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景観と公共建築についてー大阪中之島美術館の考察ー

大阪中之島美術館がオープンした。
大阪でもこの規模の単体の公共建築が完成したのは何十年ぶりなんだろうと思う。

大きな建物をまとめるのはそれだけでとてつもない労力が必要だけど、そこに美的な価値を付加するのは言わずもがな、設計者、施工者の多大な労力が要る。
その多大な労力をかけて美術館が立ち上がったことは難しい話を抜きにして祝福されるべきことだと思う。
 
大阪中之島美術館を景観問題の中で語るのはどうかとも思うが、この建築の建設案が決まろうとする際、世間は国立競技場問題に沸いていた。
スケールや用途は違えど、社会の大規模公共建築に対する目は相変わらず厳しい。
個人的にこの美術館に、木材とか植栽とか、安易に政府が語りうる景観問題回避の方法論と別の、違う回路が潜んでいるように思えたので、少し長くなるが、まとめたいと思う。

話を当時2013年の国立競技場問題に遡ると、初めは高名な建築家による景観的な批評から端を発し、その批評が東京の建築界、メディア、大衆という順番に燃え広がった。

問題の本質は横滑りし、派手で華美な形状=高コスト、税金の無駄遣いというメディアの扇動もあって、日本が国際的に開催したコンペで選んだものにも関わらず、それを国内の炎上騒ぎから白紙にするに至る。末期には建築の経済専門家なるコメンテータやら、訳の分からない役者まで出現し、個人の好き嫌いで歪められた情報が混乱に混乱を招く事態となった。
『アンビルドの女王』などと日本マスメディアやSNSの一部の人間がしきりに取り上げたが、それは氏の提案が技術的に実現不可能だった2000年前後までの話で、中国や韓国、ヨーロッパにおける果敢な実例を見ると、多くの実績の伴う建築家であることが容易にわかる。それでも、キャッチーな批判はすぐに広まるのがメディアの恐ろしいところである。

設計者であるザハ=ハディト氏を槍玉にして、個人だけでなく途中まで設計に関わっていた多くの関係者の労力が徒労と化した。

ザハ=ハディト初期コンペ案

これに代わり、隈研吾氏は、木材や木材風のアルミルーバー、植栽を使うことで、外観は凛と大人しく、日本文化に接続したような提案を打ち出し、競技場を無事に完成させることとなった。

隈研吾 国立競技場案

氏をメディアが『和の大家』と持て囃すのは、異文化から持ち込まれた提案を跳ね除けた日本文化に、それに代わる真っ当な日本らしさ?を見事に具現化したがゆえの、やや排他的なニュアンスを含んだ賞賛に聞こえるのは私だけだろうか。
ちなみにそんな風に隈さんを呼ぶのはマスメディアだけである。

日本人の伝統的な領域(外苑)に対して、思いがけないものが立ち現れる時のアレルギーを引き起こしたのがザハ案だったとして、隈案はそのアレルギーを起こさないようなデザインであり、これは良し悪しを超えた戦略だと思う。
(一方で現在進行中の大手ディベロッパーによる外苑沿いの大規模開発が全く取り沙汰されないのが極めて不思議である。)

さて、そんなきな臭い社会背景の中で、公共建築の外観はますます慎重に作られる必要があった。

中之島美術館の外観を見ると、黒い箱が浮いている。
色は漆黒で光の光沢は全くない。それが地上からワンフロア分浮き上がることで、所謂重たい箱物感をある程度払拭し、公共的な雰囲気を作り出している。

注目すべきはその対比としての内部空間で、光に照らし出された光沢のある金属板、巨大な気積をもつホール、そのホールを縦断するエスカレーター導線、など、内部空間はどちらかといえば派手に近い。初期のパースを見ると、内装も黄金色に輝くパネルのようなものが用いられているような色合いであり、外部との対比は作為的なものだと思う。

中之島美術館初期パース


話は逸れるが、現代建築家のレム•クールハースは、資本主義の力により、建物がある規模を超える時、その外観や空間の良し悪しと別に、その規模ゆえに帯びてしまう質をビッグネスと呼び、そんな資本の原理の中にあって、いかに建築をつくるか。ということを1990年代に世界で初めて試行していた

その中で多用した手法がネガ•ポジ、いわゆるヴォイドの戦略というものだった。

在ベルリン・オランダ大使館のコンセプトモデル&ダイヤグラム

誤解を恐れずまとめると、巨大すぎる建物の外観やボリューム(塊)自体を主題にした所で、人間の活動の場と無関係な、作家による恣意的なモニュメントになってしまう。ならば、必要な用途は単なる塊としてあまりこねくり回さずに、塊からくり抜かれた用途に縛られないヴォイド(空洞)を主題の空間として捉え、空洞に多様な場を作り出そうとするものだった。
外部の形でなく内部の形を、用途部分でなく、それ以外のスペースを主題にするという考え方の反転である。

カーサ・ダ・ムジカ、2005  OMA


氏が設計したポルトガルの多目的ホール、カーサ•ダ・ムジカは、多角形の塊の中をくり抜き、パブリックスペースや移動空間を絶妙に折り畳んだ、その魁となった建築である。

異様な塊はポルトガルの風景と対をなしながらも、塊からくり抜かれた空間は街や海の景を取り込み、内部で動的な交流を生む建築になっている。内部は迷路のように入り組んでいて、外部のミニマルな素材と対比的に、内部のヴォイドとなる空間には色々な材料が用いられている。

中之島美術館に話を戻すと、中之島美術館の塊の中に貫通するロビーの大空間は、このヴォイドの戦略をシンプルな立方体において、美術館という、より戦略が的確に効くプログラムで実現されたものであると解釈することも出来るのではないか。
黒い塊から抜き取られたヴォイドの空間(ロビーから連続する大空間)と、それ以外の光や空間の位置を問わない展示室という大まかな構成で、訪問者はヴォイドで都市や立体的な空間を体験し、それ以外の空間で純粋に美術品と向き合うことになる。

(誤解を免れないように付け加えると、この方法論はすでに多くの建築で用いられており、90年代以降、建築手法の一つとして一般化されたものである。また、遠藤氏がこの手法を意識されたかどうかは定かではないし、複合的な条件でできる建築は一つの方法論だけで語りうるものではない。あくまで一つの見方で『解釈できる』という話を前提にしたい。)


『建物の容積が巨大化する資本主義の中でいかに建築を作るか』
『景観的制約が極めて難しい日本世論の中、いかに建築を作るか』
違う要件の中で行き着いた戦略は奇遇にも外観をドライに扱い、内部から建築を紡ぎ出す方法だった。

最後に、中之島美術館の隣に立つ、国立国際美術館にも触れたい。
形として巨大すぎるものや(箱物批判)、華美なもの(国立競技場問題)は避けながらも、特徴的でモニュメンタルなものがどうしても必要な美術館には、時代毎に求められる異なる建ち方がある。

隣地に立つシザー•ペリの国立国際美術館は、ボリュームを丸ごと地下に埋め、モニュメンタルで機能のないステンレスパイプの龍?だけが地表に現れ、美術館の軽やかで見せかけの顔となっている。
これは当時の巨大な建物自体に対する箱物批判を免れる一つの戦略だった。
内容である建物地面に埋まり、存在感が消されているが、工法的にも材料も、使われているものはそれなりに高価なものが多い。
ちなみにこの竜はエントランスや展示ロビーを照らす立体的なトップライトの役割もある。個人的には時代が作り出した雰囲気もあるけど、わるくない建築だと思う。

国立国際美術館 シザー・ペリ

大阪中之島美術館では、これとうって変わり、内容は宙に持ち上げられ、地面から堂々と突出している。
しかし、周辺に巨大なタワーマンションが立ち並ぶ2010年代以降の大阪中心部では決して悪いほど大きく突出するものではない。
また、国立国際美術館のように形状が複雑なモニュメントにコストが割かれるというような隙が見当たらない。

これは建物の大きさ自体もさることながら、形の華美さやコストの無駄遣いを如何に感じさせないか、が主題となった時代の戦略である。

批判にさらされやすい外観は凡庸な形にしながらも、素材に漆黒の存在感を纏わせること、外部と対比的に内部に凹凸と特徴のある空間を作ること、複雑な構造は避けて半規格品を用い、コストをまとめること。

2000年代と、2020年代では、こんなにも日本の公共建築を取り巻く状況が変化したことを、中之島に立つ2つの美術館の対比が物語っている。

複雑な時代背景の中で選ばれ、かつその中で生み出されたものは社会を表象している。それゆえに極めて社会的で、個人的な作家の域を超えた公共的な磁場によって生み出される。
大きなものであればあるほど、安易に拡散しやすい批判の磁場をくぐり抜け、計画を実現させるための戦略が求められる。

この建物はそんな中で一つの解法を鮮やかに、そして控えめな外観で提示している。

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