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【短編小説】コインランドリーと和音

 午後8時のコインランドリーで回る洗濯物を眺めている。今日は飲みにいく予定だったけど洗濯物が溜まって着ていく服がないことに気づいた。夕方までにコインランドリーに行かなければと思っても時間だけがずるずると過ぎて結局飲みの誘いは断ってしまった。

 ぐるぐると回転する衣類をボーッと眺めてるとさ、いい歌詞が浮かぶんだ。地元のバンドマンがライブのMCで言っていたその言葉を思い出す。これは、そうやって作られた曲です。彼はエレキギターからアコースティックギターに持ち替えてアルペジオを鳴らす。どこがサビかもはっきりしない陰鬱な曲だった。歌が終われば形式的に拍手したけど、売れないだろうなって胸の内は冷めていた。

 県道沿いに大きくてきれいなコインランドリーがオープンした。洗濯が終わるまでくつろげるというコンセプトで、コーヒショップが併設されていて天候によらず人が入っている。常駐しているスタッフが定期的に磨く白いタイル、等間隔で設置された空気清浄機、LED灯の開放的な光、そこで乾かされる洗濯物は清潔というよりは潔癖に近いようなものに思えて、騙されてるよって思う。

 ここはいまだに薄暗い白熱灯で、置かれた週刊誌は三年前のバックナンバーで途絶えている。ドラム式の洗濯機を開ければ、錆の匂いが鼻を突く。だけど駅前のよりも3分の1ほど料金が安いし、もう一つ優れているところは灰皿が設置されていることだ。コーヒー一杯分の値段で買ったハイライトを咥える。百円ライターで着火しようとするけど湿気のせいかなかなか点火しない。思い通りに行くことなんて何もないなと思う。

 雨降りがトタン屋根を打っている。その音はあのバンドマンの鳴らしたアルペジオに似ている。そのバンドはメジャーデビューして東京へと飛びだった。だけど話題になったのは1stアルバムくらいで、あとは低空飛行しながら3枚目のアルバムを最後にメジャーレーベルを脱退した。それからずっと活動が途絶えている。地元の小さなライブハウスでの最後の公演で彼らは、でっかくなるんで、武道館にみんなを連れていくんで、といってインディーズ活動を終了させた。結局その約束が果たされることはなくて、やっぱり思い通りになることなんて何もないと思う。

 電子音が鳴って乾燥機の振動が止まる。僕のじゃない。入り口横のパイプ椅子に、僕から一つ席を開けて座る女性のものだ。後を追うように僕が使用する3番の乾燥機も止まる。狭い店内には洗濯物を畳む台は一つしかない。ヘッドフォンをつけた彼女と目が合い、声をかけられる。
「お先にどうぞ」
心の内で舌打ちした。タバコに火がついたばかりだったからだ。その苛立ちを汲み取ったのか彼女はぶっきらぼうに言う。
「下着を見られるのが、嫌なんです」
「あっ、そっか」

 向けられていたのは善意じゃなくて催促だったのだと気まずさに立ち上がって、まだ長いハイライトを灰皿に擦り付けて捨てる。勝手に焦って取り出した洗濯物を畳みもせずにボストンバッグに詰め込む。

「畳まないとシワになりますよ。ゆっくりでいいですから」
 彼女が作業台越しに声を掛ける。その言葉に甘えて洗濯物を畳んでいる間、彼女は聞き覚えのあるメロディーを小さく口ずさみながら音楽を聴いていた。ボストンバッグを抱えて、彼女の横を通る際に声を掛けた。

「待たせちゃってごめんなさい」
「音楽聴いてたんで別にいいですよ」
「どんな曲聴いてたんですか」
 興味本位で聞いてみれば、彼女は警戒しながらも答えてくれる。
「ここが地元のバンドのインディーズ時代のものです」
「コインランドリーで歌詞を書いたような」
 僕のかまをかける言葉に彼女は笑う。そう、そのバンドです。私いまでも好きなんですよ。
 
 夜には降り止む予報だった雨はまだ降り続いていて、ままならない世界に誰かを救うようなアルペジオを鳴らしていた。

【あとがき】
 コインランドリーはよく利用する。特に旅先で立ち寄るのが好きだ。なんだかその街に少し溶け込めた気がするからだ。そして洗濯が終わるまでの空白の時間に僕は小説を読みながら待つ。
 バックパッカーとしてパリを訪れた際もそうしていた。そのとき同じように洗濯物が終わるのを待つ同世代くらいの青年が声をかけてくれたのを覚えている。フランス語はもちろんのこと英語だって覚束ない僕はヘラヘラするしかなかったが、それを察した青年は片言の日本語を話し始めた。彼は高校生のとき日本に留学していたらしい。そして僕が読んでた村上春樹の短編集を指して「僕も好きなんだ」と笑顔で伝えてくれた。このときの感情を僕はまだうまく言葉として表現できないのだけれど、なんというかとても鮮烈だった。

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