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文鳥【6】

【6】
 年の瀬が迫った冬休みのあの日。その日は珍しく一日中空いていて、久しぶりに部屋でチヨ吉を鳥かごからだして手乗りの訓練をして遊ぼうと予定を立てていた。朝、リビングに降りてきて鳥かごに歩み寄る。鳥かごの中のチヨ吉は止まり木から落ちて、底に転がっていた。動きはしない。チヨ吉は死んでいた。チヨ吉は病気だったのだ。チヨ吉は、リビングの開け放たれた窓から入り込む寒気にさらされて、凍りつくように息絶えたのだ。
 そのときの私はなんでちゃんと世話をしてくれなかったと母親を激しく責めた。なんでもっと健康な文鳥を飼ってくれなかったのだと父親を激しく責めた。振り返ってみれば私の怒りはなんとも理不尽で醜かった。
 私は鳥かごからチヨ吉の死体を取りだして両手で抱えた。チヨ吉は私が生まれて初めてふれる冷たさを伴っていて、閉じられた目を見据えれば、もう私をその瞳に映しこむことは二度とないのだと実感させられた。
 私はチヨ吉を抱えたまま家を出た。この小さな街を見守るようにある、あの小高い丘に向かった。街には昨日の夜から音も無く雪が降っていた。薄く降り積もった雪が街を白く染めていた。
 丘の上に立つ。冷たい風がびゅんびゅんと吹いた。責めるように、吹いた。私はダウンジャケットのポケットにチヨ吉の死体をしまい込んで丘中を歩き回り石を集めた。何個も何個も、できるだけ丸みがあって優しそうな石を集めた。地面の雪に手が触れるたびにしもやけしてしまいそうに指がかじかんだ。
 私は丘の隅の植え込みになっている場所の、誰にも気付かれなさそうな奥まった場所を探して両手で穴を掘った。雪をどけて湿った土を掻きだした。指は赤く冷えて、爪には土が入りこんで汚れた。私は穴にチヨ吉を入れた。そして両手で土をかぶせて、その上に雪をかぶせた。集めた石を一つずつ重ねて積み上げた。チヨ吉のささやかなお墓だ。
 あれから、長い時間が経った。私はあのときよりはずっと大人になった。多くの人に出会い、恋もした。あれから果実のような季節はゆっくりと過ぎ去っていったのだ。
 当時の私は小さな墓をつくり、年末年始をなんともなく過ごし、学校が始まり、それから充実した日々を送った。やがて中学を卒業して、私は進学校へ綾子は商業高校へと進んだ。離れ離れになってもたまにメールのやりとりをして、たまにご飯を一緒に食べた。私は東京の私立大学に進み、綾子は地元の専門学校に進んだ。私たちはお互いの居場所や目標を見つけて本当に離れ離れになったのだ。
 つい最近、ふと綾子からメールが届いた。私の就職が決まるころだと思って連絡してきたのだという。祝わせて、そして髪を切らせて、そう綾子は伝えた。私はそこで初めて綾子が美容師として働いていることを知ったし、チヨ吉のことも、チヨ吉の高らかな鳴き声のことも、この目の前の小さなお墓のことも、思い出したのだ。
 夏の風はやっぱりやわらかくて、私を包み込んでは髪を揺らして流れていく。私はこの長い黒髪を、綾子にばっさりと切ってもらおうと決めているのだ。そのことをチヨ吉に約束するためにここにやってきたのだ。

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