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【月報】2024年3月

3月第1週。

「❤︎」を「いいね!」としてではなく「ハート」として押したいインスタ投稿を見た。4日前の投稿だった。

そういう知らせは世に数多ある。いいね!なんて言えず、でも応援や後押しや隣にいたいことを伝えたい知らせ。Facebookにはハグしてる絵文字を押すと「大切だね」と表示される。教訓めいた気づきだねだなんて言いたいわけじゃないし押しづらい。そのまま「ハグ」にしちゃえばいいのに。

伝えたいことを文字にしたり発音したりスタンプしたりしても純度100%で伝わることは決して無い。むしろ正反対に伝わることもある。昔、恋人に「いまの言葉はあなたにとっては他愛もないことかもしれないけど、私にとっては重くのし掛かる言葉なんだ」と指摘された。

言い訳がましいけれど、伝えたいことが伝わらないのは誰かのせいではない。ぼくのせいでも、彼女のせいでもない。だってそういうものなんだもの。そして、誰しもが持つ責任である。そういうものなのだ。


3月第2週。

梅や早桜の蕾が開く。寒風より陽光を肌に感じる。
街なかで人の心が蠢きだす。好きな季節である。

寝る前、布団にくるまりながら文庫本を読む。いま田辺聖子の短編集『ジョゼと虎と魚たち』を一篇ずつ読んでいる。

好きな作家の文章を読むと漠然と意識することがある。江國香織には「別れの後」、小川洋子には「死への足音」、そして田辺聖子には「恋の最中」を意識する。

『ジョゼ』は様々な男女の色気、というより色香を感じさせ、嗅覚を刺激してくる。それは気温が上がり始めた今の季節にぴったりで、穏やかにゆるやかに確実に胸を昂らせる。

ほどよい暖かさが瞼を落とそうとする。遠のく意識のなかでリモコンに手を伸ばす。どうにか電気を消して真暗になる。

3月第3週。

Podcast配信したいのに、一人喋りができない。最寄駅から自宅に帰る夜道、イヤホンしながら録音アプリを開いて話してみる。あらかじめテーマを決めるけど全然話が盛り上がらない。話したいことが出てこない。

誰か相手がいればいいのかといえばそうではない。二人でカフェで話すことは大好きだが、電波に乗せて配信することを考えると急に司会ごっこを始める。見えない第三者を想像して、会話の流れや道筋を決めたがる。他愛もない話したいことは行き場を失う。

ラジオやPodcast配信が人気の方々に「誰に向かって話している気持ちなんでしょうか?」と質問してみた。アノニマスな第三者に向かって話しているそうだ。おそらくそれがぼくにはできない。レスポンスを感じられないから。その瞬間に何を求められているのか、次にどんな話題を振ったらいいのか困る。目の前にいる相手とその様子だけを見つめながら話したい。

はたと文章と似ていると気づく。ぼくは「自分」を主語にしてしか文章を書けない。エッセイと手紙しか書いたことがない。周りで何が起き、どんな考えがあり、何を感じたのかを私からの目線でしか語れない。神の視点で小説を書いたり、切り口を変えて詩歌を書いたり、事象や事実を整理して論文を書いたりできない。小説や短歌を書く友人を見ていると羨ましくなる。

自分だからこそ書ける文章や話せる言葉は何か考えると悩む。語彙力や表現力が長けていると思えないから、出来事の意外性や異常性を追いかける。その人が他の人に見せたことない顔や表情・言葉たちを引き出したいから、そのための言葉を探している。そうしてド直球エッセイを書き続けていく。

3月第4週。

この10年、自分に向けられる嫉妬・苛立ちと戦い立ち向かってきたつもりなんです。

大学生の頃から今にかけて、世間から見てぼくがいけすかない野郎であることは否めない。気になる人がいれば声をかけてすぐご飯=デートに行く。就活で「のべ150人とデートした」というネタ1本で内定をもらった。アイドルアーティストを模して一夫多妻を自称していた。新卒から全国転勤して結果として各地に恋人がいた。こんなやつ、胡散臭くて関わりたくない。嫌煙されても仕方がない。

はじめてイヤ〜なことを受けた記憶は今でも鮮明に覚えている。大学1年生のとき、新歓コンパで女子大生たちが集まって飲んでいたから挨拶して、お話して盛り上げていると、そこに混ざっていた顔も名も知らぬ大学3年生の男が「一発芸してみろよ」とニヤニヤしながら言ってきた。そんな無茶振りやってられない。今までハーレムを楽しんでいた彼の単なる妬みである。刹那、絶対にこんな金玉の小さい男になってはいけないと強く誓った。そうしてぼくがいる。ありがとう、東京学生書道連盟。

その後もそういった〈男性的〉な嫉妬やお節介を男女問わず向けられた。「デートしてみんなとセックスしてるんだろう?」「女好きなんだな」「沢山女の子とご飯行ってて彼女が可哀想」など。もともと鈍感だから「セックスはしてないよ」「うん、女好きだね」「ご飯行ったら報告してるよ」とバカ正直に答えていた。

でも心身ともにうまくいっていない時に、そういった嫉妬を向けられるとやはり参ってしまう。周囲の人々に嫌われるのは避けたいからひっそりと過ごす。誰にも何もお誘いせずひとりで過ごす。声かけられたら出向くくらい。そんな時期もあるのよ、一応。

その中でもぼくを好きで愛してくれる人たちが連絡をくれたり、お茶してくれたり、構ってくれたりしたから、いまのいままで生き延びることができている。

10年経ったいま、冗談であれ「しだガールズ」を自称する友人がいたり、ふとした拍子に飲みに誘ってくれる元同僚がいたりする。「デート」を積み重ねてきてよかったと心底感じている。ぼくが一緒にいる人は男女問わず全員デート相手だし、素敵だし、みな恋人にしたい。マジだかんね。

最近、久しぶりにイヤ〜なことを言われた。「しださんの悪いところや危ないところを職場で広めて注意喚起しようかな。評判落とそうかな」

おそらくね、それを言ってる本人は冗談なんだろうけどさ。ぜんぜん悪気なく、ウケ狙いのひとつとして言ってくれてるんだろうね。

でもナチュラルに言い返しちゃったのよ。「ぜんぜんいいっすよ。もしそこで嫌われても、ぼくのこと好きでいてくれてる人は沢山いるんで!」って。咄嗟に返せたし、その言葉が出てきたことに自分の10年の積み重ねと、愛を感じさせてくれる皆様からのご愛顧の厚さをより感じちゃったのよ。ありがとね、マジで。

さて、そんなこんなで21歳の時に出会った友人に誘われてPodcastを配信することになりました。タイトルは『愛の抵抗』。あと数週間でリリース予定です。ぼくが1番楽しみにしているかもしれない。お楽しみに。

3月第5週。

急に気温が上がった。春めいている、というか初夏。街の気分が浮ついている。歓送迎会帰りだろう、人々が騒々しく駅前にたむろしたり、にこやかに横並びに歩く。「花粉症だから」という理由でマスクをしている。こんな春が戻ってきてくれて嬉しい。

毎年何かに一区切りつけて、何かが新しく始まる。その中でこの1年を振り返ってみたくなる。つい3ヶ月前の12月に振り返ってみたはずなのにまたしてる。不思議なものだ。夏の終わりあたりにも反省したらどうだろう。

誘いも増えて自然とお酒を飲む機会が増える。酔うとアレもこれもとやりたいことが沢山思い浮かび、それを口にする。いやぁノリと勢いだけではどうにかならないよと自制心が顔を出す。それを拭うためにまた芋焼酎水割りを頼む。いつだってその繰り返しです。

3月の振り返り。

今年の3月も楽しかった。去年は誕生日パーティしたけど、それとは異なる楽しさだった。小さく、でも暖かく、そんな日々が多かった。ここ10年かけて仕込んできたタネが芽を出した感じがした。また来月会いましょう。

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