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【短編小説】 角と砂

 子どもながらにして自分は肉食動物側じゃなくて草食動物側なんだなっていうのは肌で感じていた。共働きの両親の帰りをお気に入りの恐竜図鑑を眺めながら待っていた。
 父の口癖を覚えている。「大きな会社に入ってそこで偉くなれよ」父は大企業のプロジェクトリーダーで、会社の皆に頼りにされているからいつも帰りが遅いんだって私に言い聞かせていた。それが全部、大企業勤めってところから嘘だったと知ったときは笑った。
 トリケラトプスが好きだった。3本の角で獰猛な肉食恐竜を撃退している場面を、小学校の絵画コンクールの課題として描いた。その絵を母が気に入りリビングのコルクボードに飾ってくれた。そのころには両親はすでに離婚していたから、自分の拙い絵を眺めながら母の帰りだけを待っていたことを覚えている。

 大学を卒業後、大手広告会社に入社した。それからたった2年で国際広告賞を受賞し栄光を手にした。同期は雲の上の存在として私を羨望し、新人に株を奪われた先輩たちは妬みの目で私を見た。広告を作るうえで苦労したことはなにかと問われて「特にないです」と強がってしまうのだから、不遜だと可愛がられないのは私自身もわかっている。
 一連の事件は、よくある凋落劇だった。私の作成した広告デザインが時代錯誤のハラスメントだと炎上した。その炎は過去の作品やプロジェクト内での私の振る舞いにも飛び火し、盗用疑惑やパワハラをはじめあることないことが連日報道された。退職届はあまりにもあっさりと受理され、築き上げた実績は砂上の楼閣となって消えた。

 「盗作はでっち上げだけど、俺の作るデザインが排他的だっていうのは事実だから」
 ジョッキを持ち上げてビールを喉に流し込む。私を囲む後輩たちに愚痴ともつかない独白が向かう。
「プロジェクトを進めるなかで、メンバーにきつく当たってたのも本当だし」
 どれだけ反論したところで人を傷つけてしまったことは事実だ。一連の出来事に対しては自分なりに省みているので、弁護士を立てての提訴も取りやめた。幼少期に感じたもの悲しさを振り払うために自らの内に作り上げた角は、デザイナーとしての道を切り開いてくれた反面、他人から臆病な自分を守る凶器にもなっていたのだとわかる。
 後輩の一人が、おもむろに机を叩く。
「なに言ってるんですか。先輩が想いを持って僕たちに意見を言ってくれたってのはわかってます」
 彼のその言葉を皮切りに周りの後輩たちも口を開く。
「だから私たち、ついてきたんですよ。先輩が優しい人なんだってのはみんな知ってます」
 退職後、彼らの説得があって独立してデザイン事務所を立ち上げることを決めた。まだ報酬もまともに出せるかわからないと言うのに、タダ働きでも構わないと言ってついてきてくれた後輩たちだ。
 赤ら顔で机を叩いた先ほどの後輩がジョッキを掲げる。
「先輩の新しい門出に乾杯」
 音頭に合わせてビールのジョッキがぶつかり合う。その快活な音が合図となって、強固だと思い込んでいた私の角が砂となってどこかに流れていった。

【あとがき】
 仕事系の作品というのが僕には少ないから貴重だ。本当はもっと書きたいのだけれど、僕自身が社会人としてあまりにもフラフラしているから書き込むだけの経験がないのだろう…といってしまうとネガティブな印象だが、別に仕事が嫌いなわけではない。僕にとって仕事とは大人のサークル活動だと思っているので、楽しむことを目的にしている(なお現実は…ではあるが)。
 ちなみに仕事系作品では、(仕事系といっていいのかはわからないが)高校生の頃に重松清の「青い鳥」を読んで僕は教職の道に進んだ。生徒に寄り添える教師になると決意したのだ。あとはどちらも漫画だが「宇宙兄弟」「左ききのエレン」が好きだ。


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