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【#2苺小話】越後姫のお祖母ちゃんはかつての東の横綱苺でした。

新潟のブランド苺「越後姫」のこと、苺に関するあれこれに触れる小話コーナー。
越後姫のルーツに迫っていこうと思います!

祖母の代まで遡ってみよう!

越後姫について調べてみると、「6年の歳月をかけて開発された」という文面をよく目にします。
実はこれ、「5/6-996」という母方系統が選抜され、父親の「とよのか」と交配された年の1990年から、品種登録の1996年までのことを言っているのです。
決して間違いではないけど、今回はそこからお祖母ちゃんの時代である2年前の1988年に遡ってみましょう。

お祖母ちゃんは2品種

「5/6-996(読み方が分からない…)」は、栃木生まれの女峰にょほうと東北のベルルージュという苺を掛け合わせて生まれました。
1988~1990年にかけて、品種と系統を研究し99もの系統の中が誕生。
そのなかのひとつが「5/6-996」でした。
越後姫のママの誕生です。おめでとう!

ここからはかなりマニアックな内容になるので、割愛します(;'∀')
(というか、私の理解が及ばずお手上げ!笑)

まずは、女峰にょほうに注目していきたいと思います。

女峰にょほうの誕生秘話

10年の歳月を費やして生まれた期待の星

1968年から連続して日本一の収穫量を誇る苺大国・栃木県が、「日本一の産地にふさわしい品種を開発したい」と旗揚げをし、10年もの歳月をかけて生みだしたのが女峰でした。
県の試験場は心血を注いで開発にあたりましたが、育種を始めた1969年~品種登録の1985年までの間、1度だけ開発を諦めた時期がありました。

当時、年内に苺を収穫することは大変な苦労が必要で、栃木県では高冷地での育苗や株の冷蔵などのあらゆる栽培方法で手を尽くしましたが、通常の2月の収穫を1月に早めることが精いっぱい。
クリスマス時期の苺は希少で高値で取引されており、女峰も年内出荷を目指していましたが収穫時期を早めることに成功した反面、収穫量が減少してしまったのです。
収穫量が見込めないのであれば、生産者の手は伸びません。
早出しの目標がクリアされても、それだけではだめ。
見た目、味、収穫量、出荷時期などあらゆる条件を乗り越えた優等生のみが、審査を通過することができるのです。

それまで有力候補の系統をいくつか開発していましたが、いったん1978年に開発を断念することとなったのです。

日本一のプライドを力にして計画は復活した

しかし、研究者らは諦めませんでした。
1から品種系統を見直し、選抜を繰り返しながら「栃木2号(女峰の系統名)」を見事に育て上げました!
この記事打ちながら、感動してきた~~(*ノωノ)ヒーン

1984年、当時の県知事・船田譲知事が名付け親となり「女峰」は翌年品種登録されました。
名前は、「日光の名山女峰山にちなむもので、多くの苺品種の中で高くそびえ立ってほしい」という知事の願いに由来しています。

もうね、あれよ栄光の掛橋がエンドレスリピートですね。これは。

日本200名山に登録されている

その登場に苺戦国時代が幕を開けた

1985年に誕生した促成品種の女峰は、鮮やかな紅色、甘みと酸味の好バランスを持つ食味のよさが特徴。そして、適度に硬さがあるため輸送性も高いため、消費者のみならず生産者や販売業者にも広く受け入れられました。

それまでの苺市場は、「宝行早生」「はるのか」など傷みやすい品種が主流となっていたため長距離輸送が叶いませんでした。国内の各産地では限られた中からその土地に適した品種を選び、栽培を行って地元で消費をするというスタイルが一般的でした。

従来の狭い地域での消費から、一気に苺の市場は広がりました。
それは栃木県内の苺畑は女峰一色に染まり、もうひとつの大産地である福岡県(とよのか)とのライバル関係が色濃く表れるきっかけにも。
「東の女峰・西のとよのか」と呼ばれる二大品種の台頭で、苺は現代に続く苺戦国時代へと突入しました。

ということで、大分長くなってしまったので今回はここまで。
文字ばかりになってしまってすみませんでした(+_+)
次回、誕生から30年以上が経った現在の女峰に迫ります!!
(続編があるんかい!笑)

お楽しみに~~~。

参考:新潟県園芸試験場研究報告「イチゴ新品種“越後姫"の育成と栽培特性」/イチゴで稼ぐ!(イカロス出版)


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