おみくじを引いて、偶然性や無意識について考えずにはいられなかった
初詣で、おみくじを引きました。
おみくじを信じる派ですか?
それとも、「こんなの当たらないさ!」と忘れてしまう派ですか?
たしかに、おみくじを作っているのは人ですから、その意味では人工的なものではあります。
また、書かれている内容に何か論理的な根拠がある訳ではありません。
しかし、何通りものパターンがある中から(吉とか凶とかだけでなく、書かれている文章にもバリエーションがあるはず。)自分の意志とは関係なく、完全な偶然性によってのみ巡り合う事象であるという点で、私はおみくじが全くデタラメだとも思えないような気もする今日この頃です。
私は普段、論理性や科学的なものを完全に信仰しています。
しかし──だからこそ──おみくじのような、論理とか必然性みたいなものが一切含まれない事象に対しても、かえって興味があります。
なぜそのおみくじを引き当てたのか?という問いを、「たまたま」としか説明できない点がかえって興味深いのです…!
そういう感じで、おみくじが気になります。
* * *
とは言うものの、おみくじの内容と、実際に起きた出来事の因果は色々な方法で説明がつくと思います。
そもそもおみくじというのは──占いもそうですが──抽象的で、解釈の幅が広かったり、大体当てはまるようなことを書いていることが多いです。
だから、当たったり、それっぽい感じになりやすいのはそれもそのはずです。
* * *
という前提がありつつも──その一方で、おみくじの言葉が与える「無意識」への影響もあるんじゃないかなーと。
おみくじの言葉を信じることによって、それが無意識の中で作用したり、自身の行為や選択、判断に影響を与えることもある気がするのです。
もちろん、信じる気持ちが強い場合など、特定の条件下でのみ言えるかと思いますが。
いわゆる、一種の暗示になる気がします。
(ちなみに前もってお伝えしておくと、スピリチュアルな方向の話ではないです!)
昨年、たまたまフロイトや河合隼雄さんの本を読んで無意識について勉強しました。
内容が難しすぎて、十分に理解することはできませんでしたが・・・それでも「無意識」という概念は私にとっては画期的で、新鮮で、目から鱗でした。
養老孟司さんも、人間は寝ている時間は無意識で、その寝ている時間は人生の1/3を占めているのだから、私たちの1/3は無意識で出来ているのだ、というようなことを著書で述べられていました。
(たしか、「バカの壁」で書かれていました。)
何を言いたいかと言うと、無意識というものがあるとすれば、おみくじはその無意識に影響を与えるのではないか?と思うのです。
何言うてんねん、と思われたかもしれませんので、ここで具体の引用を・・・。
先日、ブラックジャック(原作:手塚治虫)を観ていたら、暗示に関するこんな興味深いエピソードが出てきました。
(karte31:「20年目の暗示」より)
ある日突然、ブラックジャックがメスを握れなくなりました。何故か、手に力が入らなくなったのです。身体を調べても、何の異常もない。原因が分からず、ブラックジャックは焦り、失望していきました。
そんな時、ある高名な精神科医に診断してもらいました。すると、ブラックジャックはこんな出来事を思い出したのです。
それはブラックジャックが幼少期に不発弾の爆発事故に遭い、集中治療室で寝ている時のこと。
その傍でその精神科医が発したこんな一言がブラックジャック少年の耳に飛び込んできたのです。
「あの少年(ブラックジャック)は、20年後には身体がダメになるだろう。」
(手術には成功したが、20年後には身体が耐えられないだろうから。)
その一言は、まだほんの少年だったブラックジャックにはあまりにショッキングで受け入れ難かったので、本人の記憶の底に沈められていたのでした。
それが、ブラックジャックを無意識の中で暗示にかけていたのです。
そして20年の時を経て、ブラックジャックの身体に発現し、本当に身体が言うことを聞かなくなってしまっていたのです。
その暗示となった言葉を発した精神科医に、そのことを指摘すると、そういうことを言ったことを認めました。
するとその瞬間から、ブラックジャックの身体は元通りに動くようになったのです。
まさに、自己暗示が無意識の中で働いていたエピソードです。
なんとも人間の心と身体は不思議ですね。
実際、このケースはブラックジャックが事故のショック状態にあったことや、その言葉の衝撃が強すぎたという状況下で生じた出来事なので、初詣で引いたおみくじが、そのような強い暗示になるとは思いませんが・・・。
少なからず、無意識という領域や、暗示のようなものが存在するような気がしました。
おみくじの話に戻りますが、
そう言う訳でおみくじも信じる気持ちの強さによっては、ある種の暗示になるのではないかなーと思いました。
ポジティブなことなら良いですが・・・ネガティブなことはあまり信じない方が良いんじゃないかなぁなどと思いました。
それで言うと、
神社にお参りする行為や、ご先祖様のお墓参りで手を合わせる行為は、ある種ポジティブな暗示とも言えるかなーと思います。
「家族をお守りください」
とか、
「健康に過ごせますように」
とか、
どれも自身の内面に存在する強い願望であり、それらを内面で願ったり祈ったりすることは、ある意味でポジティブな暗示をかけているのだと思います。
だから、そういう意味でも、神社やお墓参りなどは大切な行為なんじゃないかなーと思います。
(もちろん、第一義は神様やご先祖様に対しての参拝だと思いますが、、、)
それにしても、
私が今日引いたおみくじは、あまりにも自分のことを見通したような内容でビックリしました…!
偶然と言えばそれまでですが、偶然だからこそ…。
人事を尽くして天命を待つ、という心構えで過ごしていきたいと思います…。
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