並木ベロバ彩華とかいうすげえ女

やぽ、紫月カレンです。
今回ずっと話す話すって言ってた並木彩華さんがすげーって話をしようと思う。

まず並木彩華さんって?という人もいると思うんけど仮面ライダーギーツでベロバ役を演じている女優さんです。

この方の何がそんなに今回紫月に刺さったかって仮面ライダーギーツ46話「さよならミッチー」での演技がほんっっっっっっっとにヤバかったの!!!!!!!!!

こっから先は紫月カレンの特大行間読みしかないので公式とは全く関係ねーです。行間を読みすぎた女の戯言だと思って読んでね。

ベロバってキャラクターは不幸を見てゾクゾクしたいって感じのキャラクターなんだけど自分が不幸になることは認められないし受け入れられないんだよね。350年生きて、いろんな不幸を見て、それでもどこか満足できない人生だったんじゃないかな。そこでミッチーを見つけて、多分最初はいつも通りなんとなく気に入った的な感じだったんだと思う。一緒にデザグラめちゃくちゃにしたりいろいろ過ごした中で本人も気付かないうちにミッチーは特別になっちゃったんじゃないかな。だからこそ最後の戦いもプレミアムじゃなくて仮面ライダーベロバとして向き合ったんじゃないかなって。ベロバと道長として最初で最後の本気の向き合いをしたんだろうなって紫月は思ってる。そんであの最後。まだ10代とは思えねえ演技だよほんとに。ケケラさんに「推しと同じ墓に入れるかもな」って言われた時は「そんな趣味ない」って言ってたけど本気で道長とぶつかり合って最後まで本気で推しの不幸を見たかったベロバの「あんたと同じ墓に入ってやるから」はもう最高すぎた。

ちょっと並木彩華さんの話をズレちゃうんだけど今回のギーツって作品は結構我々ヲタクにメッセージを投げて来てると思う。推しだとかサポーターとか、特撮に限らずあるじゃん?そういう文化。でももちろんヲタクがみんないいヲタクなわけじゃない。光のヲタクも闇のヲタクもいる。推しに幸せになってほしいってヲタクもいれば曇らせてえって人もいる。それ自体は別に悪くない。でも、何かしら推しに対してアクションを起こしてしまったらそこには責任が伴う。「見てるだけの連中よりマシ」。確かにそういう場面もあるかもしれない。でも、動いたから生まれる責任はちゃんととるんだよね?って。

これは書きたかったけど書きそびれた"願いの責任"の話にも繋がるんだけど願うことは悪くないし希望も夢も持っていい。持てるなら持ったほうがいいと思う、多分。でも願うならそれなりの行動をしなきゃいけないし、叶えるならそこには責任が生まれる。そこを他人任せにして無責任に願うのはもう暴力と同じって紫月は思う。

かなり話ズレてしまったんだけどもうほんと、紫月の言葉なんかよりもとにかく見てほしいんだ、並木彩華さんの演技を。

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なんかもうほんと、同じ闇のヲタクとして紫月カレンはベロバのてめえと同じ墓にはいってやんよ!!!!!!!!!を応援してます。紫月も浅倉の墓こじ開けて一緒に入ってあげるね!

それじゃ、おつかれん!

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