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ことばの刃

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、タイトルからもう何だかヒリヒリしますね、また少し暗めのお話です。

母と中々うまくいかない話を度々書いていますが、今回も母のことばで傷付いたお話がメインです。
母は自分では認めませんが、かなりの激情家です。そして、その場の勢いだけで、信じられないようなことばを吐く能力に長けています。ここまで来ればもう、特殊能力と呼びたいです。

あれは、私が二十三歳前後の頃のことで、その頃には既に病を得てから数年経っていて、そして、弟が故郷を離れて少しした頃のことでした。

初夏を迎える頃、夢のために地元を離れた弟の調子が良くないらしい、という話が飛び込んできました。よくよく聞いてみると、私が調子を崩したときの状況に、とても似ているように思いました。
あまり仲の良い姉弟とは言えませんでしたが(私もまた激情家の一面を持ち、弟を傷つけたりもしました)、私だって人並みには、弟のことが心配になりました。

今でもその場面ははっきりと覚えていて、買い物に行く途中、母の青いモコの運転席の後ろに乗って、交差点の信号が変わったところでした。
今になって考えてみると、目の前のことだけに夢中になる母に切り出すタイミングとしては、交通安全のためにも最悪でしかありませんでしたが、私はぽつりと言ってしまいました。

「ねえ、お母さん。それ、うつ病の心配はない?」

私のうつ症状は、主となっている病気の治療の開始が、大幅に遅れたために二次的に負ったもので、でも、それなりに辛さは味わっていました。寧ろ当時は、うつがメイン、ぐらいには酷かったです。

それを聞いた母は即座に、叫ぶように言いました。

「だから心配してるのよ! あの子があんたみたいな障害者に成り下がってたまるものか!」

私は絶句しました。確かに、要らない子、要らない子と言われて育ちましたが、虐待などから病を得てボロボロになってなお、そんな風に思われていることが、ショックでショックで仕方ありませんでした。
ああ、この人は本当に、私に対する愛情なんて、微塵もないのだな。真っ青になりながら、私はそんな風に認識せざるを得ませんでした。

母は男尊女卑が徹底された家庭で、虐げられながら育った、と言う風なことを聞いています。母もまた被害者でしたが、加害者にもなったことは、それでも当時は認識できていませんでした。弟のことだけ大切にするのは、単に私が女の子で、駄目な要らない子だからだと、割と最近までそんな認識を変えられずにいました。

一応フォローを入れてみると、恐らくですが、母のコミュニケーションは思考ではなく反射です。その場その場の思いつきでことばを放つので、それが人を傷つけるかどうかまでは意識していません。
気にせずに受け流すことさえできれば、もう少し円滑な関係も望めるのかもしれません。

が、私は過度に繊細な人間なので、いちいちその刃で傷付きます。最近やっと、母はそういう人だから、と、冷静になれば聞き流すこともできるようになりつつあるのですが、とにかくその場ではただただ傷付きます。えぐられます。

ことばとは不思議で恐ろしいもので、力を与えるものにもなるし、命さえ奪うものにもなり得ます。本当に、やいばだと思います。言霊、というものもありますね。
私の好きな『書くこと』とは、そのことばを使うことです。書くことに限らず、生きていると周りはことばだらけです。

人を傷つけぬよう、そして過度に傷つかぬよう、心を配りつつ、適切な距離を守りつつ、ことばを大切にしたいものです。

最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。

ちょっと中々時間が作れなくなってきていますが、また明るいお話も書きたいと思います。

いただいたご支援は、心の糧とさせて頂きます。