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遠い遠い「ふつう」

お立ち寄り頂きありがとうございます。
今回は、どうやら私にとって永遠のテーマの一つになるであろう「ふつう」についてです。

……という書くと、まるで自分が非凡であるかのような物言いになってしまいますが、そんなことは微塵もありません、その逆です。「ふつう」とか「人並み」というところに到達できないのです。頑張っても頑張っても、「ふつう」は遠いところで私を嘲笑っています。

私は勉強ばかりしている子供でした。母はことあるごとに私を否定したので、逃げ場が欲しかったのだと思います。
テストで良い点を取ると(母には「男の子より良い点を取るものじゃない!」と怒られますが)少なくとも先生は褒めてくれました。そこを、その瞬間を、逃げ場にしていたように思います。あくまでテストのための、短期記憶の勉強です。知識は身についておらず、今となってはどうやって解いていたのかわからない問題ばかりです。
そんなわけで、現実から逃げ出したくて勉強ばかりしている子供でした。家の手伝いをしない私に、母は何度も何度も言いました。「あんたはどうしてふつうの子になれないの」。

「同級生の〇〇ちゃんは、お母さんが仕事で遅くなる日には晩ごはんを作って待っている」「〇〇くんは家にこもらず元気に外で遊んでいる」「何であんたは人並みのことができないの」。
何をどれだけ頑張っても、母の満足する「ふつう」には到達できませんでした。安易に手伝いを申し出ると怒られ、外で遊んでいると怒られ、手伝いをしないと怒られ、家の中にいると怒られる日々でした。
自分で割と得意だと認識していることを頑張っても、否定の言葉ばかりが降り注ぎました。「そんなことができても何の役にも立たない」。
それは呪いとして降り積もり、「ふつう」との距離はどんどん開いていきました。

できないことばかりに目を向けるようになり、ひたすら落ち込む日々を重ねてきました。
ただ、割と最近になって、母にそこまで言われるほど何もできない人間なわけでもない、ということは少しずつ認識できるようになってきたようにも思います。最初は母がかけた呪いを、いつの間にか自分で自分にかけるようになっていたのですね、きっと。

私は、人生のレールをだいぶ踏み外してしまっている自覚があります。それこそ人並みの社会生活を送ることはできていません。病気もあって働くことは困難で、家の仕事の全てを満足にこなすこともできません。欠陥ばかり目立つ人間です。
「頑張る」ことにも限界があり、その限界はとうに超えてしまっていて、壊れた心をどうにか騙しつつ歩んでいます。
理想の「ふつう」ははるか遠くですが、ただ私はかなりの努力家である自負はあります。千里の道も一歩から。ここまでも少しずつ重ねてきた歩みを、目的地に向けて続けていく決意を持っています。いつの日か到達できることを願って。

……ただ、本当に「ふつう」という存在があるのかどうかは、ちょっと怪しいですよね。それぞれにそれぞれの得意なことや苦手があって、それは本当に、人類の数だけあるのでしょうから。

まとまりが悪い気がしますが、これからも長く長く続く道のりについてのお話でした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。

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