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No.84 「正統史観で読み解く銀河英雄伝説」雑感 -- 「ユリアン史観」から読み解く「その後」 --

0. Abstract

銀河英雄伝説解説動画第17回後編正統史観で読み解く銀河英雄伝説

とその元になったblog

【銀河英雄伝説解説第16回中編】正統史観で読み解く銀河英雄伝説~正統性を巡る時代を超えた闘い~

を読んでの雑感を述べる. 

1. Introduction

 たまたま上述の動画とそこを遡ってのblogを見つけたのでみて, 読んでみた. 内容は「銀英伝」界隈で度々話題になるユリアン史観(を「その後」の歴史の正統史観として確立したという仮説)から, トリューニヒトを相補的に読み解く(ユリアン史観に基づいてトリューニヒトを読み解き, 逆にトリューニヒトをユリアン史観の傍証とする)というものである. これもこの界隈では度々上がる論考であるし, 私のトリューニヒト観に近いので, 頷けるところも多かった. 他方, 「銀英伝」後 (ローエングラム朝がどこかの段階で立憲君主制に移行した際に成立したのが「銀英伝」) の歴史解釈の差異も明確にあるような気がして, その辺を雑感として少しまとめる. まず, Section 2 でユリアン史観とそれに基づいたトリューニヒト観を簡単に紹介し, 次いで Section 3 で私個人の「銀英伝」のキャラの評を述べる. それを踏まえた上で, Section 4 で「ユリアン史観」に基づいた「その後」を論じる. 

2. ユリアン史観とトリューニヒト観

 この話は詳しく話すと長くなるので, 上述の動画を観るか, blogを読むかしてもらいたいが, 必要最低限の概略だけ簡単に述べると「ユリアン史観」とは,

「銀英伝」を後世に記された (特にヤンの後継者であるユリアン・ミンツにより記された) 歴史である

という観点に基づき, 「銀英伝」を読み解くというものである. これによると, 作中の余りにワンサイドな諸々の描写を, 単なる「ご都合主義(主人公補正)」で片づけるのではなく, 人為的に美化された「創作」と捉え, 合理的な解釈を与えられるようになる. これはコジツケやヒネクレタ見方とも考えられなくもないが, 作中にも度々メタ的(歴史的)観点で語られることから, 満更デタラメな解釈でもないと思われる. 

 この「ユリアン史観」が適用される典型例が, 「銀英伝」最大の悪役(?)とされるヨブ・トリューニヒトで, それによって彼の見方, 評価が大きく変わるのである. これが「ユリアン史観」の醍醐味なわけだが, 正直そんな大層なものを持ち出さずとも, ある程度大人(たとえばヤンよりも年上)になれば, むしろ, ラインハルトやヤンの酷い幼稚性(所詮はモノも世も知らん若造だな)の方に自然と目が行くようになるので, 必然的にトリューニヒトの評価は改善される傾向が一般にあると思う. 

3. 私的「銀英伝」主要人物評

 さて, ここでトリューニヒトと関連した「銀英伝」主要キャラの私の評価を述べてみよう. 前もって言っておくが, これは恐らくかなり異端の価値観で, 多くの人と「戦争」になるかもしれないが, 本稿を論じる上では避けて通れないので, 必要な分だけ述べておく. 

トリューニヒト:非常に有能かつ器の大きい人. 少なくともヤンよりもずっと上, ラインハルトよりも遥かに上. 恐らく作中で彼に類する傑物は, ルドルフか, ハイネセンくらいで, 多分その両者の上位互換にあたる. 

ヤン:作中ではただの偏屈な一軍事官僚. ただし, 「銀英伝」とは

「ヤン・ウェンリーの苦悩と矛盾の物語」

であると思うので, メタ的に物語を解釈する上での基準点となる極めて重要な存在.

ラインハルト:作中一番の戦犯. 「姉が皇帝に見初められた」という全く意味不明な理由(普通の帝国貴族なら素直に喜ぶところなんじゃない?)から, 何を血迷ったか「ルドルフを越える」とイキったあげく, 「ゴールデンバウム憎し」のルサンチマンでお仲間と共に世界を引っかき回すだけ引っかき回した後, 劣化ルドルフにさえなれないまま, ``処理''された(ラインハルト暗殺説)どうしようもないほど幼稚で浅はかな愚か者.

 過激な(特にラインハルト)評は``無限''に続けることができるが, とりあえず禁欲して, 今日はこのくらいにしておく. 正に「ユリアン史観」全開と言わんばかりに, 諸々の評価が見事に逆転している. その理由を論じようとすると, 非常に長くなるのでやめる(別にもう一本noteがいる)が, 客観的な評価と「その後」を考えてのことになる. そして以下「その後」について, 「ユリアン史観」に基づいて論じることにする. 

4. 「ユリアン史観」から読み解く「その後」

 上述の動画やblogでは, 

『「その後」ローエングラム朝が立憲君主制に移行した時代が来て, その正統性を確立するために用いられたのが, 「ユリアン史観」であり, それに基づいて作られたのが「銀英伝」である』

とされている. 私も概ね同じ考えではあるが, 大きく異なる点が一つあると思う. それは

『ローエングラム朝は恐らくラインハルトの死後まもなく滅んだ』

と考えている点である(つまり, ローエングラム朝に立憲君主制を確立できる未来など来なかった). 理由は様々だが, ラインハルトの息子の名前が

「アレク大公 (つまりどう考えてもアレクサンドルス4世)」

だからと言えば十分だと思う.

 史実ではアレクサンドルス4世はディアドコイの争いに巻き込まれ15年も生きられなかったが, アレク大公もそのままローエングラム朝に居座っては成人になる前に殺される可能性が高い(特にラインハルト暗殺説に基づけばその現実性はグッと増す)と思う. これは正に「親の因果が子に祟り」で, 何の背景も無い貧乏貴族が一代(というかわずか10年くらい. 元帥府樹立後換算で行けばたった5, 6年!!)で成り上がったローエングラム朝は, ラインハルト亡き後に何の正統性もないからである. 正確には「正統性は力だ」という前時代的価値観で突貫で作ってしまったので, その「正統性」は他の力で容易に覆されてしまうのである.

 正にここに死ぬほど苦慮したのが, かのルドルフ大帝であり, 結局何十年にもわたる大粛清の後にようやく「正統性」を確立できたのがゴールデンバウム朝であり, そうであるがゆえにかの王朝は500年ももったのである. それを欠片も理解していなかった(理解していれば「ゴールデンバウム朝を滅ぼす」などという全く愚かな大失策をしなかったであろう. というよりラインハルト以前の歴史に出現したであろう天才たちは, ラインハルトのようにできなかったのではなく, 恐らくそれをわかっていたからあえてしなかったのだと思う)哀れな金髪の小僧とそのお仲間の末路はまぁ「悲惨」の一言では片付けられない程, 凄惨だったと思われる(何せ方々でやったことを同じ理屈でやり返されるのだから). 

 こんな「その後」の描写は史実の, アレクサンドルス3世(最近ではイスカンダルの方が通りがいいのかな?)亡き後のアルゲアス朝や, チンギスハン亡き後のモンゴル帝国, あるいはそれより遥かにスケールが小さく馴染みのある織田信長亡き後の織田家と織田家臣団等々いくらでも参考例があり, 容易に想像ができる. ただそういった事実や歴史の例とは全く独立に「銀英伝」の中からもう一つ上げられる根拠があって, それが正に「ユリアン史観」なのである. 

 繰り返すが「ユリアン史観」とは

『「銀英伝」を田中芳樹の小説ではなく, あの世界の歴史に基づいて後世に, (とある「正統史観」を確立するために) 創作された物語である』

と解釈する思想である. そして「銀英伝」をそのように捉えるのであれば, 非常に大きな問題が生じる. それは

『何故「銀英伝」はあそこで終わっているのか?』

ということである. なるほど, 「銀英伝」はラインハルトやヤンに連なるその後の何者か達の歴史の「正統性」を確立するために, 歴史に基づいて創られた「物語」であるとしよう. であるならば, 何故「その後」を書かなかったのか.

 「正統性」とは, ある意味でゴールデンバウム朝が正にそうであったように, 「連続性」である. つまり「正統性」を謳いたいのであるならば, なおのこと自分たちが如何にラインハルトやヤンと繋がっているのか, つまりはその「連続性」を高らかに喧伝しなければならない(というよりラインハルトやヤン達よりもむしろそちらの方が大事とさえ言える). では, 何故それを書かなかったのか. 

 私の結論はこうだ. つまり, 「銀英伝」の創作者たちは「その後」を「書かなかった」のではなく,  「書けなかった」のだ. 何故ならば「その後」の歴史は余りに凄惨で, 「連続性」など担保できなかったし, むしろ直接的に繋がっては困るとさえ言えるからである. というより, 「その後」ラインハルトやローエングラム朝の評価が低かった時代がかなり長く続いて(史実に即せば, たとえば唐の前の隋の煬帝の評価が異常に悪かったことに類すると思う), その長い動乱がラインハルトやヤンの関係者らや子孫たちによりようやく収まってから, ラインハルトの評価を改めるために作られたのが「銀英伝」なのだと思う. 

 実は歴史上でもこれに近い例があって, それが「三国志」である (実際, 「銀英伝」を「三国志」になぞらえることもあるので, その意味でも近い). これに喩えるならばローエングラム朝は司馬炎の晋王朝であり, 「その後」の時代は三国時代以上の地獄の五胡十六国時代にあたる. で, 三国時代の「物語」(「三国志」あるいは「三国志演義」)はあっても, それがもたらしてしまった五胡十六国時代の「物語」は存在していない. 尤も陳寿が「三国志」を記したのは三国時代直後の晋朝がまだあった時代だから, こう解釈する「銀英伝」とは必ずしも一致しないが, 正史になったのは唐の太宗の時代のようなので, 「正統性」の確立という点で見ても, あながち的外れな指摘でもないと思う. 

 ここで解釈をまとめてみよう. 「ユリアン史観」に基づいた「銀英伝」の解釈によると, ラインハルトやヤンを「伝説」という歴史の「彼岸」に置いた上で称賛している一方で, 「その後」を描かずに歴史から切り離して「伝説」とすることで, あえて「連続性」を断とうとしている. これは英雄たちの正統性にあやかりたいというより, 逆に汚名返上の試みと解釈する方がしっくりこないだろうか.

 つまり, あの全く愚かでどうしようもないバカのラインハルトがやらかして無様にくたばった性で, ゴールデンバウム朝なんて目じゃない程の規模で「その後」みんながエライ目にあってしまった. それがようやく収まったのだが, なんとその関係者にあの金髪の小僧の末裔やら何やらの連中がいるというではないか. これは困った. そこで

『いや, 今の体制の大本になったヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツと, ラインハルトは実は密接に関わりが合って, ラインハルトもその立役者の一人だったんだよ』

というストーリーにしたというのが私の説である. こう考えると, 一見ラインハルトが主人公に見える「物語」で, ヤンサイドが対等かつ好意的に扱われる理由も自然に説明できる. 

 そもそも論として, もし「その後」もローエングラム朝がつつがなく存続して, ある時期に立憲君主制に移行できたのであれば, 「正統性」をわざわざ確立する必要もないのだ (ここも上述の動画とは見解が異なる部分である). 何故ならば, つつがなく存続できたならば, ローエングラム朝とその血筋は「権威化」に成功しているわけなので, 改めて何かをする必要はない. 実際, ラインハルトが諸々の改革(?)を実行する際にも陽には (陰には「あくまでゴールデンバウム朝の代理」という名目があり, 実はそれが一番大事だったのにあのバカはそれを自分で手放した) 権威を用いてはいなかった. だから, 立憲君主制に移行しようがローエングラム朝の改革の one of them だと思えば, 別段それでどうこう言われることもない. 次いで立憲君主制に移行する際に, 旧同盟勢力が入ってくるとしても, そちらの正統性も, ローエングラム朝が権威化しているならば, もはや必要ないのだ(ローエングラム朝が旧同盟側を認めたこと自体が正統化になる). だから, わざわざ「正統化」のために, まして現在との「連続性」が全く担保されていない「銀英伝」という「物語」が必要になったという状況自体, 「その後」に何かが起きた (つまりローエングラム朝がつつがなく存続できなかった) ことの一つの証拠だと思っている. 

 上述で

ローエングラム朝に居座り続けていたらアレク大公は成人する前に殺されていただろう

と書いたが, 「ユリアン史観」が成立したということは, 殺される前に旧同盟側に親しい関係者と亡命したのだと思う(ここまでゴールデンバウム朝をなぞっていると正に滑稽である). で, 臨時政府でも樹立したか, 何をしたかは知らんが, ゴールデンバウム朝の帝国臨時政府の時(神々の黄昏)と違い, 旧同盟はローエングラム朝のディアドコイが一枚岩でなかったことから, 滅びずに存続できたのだろう. それから「その後」ディアドコイ達の国ができ, 長い膠着状態になって, そのまま時代が過ぎていった. そんな中で旧同盟一派が外政的にも, 内政的にも自身達の「正統性」を打ち立てるために確立したのが「銀英伝」という「物語」だった. 

 ここまで書けば, 何故私のラインハルト評が異常に低い(ボロクソ)かが, ご納得いただけるだろう. 逆にそれこそトリューニヒトが死ななければ, もう少しマシな未来になったかもしれない. ただし, トリューニヒトがいくら有能だったとはいえ, ゴールデンバウム朝を滅ぼしてしまった(これが取り返しがつかない)のが余りに痛く, やはり「その後」はそんなに変わらなかったかもしれない.  ゴールデンバウム朝とトリューニヒト, この両方が存続出来ていたら, 多分未来も結末も大分変っただろうし(そもそも帝国, 同盟, フェザーンの三角関係のままで何の問題もなかったのに, あの金髪の小僧は何故それを無理やり一つにまとめようとしたのかが全く意味不明. 面倒が増えるだけで, 何の得にもならないし,「ゴールデンバウム憎し」のルサンチマンとももはや何の関係無いことなのに), 当のラインハルトやヤン達もずっと幸せな結末を迎えていたと思う. 

 Introductionで紹介した動画の「ユリアン史観」によるトリューニヒトの再考というのは昔からよくあったと思うが, こういう「ユリアン史観」に基づいた「その後」の考察はあまり見たことがない気がするので, 最近Die Neue These が第4章まで完結したこともあり, この機会にまとめておいた. 

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