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子どもを叱りすぎていませんか?“尊敬”と“対等”が子どもの人格を育てる

子どもが大きくなってきて、なんだか自分の思うように子育てができていないと感じる場面が多くなりませんか?気が付けば子どもに対して声を荒げてしまっている、「〇〇しなさい」と命令ばかりしている毎日…。成長して自我が芽生え、子どもが意思を持つことは当たり前とは頭で理解していても、自分の思い通りにいかないとついイライラしてしまう。
でも、その気持ちのうらにあるのは、子どもにより良く育ってほしいという親心でしょう。
今日はそんなお母さんに向けて、子どもを一人の人格として見ることの大切さをお伝えします。

●子どもを尊敬し、対等の人格として接しよう

子ども一人ひとりに一個の人格として尊敬の念を持って接しましょう。子どもを小さいからといって、自分の所有物のように思い、自分の思うままに育てようとしては いけません。

小さくても自分と対等の人格を持った人間として、尊敬の気持ちで接してくださると子育てはうまくいくのです。

たいていはそうせずに、対等の大人に対しては絶対に言わないような言葉を、わが子に対しては平気で使っています。そのような言葉を夫婦間で使えば、おそらく2週間で離婚騒ぎになるでしょう。

夫に対して「どうしてあなたはいくら言ってもわからないの?ダメと言ったでしょう」「いけませんと言ってるのにどうしてわからないの?」と言えますか?このような言葉がわが子に対しては平気で出るのではないでしょうか。

子どもは一人ひとりがどんな子でも必ずいい点、すぐれているところ、他の子にはない個性を持っています。子育てはその個性を伸ばすことにあるのです。子どものよいところを見つけ、それを認め、ほめて育てていけば、どの子も大きく伸びる本性を持っています。

ところが個性で見ようとせず、目先の成長発達や、能力や学力でつい見てしまいます。そしてわが子をマイナスに見てしまい、否定的な言葉を与えて接してしまいます。

そのひと言の何気ない言葉が子どもの人生を変えてしまいます。子どもの心を暗くし、自信をなくさせ、心を動かなくしてしまいます。自分はダメ人間と思い、やる気を失い、好奇心も積極性もない子にしてしまいます。

すべて親のひと言が子どもの姿をつくる要因になっているのです。親は自分がそう育てたとは知らずに、子どもを叱り、時にはたたいてよくしようとします。

このことに気づき、気づいたときから、この逆をやってくださるとよいのです。子育てがうまくいかなくなっている親御さん、子育てに問題を感じている親御さん、子どもを低く見るのをやめて、対等の人格として、尊敬の気持ちを持って接してください。すると子どもがみるみる変わります。

子どもの人格を認める言葉がけが、子どもの自信を育て、素直さを育てます。一個の人格として、一人前扱いをすると、子どもはみな変わります。

●対等の人格として接すれば子どもは変わる

あるお母さんがこの見方を学び、子どもを一人前扱いすることに決め、泣き虫で頼りない子どもにいろいろな用事を頼み、お母さんを助けてくれるように頼みました。初めはお掃除のときにちりとりを持ってきてもらうことからです。

持ってきてもらうと「手伝ってくれてありがとう。ママ助かるわ」とお礼を言い、お父さんにそのことを報告して、お父さんにも子どもを認める言葉、ほめる言葉を言ってもらいました

すると子どもがみるみる変わりました。しまいには一人でお店に豆腐を買いに行ってくれるまでになったそうです。その頃にはメソメソしなくなり、しっかりした子になりました。

また、ある高等学校の2年生の少年は、学校中の先生に白い目で見られ、乱暴な少年として怖がられていました。

学期が変わり、他校から転任してきた新しい先生が、その少年のいるクラスの担任になりました。古い先生方はみなその少年のクラスの担任になることを恐れ、新任の先生に担任を押しつけたのです。

ところがそのことが、少年にとっては大変幸せな転機となりました。

新任の先生は少年たちの心がわかる先生でした。先生は一人ひとりの少年を一人の個性のある人間と見て、尊敬の気持ちを持って接する先生だったのです。

その少年の担任になったとき、他の先生方からその少年について悪い噂をさんざん吹き込まれました。にもかかわらず、先生の心には動ずる気持ちが少しもありませんでした。先生はその少年のクラスの担任になったとき、その少年を人気のない体育室に呼び、一個の人格対人格として話し合ったのです。

「きみはみんなから乱暴者と恐れられているが、どうしてそのようなことをするの?」
「誰もが俺をそんな目で見るからさ」

そこで先生は、少年をそのような色眼鏡で見ず、一個の人格として尊敬の気持ちで接するよと告げたのです。その愛の言葉が少年を変えました。少年はその日からプッツリ乱暴をやめたということです。

つい焦る気持ちが先行して、子どもに厳しい言葉をかけてしまいそうになるときは、ぜひ一呼吸おいて接してみてはいかがでしょうか?