皮肉なもので、引っ越そうとすると今の土地が良く思える。
最近、引っ越そうかなと思ってしばらく物件を探していました。
物件と言うより、まずはエリアから。
ネットで調べたり、実際にその土地まで足を運んだり、友人から口コミを集めたり。
もともと、どこに住むか考えるのが好きなのもあって、調べるほどにワクワクして、四六時中考えてました(笑)
「ここに住んだらどんな感じなんだろう?」
と妄想して、suumoとGoogle mapを交互に開いてました。
一方で、「いま住んでるところは飽きたし。。それに家も不満があるし。早く引っ越したいなー」
と現在の家には否定的でした。
しかし他のエリアや家を調べていくと、こんな感情が・・・。
「あれ、なんか思ったより良くないぞ、、、あれが無いし、ここも不満だし、こんな懸念もあるなぁ。」
そして自分の今の家について再考します。
「あれ、、いま住んでるエリア、意外とイイんじゃないか?」
「あれ、、いま住んでる部屋、嫌いじゃないぞ・・・。むしろ、大した不満は無いのかも、、むしろ気に入っているし、何より思い出がつまってる・・・。」
そして気づきました。私はいまの家が好きだと。
いわゆる「愛着」がわいていると。
結局、2か月くらい引っ越し計画を練っていましたが、一旦保留にしようかな・・・という思いに至っています。
なんか、こういう感情って皮肉なものだなーと思う。
隣の芝生が青く見えていたのかもしれません。
あと、こういう皮肉さって、今回のことだけじゃないのでは?と。
例えばよくあるのが恋愛。
3年くらい付き合ってれば――中にはもっと短期間の場合もあるが――つい、相手への不満や、マンネリ感が出てきたり。
ほんとうは恋焦がれて(たぶん)晴れて一緒になれたはずなのに、3年後には冷え切っていたり。
新卒社員とかもどうでしょう?
あれほど必死になって、やっと掴んだ内定。
だけど、3年経てば、なんとなく周囲の友人の会社が羨ましかったり。
転職という言葉もちらつくかもしれません。
月並みな言葉ですが、「失ってみて気が付く」というか。
いま自分の手の中にある価値や、幸せ、環境は・・・残念ながら今気づくことは難しく、外に出てみたり、失ったり、手放してみて初めて気が付くのかもしれません。
なんとも皮肉というか、人間の煩悩を感じるというか、業の深さを思い知るというか。。
なんか、そんな気持ちになりました。
じゃあどうすればいいのでしょうか。
いまあるものに対する価値を感じるには。
でもこれってジレンマみたいなもので、失わない限り分からないものなのかもしれません。
こういうのって、頭で分っていても、身体が分からないんだと思う。
体感しないと分からないんだと思う。
だとすれば、大事なのは、体感した時に、はっきりと「あれはあれで良かった」と認識することかもしれない。
裏を返せば、いまの環境に不満があるとしても、いつか「あれはあれで良かった」と思える可能性もある。
ちょっと話を複雑化させてしまったけど、
とりあえずいまの環境に不満がある時は、
一度思い直してみて、いまの環境の良さを捉え直してみたいなーと思う。
それにしても、人生は皮肉なことの連続だなぁ。。
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