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映画「MINAMATA」を観てわかった/最近のSDGs推しが上っ面に見える理由

 ジョニー・デップ主演の『MINAMATA』を観てきた。アメリカ人が作ってバルカンで撮影したというから、どうかなと思ったが予想以上にいい。デップ大熱演。

 本来は、日本が作らなければいけなかった映画。この映画を観てわかったこと。それは、最近のSDGs推しが上っ面な感じがするのは、過去に体験した四大公害病を、なかったことにしているからだということだ。

 「時代の潮流だから」、あるいは「欧米が取り組んでいるから日本も」と、一気に広まっているSDGs。もちろん、それは時代の趨勢であり喫緊の課題なのだが。しかし、どこから出発するかはその国によって違うだろう。

 何を土台にして、あるいはどういう反省から問題に取り組むかは、国によって違うはずだ。そして日本の場合、高度成長期に生み出した四大公害病を振り返ることなくして、少なくとも環境問題は語れない。

 あれをなかったことにしたり、忘れたりしているようでは掛け声倒れになる。おしゃれな感じで普及させるだけでは軽過ぎる。高度成長のために、どれほどの命と健康を犠牲にしたか。

 語り伝えないということは、なかったことにしていることである。忘れたいのだろう。この映画の最後に出てきて思い出したのだが、安倍元首相は2013年、「日本は水俣病を克服した」と述べた。

 確か国際会議を水俣で開いたんだった。そしてそう言ったのだ。私はそのとき、「これで決着をつけ、終わりにしたい」という意思を感じた。

 安倍元首相は平気で嘘をつく。虚言癖もある。世界に向かって、汚染水はアンダーコントロールされているという真っ赤な嘘もついた。

 だが「水俣病を克服した」という言い方には、無知や愚かさ以上のものを感じる。冷酷さだ。この人の本質はここにあると思う。

 私は胎児性水俣病患者と同世代だ。20歳になった時、今も放映されている「NNNドキュメント」(日テレ 深夜)が「20歳になった胎児性患者」というテーマで番組を流した。

 私は彼らと共に同じ時代を生きてきた。バブル好景気も崩壊も、失われた30年も日本の凋落も、共に経験してきたのである。直接話したことはないが、そう思っている。

 彼らは日本の高度成長の犠牲になった。それを同世代として、ずっと申し訳なく思っている。そうは言っても、私あたりに出来ることは限られている。

 加齢によって、私にできることはますます少なくなった。もう何もできないのかもしれない。それでも私は、過去を細々と語り継ぐつもりだ。それしかできないが、皆がそれをやれば過去は消えない。

 

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