美しさはどこにある?
人は美しいものが好きです。
ただその美しいものを、他者と共有するのは案外難しい。
なぜなら、美しさの基準は人それぞれだから。
「あなたはそれを美しいと思うのね。別にいいんじゃない。私は美しいとは思わないけど」
多様性を受け入れるふりをした無関心の出来上がりですね。
でも、だったらなぜ僕らは「美」という感覚を持っているのでしょうか?
人それぞれとしか感じられないものなら最初からない方がいいかもしれない。
だって争いの元になるだけだから。
ただ、なぜだか理由はわからないけど、美という感覚を持って生きている。
だとしたら、もしかしたら誰しもが納得できる美というものがあるのかもしれない、と考えたのが昔の哲学者です。
真・善・美
ってやつですね。
ではそんな普遍的な美があるとしてそれはどんな感覚のものだと思いますか?
、、、と質問したけれど、僕が正解を提示できるわけではないです。
というか、誰も答えは提示できないはずです。
だって、もし普遍的な美がわかっているのなら、皆それに向かって生きるわけですが、でも現実を見渡せば、こんなにも生について悩む人がいるのですから、おそらく普遍的な美というものはインスタントには見つからないってことだと思うのです。
でもね。
だからと言って、答えを求めることをやめる必要は全然なくて、むしろ答えを目指すことに意味があると僕は考えています。
理由は簡単で、目指していれば答えに辿り着ける可能性は開かれ続けるからです。
流行りの台詞を拝借すれば「諦めたらそこで試合終了」ってやつです。
そして、セルバンテスじゃないけど「人生は道中である」と理解するなら、きっとその道中でどれだけ美しさを目指して生きたかという過程が、あなたが目指す美しい人生になっていくのだと思います。
思い通りならないことだらけでしょうけど、明日からも頑張っていきましょう!
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