ち寄り頂きありがとうございます。
タイトルを考えていて気付いたのですが、自分で描いた絵を破り捨てることが、割と多かったのだな、と。いつかの母の日の絵もそうでしたが、今回はまた別の絵を破ったお話です。
それもまた、小学生の頃のことでした。六年生のときの担任は、芸術系の科目に力を入れていたようでした。二学期になると、各種コンクールに応募するための絵を、図工の時間にたくさん描かなければいけませんでした。
新聞社が主催するコンクールに向けての絵を描く時、担任は一枚の絵を私たちに見せながら言いました。
「この絵はみんなの先輩の〇〇くんが描いたもので、特選を取った絵です。先生のお陰ですごい賞が取れたのよ。〇〇くんが卒業するときに、この絵を先生にくれました。みんなも頑張って描いてね」
どんな絵だったかは忘れてしまいましたが、それを聞いて、そんなすごい賞をもらった絵を、先輩は家に持って帰らなくてもよかったのかなぁ、あげちゃって良かったのかなぁ、と思ったことを覚えています。
そして私たちは、写生をするために校外へ出ました。
描きたいものを描いて良い、とのことで、私はカーブミラーと、そこに映った景色を描きたいと思いました。しかし、それは担任からは許されませんでした。風景の隅っこにカーブミラーを入れることは許すけれど、主役にしてはいけない、とのことでした。どうしてもカーブミラーを描きたかった私は、画用紙の左端にカーブミラーを入れた構図で、そのすぐそばのお宅の絵を描くことになりました。綺麗に色の揃った瓦と、手入れされた生垣が印象的なお宅でした。
下書きを済ませ、私の描きたいものはカーブミラーなので、そこに一番力を入れて塗っていきます。思っていたよりかなり小さく描かないと、仮の主役にしないといけないお家が入らなくなってしまうので、カーブミラーの中を塗るのは苦労しました。それからついでのようにお家も塗って仕上げ、そうしなければならなかったので担任に見せに行きました。
「佐竹さん、これはおかしいね。瓦はもっと、一枚一枚ぜんぶが違う素材で、違う色をしているはずです。よく見て塗り直してね」
取り敢えず納得がいきませんでした。私は色の揃った瓦が印象的だと思ったはずでした。あと、違う素材で作られているようには見えませんでした。それでも、私にとって先生の言うことは絶対なので、仕方なく、微妙に色を変えながら、瓦を塗り直しました。再び確認してもらいます。
「この生垣が緑だけなのは寂しいね。赤いお花を描きなさい」
お花は咲いていませんでしたし、その生垣に使われている樹に、赤いお花が咲いているところなど見たこともなかったのですが、もう私は諦めていました。樹そのものと季節を無視して、真っ赤な薔薇をたくさん咲かせました。担任はそれでやっと満足してくれました。
その絵はコンクールで特選を頂きました。絵が返されてきて、担任は当然のように言いました。
「やっぱりこの瓦と赤い花が良かったのね。この絵は先生のお陰で特選がとれたんだから、先生にくれるよね」
私はあの日の授業の冒頭を思い出しました。ここで渡したら、来年とかその先とかに、あの得意気な顔で見せびらかされるのかなぁ。いやだなぁ。
憂鬱になった私は、とても珍しくはっきりと、それを断りました。そして持って帰ったその絵を、びりびりと破って捨てました。なかなかに激しい性格なのでした。ここだけ見るとまるで、フィクションで知る芸術家のような行動です。でもそれはただ、担任への怒りと、他でもない自分自身への怒りからの行動でした。
少し勿体なかったかもしれませんが、全然納得のいっていない絵を残しておかなかったことに対しては、とてもすっきりしています。
納得のいかないことに対して、もう少しその場で反論する力も、身に着けてこられていたら違っていたのかな、などと思ったりもするのでした。
以上、絵を破って捨てたお話でした。
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