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私たちは「特別」を標準装備している

こんにちは。紫藤祐里です。
今回は私が目指したい、好きな世界について書きます。

「あの人は私と違って特別だから」
「私は所詮普通の人だから」
って、何かを諦めたりすることありませんか?

確かに、大金持ちの家や、代々医師の家系に生まれたりなど、生まれた環境が特別なこともあるかもしれません。

だからといって、必ず100%心身ともに豊かで成功を収め幸せな人生を送ることが決まってるでしょうか。

幸せの定義

私自身が考える幸せの定義は、
「自分らしい在り方で様々な経験や学びをして成長し、心身ともに健康で豊かな人生を送ること」です。

同じじゃなくていい

そもそも体質的に見ると、人は双子であっても、誰一人として同じ人はいません。
みんなちょっとずつバランスが違う。
だから、同じ食生活をしても太る子と太らない子がいたりする訳で、同じ事をした結果が全く同じになる事はほとんどないんです。
だから兄弟でも、親子でも似ないというのも当たり前なんです。
だから、親や兄弟、同級生などの他人と比べられて優劣をつけられても凹まなくていい。
凹む時間とエネルギーを、自分の望む未来に向けていき、自分の成長に使えばいいと思うんです。

違うから発展する

もしも同じような顔や体型で同じような思考を持つ人ばかりの世界になったら、そこに幸せはあるのでしょうか?

勉強は苦手だけど、スポーツなら負けない。
楽しい事が大好きで、いつも人を笑わせる事ばかり考えてる。
顔に自信がないからメイクの練習を頑張る。
持病の経験から、人をケアする環境を作ろうと志す。

そんな風に、生まれながらの得意不得意やコンプレックスや過去の経験があるから、違う道を歩んでいき、それが社会全体を豊かにしていく。
豊かな社会には違いが欠かせない、という事です。

私たちは長らく、教育を受ける過程で「同じであること」を求められてきました。

なのに、社会に出たら「我が社の独自サービス」とか「差別化を図る」とか真逆の事を求められ、クリエイティビティを発揮せよと言われる。

学生時代とは逆のベクトルにいきなり向かわせる、厳しい状況とも思えますが、やっと自分の独自性を発揮して生きられるようになるとも思えます。

特別な人がいるのではなく、みんなが特別

AさんもBさんもみんな何らかしらの違いは持っていて、その事こそが特別であるということ。
残念ながら、人の特別が良くても奪う事はできません。初期設定は一旦決められています。
あとはその配られた特別なカードをどう使って生きていくのかは自分次第です。

金銭面、人間関係、身体能力、頭脳などなど、自分にどんなカードが配られているのかを他人との関係性の中から知る。
そして他人との比較を優劣をつけるのではなく違いを知る目的で行う。

例えばこんな風に、自分では当たり前のことが、他の人の「特別」だから比較しないと気付きにくいんです。

・他の人は2時間かかるボリュームの本を自分は30分で読んでいる。

・友人がネットで調べ物をしていても見つけられないものが、自分が調べると一瞬で解決する。

・何となくの感覚で調味料を入れているだけなのに、料理がすごく美味しいと言われる。

・相手がぼんやりと描いたイメージを汲み取って、言語化できる。

「特別」は超能力とか、なんかものすごい事とは限らないし、一つだけとは限らない。
収入に直結するものもあるし、生きることそのものに直結することもある。
逆に自分の中では「特別」と思っていた事が、色々な人を知る事でそうでも無かったと気付く事もあるかもしれない。

例えば国語で80点、数学で70点を取った場合、自分の中では国語の能力が「特別」だと思うかもしれません。
でも、全国平均が国語75点、数学50点だったとしたら、「特別」なのは数学の方です。

ものすごくずば抜けていたり、一番でないと「特別」にはならないと言っているわけではなく、周りの人ができなかったり悩んでいたりする事を苦もなくできる部分が「特別」だということなんです。
それを周りに様々な形で提供する事が仕事になる、ということ。
例えば自分が掃除好きなら、掃除が苦手な人の家をキレイにしてあげたり、簡単なやり方を教えてあげたりする事もできる。それも好きな事だからやっていても楽しい。

同じ職業でも、「特別」の活かし方が違ったりもします。
例えば同じシステムエンジニアでも、お客様の潜在的な要望を汲み取って文章にするのが得意な人と、最新の技術を身につけてより効率的なシステムを構築するのが得意な人では活かしている「特別」は違います。

誰もが仕事やプライベートで無意識のうちに、自分の中の「特別」を使っています。
ということは、「特別」を持っていない人はいないということ。

人のカードの裏側は見えない

一見、恵まれたカードを持っているように見えても、その裏側は誰にも見えないもの。

例えば、こんな事があるかもしれません。

容姿に恵まれた子は良くも悪くも目立つ事に悩み、そうでない子は目立てない事にコンプレックスを持つ。

共働きの家の子は親がいつもそばに居ていいなと思い、そうでない家の子は親の小言から自由になる時間があっていいなと羨む。

上の子は下の子ばかり可愛がられて寂しいと思い、下の子は上の子ばかり大人扱いされていいなと思う。

親は物質的に恵まれた今の子が羨ましいと思い、子どもは親のように伸び伸びと育ちたかったと思う。

「隣の芝生は青い」とはまさにこのこと。
隣の人が散々してきたかもしれない芝生を青くする努力は見えていないし、むしろ隣の人からはそちらの芝生の方が青く見えている事は思いもよらない。そういう事が見えなくなってしまうと、いじめや嫌がらせが起きてしまう。

いじめや嫌がらせは、隣の芝生は何の苦労もなく青くなっていると思い、更に自分の芝生の青さに目を向けられなくなっていることから始まります。これについては別の記事で。

別の楽器にならなくていい

私はオーケストラのように個性と調和が両立する世界を創りたいと言っています。
個性とは「特別」のこと。それぞれが奏でる楽器です。

そしてヴァイオリンにはヴァイオリンの、トランペットにはトランペットの役割があります。
いくらトランペットがヴァイオリンになりたくてもなれないし、逆もまた然り。
他の楽器には絶対になれないし、なる必要がない、むしろなられたら困る。
だってもしもトランペットがヴァイオリンになってしまったら、あの華やかでパーンと響き渡る音を出す楽器がいなくなってしまうんです。

トランペットの仲間であるコルネットは、トランペットよりも柔らかい音がするのが特徴。
だけど、トランペットっぽい音を出すと、「コルペット(コルネット+トランペット)になってるよ」と言われます。
コルネットとしての音色が求められてるから、「トランペットのようなもの」になっては困るんです。

オーケストラは、それぞれの楽器が個性的な音色と役割に応じた音量バランスを意識し、楽譜全体の流れを作っていく事で豊かで美しい世界を創っていく。
社会も同じじゃないかと思うんです。

私は長らく「社会の歯車」という言葉にネガティブな印象を持っていたけれど、今は悪くないと思っています。
歯車は一つでも微妙に形が違ったら、全体が回っていかないものだから。
大きなもの、小さなもの、歯が多いもの、少ないもの、それぞれがそれぞれの形である事が、自分も社会も豊かになる道だと思うんです。

歯を削ったことの代償

私は小さい頃から何かと目立つ事で嫌な思いをしてきました。背の高さや足の速さを理由にいじめられたり、服装の制約を受けたり。
どちらも生まれながらに持っていたものであって、自分が努力しても変えられないのだから、存在そのものがNGと言われているようなものでした。

だから、「人と違う事や目立つ事は悪いこと」という思い込みがいつの間にか生まれ、とにかく目立たないように背中を丸め、嫌われないように人の顔色を伺っていくようになりました。
その結果、大学生の頃には「ゆりちゃんていてもいなくても同じだね」って言われるまでに。
ただ、その時私の中でものすごいモヤモヤした気持ちが湧き上がって来たのを覚えています。
それは自分の存在自体を自分で消してしまった事に対しての怒りや悲しみ。
何の凸凹も無い、どこにでも合うように見えるのにどこにも噛み合わない歯車になってしまった事による孤独感。
自分というものを見失い、何が正解なのか自信が持てず、常に付き纏う不安感。
それらがぐるぐると心の中に黒く渦巻いていきました。

自分の人生を担うことにした

友人や恋人、同僚や上司の評価が気になり、褒められたり貶されたりするたびに一喜一憂する。
自分では精一杯頑張っているはずなのに、一向に評価されない状況に心はどんどん疲弊していきました。

そうして心の病気になった時、上司や産業医に言われたのは、「同じ環境でみんなは病気になってない。だから病気になったお前が悪い。反省しろ」ということでした。

でも、ある日ふと思ったんです。
「何で他人の意見を元に自分の人生決めてるんだろう」
それも評価を下してくるような人に限って、別にすごく尊敬しているとか大好きな人でもないし、どちらかと言えば努力して現状を変えようとせず不満や理想ばかり言うような人達だ。
むしろ、私が昔から憧れたり好きになるのは、我が道を進み自分の個性を存分に発揮しているような人じゃないか。
それに気付いたらアホらしくなった。

そこから、ずっと着たかった赤やピンクなどの華やかな色の服を着て、ヒールを履き、お化粧もするようになった。
面白そう!やりたいと思ったことは全てやろうと決め、病欠や夏季休暇でなく、初めて受けたいセミナーに参加するために有給を使いました。

そうしていると、人間関係が大きく変化していきました。批判ばかりするような人はいなくなり、今まで付き合いのあった人からも大事にされるように。突然の部署異動もあり、職場環境も変わっただけでなく、ずっとできなかった昇格も叶いました。

一緒に面白い世界を創りたい

「自分がわからない」とか、「なんか今の自分は違う気がする」という人が、「私って○○だったんだ!」と思い出していくことで、どんどん生き生きと魅力的になっていく。そのプロセスに携わる事がとても楽しいし、そういう人が増えると世界が面白くなっていく。

そういう面白い世界を一緒に創る仲間を増やすのが、私の仕事です。


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