悼むとは 2021/10/16

おばあちゃんが死んで2週間ほど経って、自分が感じたことを文字にしたくて、でもできなくて、10月に入ってから紙の日記もつけていなくて、今日久しぶりにnoteを開いた。世界は毎日動いている。色々な人が色々なことを考えている。

わたしが何を考えているのかは、こうやって表出させないと誰にもわからない。わたしにも分からない。だったら書いたほうがいい。

小学生のときディズニーランドに行った作文でディズニーランドに着くまでの車中エピソードで作文用紙8枚を費やしたことがあるので、すごい長文になるかもしれない。

9月27日:長く入院しているおばあちゃんに、酸素吸入が必要になったと母から連絡が入った。覚悟が必要かも、と。一応上司に連絡をいれた。めちゃめちゃ仕事が忙しかったので、何かあったら休めるなって思ってしまった。くそばかめ、そんなことちらっとでも思ったらいけないのに。

9月29日:おじいちゃん、おば、おじ、母が面会に行って、母がLINE通話でおばあちゃんを見せてくれた。鼻に酸素吸入の管がつながれていて、髪は真っ白で、でもほっぺがつやつやしていて可愛かった。おばあちゃん、元気?と(絶対元気ではないのに)聞いたけど、喋れはしないみたいだ。でも、早く元気になってみんなでご飯に行こうね、と言ったらちょっとだけ手を振った。わたしもだけど、母がとても嬉しそうだった。スクショした。

そのあと、母から「あたたかいおばあちゃんに会いたいなら週末に面会する?」とLINEがきて、なんちゅう言葉選びだと思ったけど、そりゃあたたかいおばあちゃんには会いたいので、行くと返信した。

9月30日:朝6時過ぎにアラームが鳴る前に目が覚めた。秋晴れの朝。母からLINEが入っていた。おばあちゃんが亡くなった。

あたたかいおばあちゃんには会えなかったな。でも昨日LINEで顔が見られてよかったな。そう思いつつ、亡くなりたてで孫ができることは特にないので、一応始業をすることにはした。上司や先輩に一報を入れたら、当然のようにお悔やみの言葉が返ってきた。私は多分誰かの訃報を聞いたとしても一旦「お悔やみ 言葉 メール」とかで調べてからじゃないと自信を持って返信できないと思うので、素直に社会人ってすげーと思った。

母から、今葬儀社で話をしているから来る?とLINEがきたので、忌引きをもらって家を出た。北千住。居酒屋解禁前に行くことになるとは。銀ピカ原色ネイルをしていたので、外せばよかったなと思いつつ、おばあちゃんは花柄とか派手な色好きだったしいいかと思った。

葬儀社についたら、おじいちゃん、おじ、おば、母、父、弟が集合していた。まさか思春期続行中でここ10年まともな会話をしていない弟が先に来ているとは思わずびっくりしたけど、そういえば弟はおばあちゃん子だったな、と思い出した。というか、おじいちゃんが初孫の私を可愛がりに可愛がっていたので、おばあちゃんは弟をきっちり可愛がっていたのか。私もおばあちゃんのことが大好きだったけど、でもやっぱりおじいちゃん子としてのアイデンティティが強いから、ここは弟に先越されといてよかったなと思った。

ついたときはちょうどお葬式の時に使う額の色について話していた。黒の他に、パールピンク、パールパープルなどがあり・・・と説明をしていて、iPadみたいだなと思った(でも大人だからそんなこと絶対言わない)。議論の結果パープルになった。ナウいね、やるね、ばあちゃん。本当はキャスキッドソンとかにしてあげたいけども。小さい額は家に持ち帰れるという話になった時に、おじいちゃんが「でもね、うちにはゴマンと写真があるんですよね」と言っていた。もらえるものはもらった方がいいよ、とみんなに言われて、じゃ、いただきますとなったので良かった。

そこでおばあちゃんにも会えた。棺に入っていて、よくつかっていたらしいひざかけがかけられていた。ドライアイスが仕込まれていたので、文字通りあたたかいおばあちゃんではなくなっていたけど、肌はやっぱりつやつやで可愛かった。肌もすごい白い。絶対ブルベだなばあちゃん。マゼンタ色の服とか超似合ってたし…。綺麗だな、かわいいなと思ってほっぺを触って、もう一度顔に布をかけた。

お化粧はスタッフに頼むこともできるけど、親族がやるとタダになるそうで、母とおばとわたしが引き受けることにした。母に、メイク道具いっぱいあるでしょ?と言われたけど、ばあちゃんブルベだけど私イエベの色しか持ってないからな…と美容アカウントバズツイートみたいなことを思ってしまった。ほっぺはピンクにした方がかわいいだろうから、ドラッグストアでチークを買おう。口紅は薄いピンクのがあるからそれをちょっとさしたらかわいいかも。あとは眉毛ね…と人にメイクなんてしたことないから、ちょっと嬉しい気持ちになった。初メイクがおばあちゃんなんて誇りですね。

色々と日取りなどを決め終えて、お昼ご飯を食べにいくことにした。おじいちゃんは食べる気がしない、と言っていたけど、おじいちゃんまで元気がなくなると本当に大変なので、腕を組んで街を歩いた。今ではなんだそれ、と思うけど、忌引きをもらったのなら、何かしら役に立たないとと思ったのだ。

北千住は中高の頃、おじいちゃんとおばあちゃんと私とでたまに来て、私は誕生日やクリスマスプレゼントを買ってもらって(ルミネにPar Avionがあった頃。わたしは店員さんに「おじいちゃんを連れてきてPar Avionを買っていく中学生」として覚えられていた)、その後にマルイのお蕎麦やさんでお昼を食べるのがお決まりだった。その店があったら良かったんだけど、なくなっていて、なぜか有線が流れる蕎麦屋でお昼を食べた。中島みゆきの糸を聞きながら食べる蕎麦は結構微妙だった。

そこでおばあちゃんの遺影も選んだ。2年ほど前の、ピースをしてビールを持っている写真にした。ビールとかは葬儀屋さんがフォトショで消してくれるらしい。別に消さなくてもいいけどね、とか思った。でもそういうことすると戒名が麦酒酔〜〜〜とかになっちゃうのかな。それはそれでいいけど。

お昼を食べ終えて、一旦そこでお開きになった。こんなご時世なのでお通夜ができない、としょんぼりするおじいちゃんに、夜みんなでお通夜がわりの食事をしようと言って、わたしは母と喪服を買いに行った。リクルートの時イキってグレースーツを買ったので喪服がなかったのだ。青山で50%オフのパンツフォーマルを買った。最近仕事鬼忙でちょっと痩せたので、見栄えが良くてちょっとテンションがあがった。自撮りしちゃおうかな(ダメですね〜)。

北千住から南千住の実家まで、母と喋りながら歩いて帰った。母とおばあちゃんという二人を考えると、どうしてもわたしと母という二人も考えてしまって、「元気なうちに旅行連れてってよ!」とおどける母を、どこにでも連れていきますと固く誓う。お金を貯めよう。ワイワイしゃべりながら帰った。母が明るい人で助かる。気分屋で子供っぽいけどやっぱりママのこと大好き。


書ききれなかった。お通夜編につづく。


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