芸術としての音楽はどこにあるのか

前回、現代の音楽作品の価値は本当のところどこにあるのかという話がありました。そのことに対して、現代音楽は複数の創作が統合した一つのコンテンツとして評価されていますが、それは商業性への評価であり、音楽そのものの芸術性の評価には至らないというのが僕の考えでした。ただ、僕はその構図を否定するつもりはありません。
つまり、『単に個人が極めた音楽芸術を評価されたいなら、現代では音楽よりも小説や美術の方が向いていると思う』ということを言いたいわけです。
そして、僕は芸術至上主義的なところがあるという話もしました。現代においてその欲求を満たすためには、小説や美術の方が向いています。なのに音楽しかやってこなかった僕は表現ツールを音楽しか持っていません。それに気づいてから、ずっと悔いているのです。本文はポピュラー音楽に対する批判ではなく、個人的な後悔の念を整理するためのものです。

斜に構えた価値観

何事もバカになって楽しむことが出来ない性格で、勉強も趣味も何もかも斜めに見続けて、そんな人間でも好きになってくれる人がいたのに人間関係も斜めに見るから見放され…。残ったものは音楽と中途半端な世界観の雰囲気を残した言葉だけだったと。音だけで何かを描き切るのは難しいです。でも言葉や絵はそうじゃない。だから単体の形で今も人々を魅了しています。僕はそういう表現がしたい。こんなもの書くんだから、やっぱりそれなりに言葉に悔いを残しているんです。

歌詞の意味が曖昧になりがち

歌は、音楽を軸に言葉で拡張した世界を描いたものですから、音楽と言葉のベクトルの向きがあっていなければ気持ち悪い感じになってしまいます。内積が1に近くないといけません。例えば、「君が代」の歌詞でロック調だったら違和感しかないですよね。(まあそれが面白い場合もありますが…)
その違和感を恐れて、僕は曲を作る時に歌詞に保険をかけるというか、わざと濁して意味ありげな感じにすることがありますが、それはシンプルに才能がないからであって、何か解釈を投げかけているわけではありません。そういう時に『文の才能がない人間は歌を作る意味などないな』と思ってしまうんですよね。こうした後付け的な理由もあって、芸術としての音楽は歌じゃないと思っている節もあります。
また、これは個人の感想ですが、音と言葉が完全にマッチしている曲はもはや音楽など不要で、詩のみですべて描き切れているものが多いと感じます。そういう歌を聴くと、『こんな言葉を書けるなら小説の方が良くないか…?』と思ってしまいます。
まあ自分の後悔はこの辺で終わりにして、ここからは芸術として追求すべき音楽とは何かを考えていきます。

芸術としての音楽はどこで出会えるのか?

僕が思う評価されるべき「真の音楽」や「芸術としての音楽」というのは、大衆音楽にはありません。何度も言いますが、音楽のみで芸術を追求しようとした先の最終形態は歌やミュージックビデオではないということです。本当の芸術としての音楽は、やはりインストゥルメンタルだと思います。

Vapor Waveとインターネットカルチャー

僕が芸術としての音楽を追求していく中で、ひとつの答えとなるものを去年知りました。それが、"Vapor Wave"というジャンルです。このジャンルは2010年代に興った、1980~90年代の音楽からサンプリングしたものが中心となるサンプリング音楽です。Vapor Waveに関して、詳しくはこちらをご覧いただきたいのですが、これを知ったときは衝撃的でした。
環境やあるイメージを音楽で表現するような楽曲はCMなど(天然水のあの曲とか)でよく見かけますが、確立した音楽ジャンルとしてここまで表現したいものを表現できているものは初めて出会いました。
※「確立したジャンル」とは、ここでは「作曲者達や作品の中で画一的な価値観や表現するべきものとしての目標が存在する作品群」とします。

僕は1980~90年代を生きた人間ではありませんが、当時のゲームをいくつかやったことがありますし、もちろん音楽の世界でもイメージとしては頭にあります。そう、「イメージとしての80~90年代」が頭にあるんです。Vapor Waveで描かれる世界は「イメージとしての80~90年代」であって、それに触れると、過去への架け橋となるコンテンツを知っただけの人間でも当時の世界観を感じられます。こうした『当時を知らなくてもどこか懐かしい』という感覚はこのジャンルにおいて特に顕著であり、他のジャンルで感じられるそれよりも特別強く感じます。

また、サブジャンルとして存在するMall Softについても少し話そうかなと思います。Mall Softについては、またしても詳しくはこちらをご覧ください。
僕は'00~10年代に興った、ファミリー向けの設備(ファミリーカーや保育施設の増加)や道路網の発達によって車社会が加速し、急速に大型ショッピングセンターが増加するといった潮流の中で育ちました。幼年期の儚い記憶の世界は、モールや当時の多様な広告などと共に心の中に残っていて、Mall Softはその世界に連れていってくれます。
Mall Softは、Vapor Waveよりも少し先の時代のイメージが想起されます。

また、Vapor Waveの世界で熱いポイントは、インターネット発のジャンルであるというところです。何が熱いかというと、インターネット特有の匿名性です。匿名性はエンタメ性を排除するのに非常に効果的な性質であると思います。
別に筆者に何かコンプレックスがある訳ではありませんが、だって現代音楽って顔が可愛いorイケメンだったら流行るじゃん。具体的なことは言わないですけど…。

ごめんなさい。
しかし、やはり視覚的情報があると純粋な音楽の評価にならないのはあると思います。その点、匿名世界インターネット発の文化であるVapor Waveはその発端すら匿名性から話題になったものであり、しかもイメージの世界を描こうというジャンルであるという世界観ともマッチしていて、非常に嚙み合っているというか、熱いものがこみ上げてきますね。
僕がVOCALOIDが好きなのも、匿名性は一つの要素としてあります。

まとめると、inst音楽の中でも、匿名性から生まれた文化的にも熱い物語がある確立したジャンルであるVapor Waveは、芸術としての音楽のひとつの答えになるのではないでしょうか。
それでは。

余談

僕はVapor Waveで聴き取れる世界に対して、『確かに8~90年代っぽいな』みたいな感想が出るのは違うと思います。彼らが目指しているのは8~90年代風の曲を作ることではなく、当時の音楽を利用して間接的に当時のメタファーというか「イメージとしての8~90年代」を想起させることにあると思っているからです。すなわち、Vapor Waveは「8~90年代風の音楽」というジャンルではないと僕は考えているというわけです。
昭和レトロポップ?的な価値観を楽しむのはわかるんですけど、あれに対しても同じことが言えるんじゃないかなと思います。例えば、昔の写真って画質が荒かったり、色味が現代と違ったりするじゃないですか。だから、当時実際に目で見えていた色彩ってその写真と全く同じなわけではないじゃないですか。だから、編集でそういう写真とかを模したものに対して『エモ』が発生するんですよね。あれって単にそういう写真を見ただけでは『古そうだな』と思うだけで、いきなり『あの頃は良かったな』とはならないですよね。一旦当時のイメージが想起される段階があって、その後に老g当時を生きていた方々が『エモ』に浸るわけですよ。
当時を生きていない人間がVapor Waveや昭和レトロポップにハマるのは、実際に生きていた過去の記憶がエモいからではなく、単にそういう世界観がエモいからなんですよね。

自分の考えをはっきりと明文化することっていうのはやはり中々難しいですね。僕の頭脳の問題もあるんですけど、もっとちゃんと書くことに対して早い段階から意識したらよかったのにな。

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