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祖父の存在を想う

お立ち寄りいただきありがとうございます。
今日は「祖父」について、綴ってみようと思います。

子供の頃、夏休みだとか春休みだとか、そういう長期休暇の頃に、同級生たちが「休みにはお祖父ちゃんお祖母ちゃんちに行くんだ」と嬉しそうにしているのが、とても眩しかったです。
私は父の生家(を改装した家)に住んでいましたが、その頃もう父方の祖母は他界していましたし、母方のほうは色々事情がありまして……それはまた別のお話です。

とにかく私にとって、「祖父母」と言えば父方のそれを指しますが、私には「お祖父ちゃん」がいませんでした。

……いませんでした、というわけはないのですが、会ったことはありません。

私の両親は晩婚で、それから数年を経ての高齢出産でもあったので、同級生のお父さんお母さんよりは世代がちょっと上です。
極端に言ってしまえば、下手をすれば同級生のお祖父さんお祖母さんとの方が年齢的に近いかもしれません。
ですので必然的に、私の祖父母の年齢も、同年代の子のお祖父さんお祖母さんよりも高かったのです。

父方の祖父は、第二次世界大戦で戦死しています。

仏間にある二枚の白黒写真と、後にそれを元に祖母が描いて貰ったという肖像画が、祖父の姿を知るすべでした。
どれも軍服に身を包み、凛々しい顔立ちで写って(描かれて)いる祖父。
幼い頃はその意味も解らず、「わたしのおじいちゃんは『せんし』したんだって」と無邪気に口にしていました。「お祖父ちゃんに会いたい」と父を困らせたものです。

休みになると祖父母の家に行く。そういった経験と縁遠かった私は、「祖父」という存在に対してどうしても叶わぬ憧れを抱き続けています。
祖母との思い出は少しだけありますが、祖父との思い出は持っていないので……。それはある意味で仕方のないことなのですが、どうしてもないものねだりをしてしまうのが人間の性なのでしょう。

祖父が亡くなったのは、父の幼い頃です。ほとんど軍隊にとられていたので、父もあまり祖父のことは覚えていないと言います。
そんな父が覚えているわずかな思い出を分けて貰って、私の中での祖父の像は形作られています。
そこに少しでも近付きたいという思いが、日々募るのです。

どこか似ている顔のパーツはないかと、祖父の写真と肖像画の顔立ちを凝視すればするほど、見えてくるのは祖父の「覚悟」のように思います。優しさを秘めた凛々しい瞳は、本当はもっとずっと家族を見ていたかったでしょう。
絶対に帰って来たかったはずなのに、祖父は遠い海に眠っています。祖母の眠る夫婦のお墓に、祖父はいません。
その壮絶な最期を想像すると、恐怖で竦んでしまいます。

いま空の上で、祖父と祖母が何の不安も無く、仲良く並んでいることを願うばかりです。
そして、いつか私が空に昇るそのときは、そのときこそ、祖父に会いたいという願いが叶うことを祈ります。

それまでは、地に堕ちないように日々を重ねていかなければなりません。

祖父についてつらつらと書いてみる回でした。
お読みいただきどうもありがとうございました。

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